17.穀雨

「今日、任務あんの?」


寝起きの怠さも手伝って緩慢な動きで服を着込む私に五条くんが話しかけてくる。珍しい、授業や任務がない日は平気でお昼まで寝ているのに、今はまだ10時過ぎだ。もっとも、二度寝をする気なのかベッドの中で布団にもぐったままで顔すら出さずに声だけかけてくる。声色でもわかる、眠そうだ。


「ううん、今日は帰省するだけ」
「またかよ?多くね」
「ほんとにねー…」


まったくもって私もそう思う。なんだって毎月片道8時間くらいかけて帰省しないといけないのか、甚だ疑問だ。どうせ近況報告といっても大して話す事ないし、むしろ話したくないので最短で切り上げるようにしているぐらいだ。なんなら新幹線なども、なるだけ滞在時間を短くできるように計画して席をとっている。下手な任務よりも体力と精神力をまともに削ってくるので、憂鬱でしかない。そんな気持ちが声に滲んでいたのか、五条くんがのそのそと布団から顔を出してこちらを見てくる。すごく、怪訝そうな顔。


「毎月の帰省が条件で高専に入ったんだよ、だから無視したら余計に面倒くさいってわけ」
「ふぅん、そんだけ?」


それだけだよ、そのたった一言がなぜか出てこなかった。この間硝子ちゃんに吐露したせいで聞いてもらいたい欲求が出てきたのだろうか、なんて浅ましい。
言い淀んだことでいかにも訳有りという雰囲気を孕むが、けれどもう時間が差し迫ってきていることを思い出して、私はくしゃりとなんだか不格好に笑うことしかできなかった。


「まあ、どうでもいいけど」


大きなあくびをしながら、五条くんが上半身を起こす。なんか、気まずいのでさっさと部屋に帰って準備をしよう。そう思って腰をあげると、五条くんがちょいちょいと手招きをしていた。そんな仕草見るの初めてだったので戸惑いながらも、素直に五条くんのそばに寄る。


「さっさと帰ってこいよ」


ぶっきらぼうにそう言い放ったかと思うと、不意に頭に手を置いてあやすように二回ポンポンと優しく触れられる。そして、すぐに彼は布団に潜り直して姿を隠してしまった。
なんだかその一連の動作がくすぐったくて、顔が熱くなるのがわかった。体の芯の方がむずむずして、居てもたってもいられず逃げ出すように五条くんの部屋を後にした。







「ユイさん、いつものやつですか?」


午後22時寮へと戻り、談話室の前を通りかかると夏油くんが珍しく1人でいた。こんな夜中だがコーヒーを飲んでいるようだった、いい匂いがする。
夏油くんに帰省の詳細など伝えているわけではないのだが、帰省の際にいつも使っているボストンバッグを持っているのを見てそう話しかけてきたみたいだ。


「うん、いつものやつ。で、これもいつものやつ」
「ありがとうございます」


ちょっといたずらっぽく笑うと、夏油くんも破顔する。手に持っていた紙袋から箱を取り出して、乱雑に包装紙を破いて上蓋を開ける。なかに入っているのは小さめの焼菓子だ。帰省するたびに買って帰っているおみやげで、常温保存がきくのでいつも談話室に置いている。


「よかったら、コーヒーいれますよ」
「ありがと。荷物置いてくるね」


そう告げると夏油くんは談話室に隣接している給湯室へと向かったので、私も自室へ足を向ける。携えていたボストンバッグと薙刀を玄関口に置き去りにして談話室へと戻ると、マグカップを持った夏油くんがいた。
それを受け取り、夏油くんの斜め向かいの椅子に腰掛ける。あったかいマグカップからは延々と湯気が上がっているので、火傷しないように何度も息を吹きかけた。


「ユイさんの実家って、呪術師の血筋でしたっけ?」
「あー、うん。血筋的にはそうなるのかな。でも私以外はみんな非術師だよ。みんな呪いが見えないから」
「そうなんですか。帰省することが多いので、由緒正しい家柄かと思ってましたよ」
「まさか。加茂家の遠い分家だけど、とっくに落ちぶれてるよ。だから、全然。夏油くんは?」
「私は一般家庭ですよ。呪術界とは一切関わりのない家です」
「そっか」


コーヒーを一口含むと、絶妙な苦味とほのかな酸味が口の中に広がった。おいしい。熱くなかったので多分火傷はしてないだろう。


「…そういう感じだからさ、本家の人たちは昔の栄光みたいなのに縋り付いてる。虚栄心のかたまりなんだよね。もう、私1人でどうこうできるものでもないんだけど、それでも私が蜘蛛の糸なんだろうね」


独言のように漏らしてしまった本音はしっかりと夏油くんに届いていたようで、彼は少し不快感をその表情に滲ませていた。


「…この界隈はどうしてもそういう前時代的というか、権威主義的な考えが蔓延ってますよね」
「ほんとにね」


困ったように笑うと夏油くんも表情を緩めてくれた。寮内はシンと静まり返っていて、時間の流れがひどくゆっくりとしたものに感じられた。


「ユイさん、変わりましたね」
「え?」
「以前はパーソナルなことは絶対話さなかったですし、言い方悪いかもしれませんが私たちに興味もなさそうにしてましたよね。でも、何かあれば話してくれるようになったので、変わりましたね」


夏油くんは目を細めていつもの柔和な表情を浮かべていた。
自分の家のことを今まで口にすることはなかったし、周囲の人間をどこか遠巻きに見ていた。誰にだって立ち入られたくない一線はあるだろうが、それが他の人より何本もあってとてもハードルが高かった。その自覚はあった。
けれど、時間がそうさせたのか、彼らの影響なのかわからなかったが、少なくともこうして後輩たちと接している時のその一線はだいぶ緩和されてきているのは確かだった。それはもしかするといい変化なのかもしれないが、こうして口に出されるとなんだか気恥ずかしくて、夏油くんを見られずそっと視線をはずした。


「悟のおかげですかね」
「え」


びっくりして顔を向けると、夏油くんはとびきり爽やかな笑顔を浮かべていた。そこには少し子供っぽい悪戯心が浮かんでいて、何も言い返せない私を見て楽しでいるようだった。
これは、バレている、のかも。冷や汗がじんわりと滲む。いや、バレてる、確実に。そもそも五条くんの隣の部屋だし、そりゃ普通に考えてバレるよね。
さぞかしその時の私の表情がおもしろかったのか、夏油くんはクツクツと口元に手を当てて笑っていた。完全に遊ばれている。


「ほんと、ユイさんわかりやすいですね」
「…夏油くんって、意外といじわるだよね」


そう言うとさらに夏油くんは楽しそうに笑うので、やはりあの五条くんの親友なのだなと半ば諦めのような感情が浮かんでくる。
あーあ、ほとんどの人にバレてしまった。五条くんは怒るだろうか、でも私一人のせいじゃないよね。などと悶々と悩んでいると、その様子すら面白いのか夏油くんは終始笑いっぱなしだった。本当にこの後輩たちは手に負えない。そう思うとなんだか悩んでいるのがばかばかしくなって、私もついつい釣られて笑ってしまった。そこをちょうど通りかかった七海くんに見られてしまい、あの朝の再現のように眉間に皺を深く刻んで、ありえないものを見るような目を向けられてしまった。

Lips on you