15.春雷

3月に入ってようやく寒さが和らいできて、それでも朝はまだまだ冷え込む日が続いていた。
いつも思うのだが、あの横暴さはどこにいったのか目を疑うくらい寝ている時はおとなしい。小さな寝息だけすぅすぅと立てて身じろぎひとつせずに寝入っている。私の部屋のものよりも大きめのベッドの上で、ちょっと体を曲げて丸まっている姿がなんだか可愛らしくすら思えた。細い銀白の髪が空調の風に揺れている。

いたずら心でそっと生白い頬に触れてみるとくすぐったいのかピクリと震えた。それにも構わず撫ぜていると長い睫毛を携えた瞼がゆっくりと開き、こぼれ落ちそうなほど大きな瞳がこちらを見たかと思うとまたすぐ閉じられる。頬に影を落としている長い睫毛に触れてみると流石に鬱陶しかったのか、手で払いのけられてしまった。

五条くんの部屋の布団はとても軽いのにすごく暖かい。単純にとてもいい羽毛布団なのかもしれないし、2人で同じ布団に入っているからかもしれない。この冬の間は夜を一緒に過ごすことが増えた。特にメールでの呼び出しもなかったが、お互いが高専にいることを認識した日に限って自然と五条くんの部屋で過ごすようになった。もちろん、五条くんには仲の良い同期がいるのでその辺はいわゆる空気を呼んで弁えつつうまくやっている。五条くんの機嫌を損ねないように。もっとも、ここ数ヶ月は彼の機嫌の悪い様を見た気がしないけど。

できることならこの布団の中にずっといたいけど、そろそろお昼時だし溜まっている洗濯物を片付けたい。のそのそと緩慢な動きで布団から出ようと体を起こすとぐいっと力強く腰のあたりを引かれてバランスが崩れそうになる。とっさにベッドのフレームを掴んで持ち堪える。何が起こったのか分からず自分の体を見下ろすと、腰のあたりに筋張った大きな腕が絡み付いているのに気がついた。


「五条くん、起きた?」


五条くんからの返事はない。私にしがみつく姿勢になったせいで上体がうつ伏せになったため、五条くんの表情は全く見えなかった。ふわふわの髪の毛にそっと手を伸ばしてできる限り優しく撫でてみると、満足そうに腰あたりに顔を擦り付けてくる。なんか、猫みたい。


「今日、任務は?」


聞くとふるふると首を振る。て言うか起きてるんだったら返事すれば良いのに。


「予定ないの?もうお昼過ぎだけど」
「……ない」
「私、洗濯物とかやらないといけないから離して欲しい、な」


途端になぜか腕の力が強まる。違う、離してと言ったのに。非力の私には振り解くことは100%無理だ。一縷の望みを託してポンポンと2回ほど叩いてみたが、だめだ、動かす気がなさすぎる。何なら指で脇腹を摘んだりしているので、それが地味にくすぐったい。


「……ユイさあ、太った?」


その一言に体が硬直する。太った?いやでもいつものスキニーとかのタイトめなボトムスは問題なく着れる。だから太ってないはず。あ、でも、この冬はみんなで鍋とか一緒にご飯食べることが多かった割に任務とか実習は少なったから、え、やっぱり太った?
恐る恐るトップスの裾を捲って腹部を見下ろすと、確かに以前よりも柔らかそうな曲線を描いているのを認めざるを得なかった。ショックで声が出せずにいる傍で、問題の一言を投下した男は変わらず脇腹の肉をつついたりして遊んでいる。


「太ったっていうか、あれじゃん、筋肉が脂肪に変わったんじゃね」


次々とデリカシーのないことを軽く口に出しながら五条くんは眠そうに上体を起こした。私はその何気ない一言に思いの外ダメージを受けてしまって、頭の中では「ヤバい」「まずい」「太った」と言う言葉がひしめきあうばかりだった。
筋トレサボったのがまずかったか、だって寒くて体動かすのが億劫だし。でも、同じような食生活してても体型変わらない五条くんはずるくない?いや、むしろ鍋とかする度にあれだけたくさん食べさせてきた五条くんが元凶なのでは?なんて現実逃避よろしく悶々と考え込んでいると、後頭部を小突かれた。


「黙り込むなよ、気持ち悪りい」


なんて言い草なんだろう。五条くんには人の感情の機微なんて繊細なものは分からないのだろう、何せ容姿に関してはまさしく完璧と言って良い男なのだ。この、私のショックなどきっと一生理解できまい。
恨めしげに見ていると、何かしら察したらしく少しバツの悪そうな表情を浮かべる。


「そんな気にすることじゃなくね?」
「気にするよ!もう、めっちゃショック…」
「はあ?めんどくさ」


そう言いながら五条くんはベッドから起き上がり、備え付けの冷蔵庫から炭酸飲料を出して飲み始めた。
自分でお腹の肉を摘んでみると、やはりぷよぷよしているのがわかる。現実を突きつけられいよいよHPは0に近い。面倒くさいけど、鍛えなきゃ。筋トレしよう、もう腹筋バキバキに割って五条くんに見せつけてやろう。バカにされて終わりだろうけど。


「むしろ、今ぐらいのがちょうどいいわ」
「え?」
「抱き心地」


こちらに言い聞かせるようにわざわざゆっくりと言い放つ五条くんは本当に根っからの意地悪だ。そして、しばらくした後に意味を理解して、私は顔が熱くなるのを感じた。こんな真っ正面から言われると、こんなにも小っ恥ずかしいものなのか。え、て言うか私こんなことで動揺するタイプだったっけ?
五条くんはしてやったりという表情でニヤニヤと笑っている。


「だから、別に良いんじゃね?」
「よ、良くない。痩せる…」


尻すぼみの言葉に五条くんが声を上げた笑った。くそ、なんでこんな恥ずかしいんだ。
心底楽しそうに笑いながら五条くんが大股でこちらに近づいてくる。気がついた時にはそのまま流れるようにベッドに押し倒されていた。


「え」
「ほら、バンザイ」


え、え、え。状況が理解できずに、何でかそれでも体は五条くんの言うことを聞いて腕を上げる。そしてそのままトップスの裾を持った五条くんの手がするすると私の服を脱がした。
私を組み敷いた状態で膝立ちの五条くんもスウェットの上をガバリと脱ぎ捨てる。張った筋とか、引き締まった筋肉とか、浮き出ている鎖骨とか、見慣れたはずのそれが何だか直視できなくて思わず顔を逸らしてしまう。


「おい」


そう言って顔を掴まれて無理矢理正面を向けられると、思いの外五条くんの顔が近くにあって喉が震えた。そして、次の瞬間には思い切り唇を塞がれて、一層私の頭の中はこんがらがる。え、今何が起こってるの。
ひとしきり私の口内を堪能し尽くした五条くんはゆっくりと体を離して、見せつけるように唇を舌で舐めた。


「ユイ」


それは本当にいつもと変わらない声色だったはずなのに、体の奥の方が燃えたように体温が上がるのがわかった。何で、私こんなにドキドキしてるんだろう、何で?
そんなこと考えていても、次々与えられる刺激に何もかも吹き飛んでしまった。五条くんの絹のような柔らかい肌はひどく私の体に馴染んで、何だか離れたくないとからしくないことを思ってしまった。

Lips on you