18.青嵐
じっとりと、こちらをまるで値踏みするような、品定めするような執拗な視線がとても嫌いだ。にやにやと下品な下心を隠すでもなく、口元にあらわにしてそれを気にも止めない性根が気に入らない。もっといえば、深爪のゴツゴツした指も少し腹部が弛んだ恰幅のいい体も、まばらに生えている髭も、何もかも吐きそうになるくらいの嫌悪感を湧き上がらせている。
帰省のたびに何かと話しかけてこようとする男に対して、それなりの対応をしてきたが、それにしたって気持ち悪い。一回り以上年下の私に変に媚びてくる声色とか、本当に受け入れ難い。とてつもない罵声を口にしてしまいそうだったが、何とか自制してそれなりの対応を続けている。それでも、あまりにもそっけない私の態度に向こうが業を煮やしているのは、ここ最近手にとるように顕著になってきたのだけれど。
家族のため、そう言い聞かせてはいるが、なぜ私がそんなところまで従わなければいけないのかという本音がどうしても抑えきれない。きっと、以前までだったらこんなこと思わなかっただろう。淡々と受け入れて、全てそれなりにこなしていただろう。それなのに、今はそれができない、うまく立ち回れない。
どうして、私が。
家族と引き離された当初のような、ドス黒い感情が心の底から湧き上がっていく。どうして、どうして、どうして。
「……」
ザアザアと朝から降り続く雨のせいで、どこかナーバスになっているようだった。カーテンが閉め切られて薄暗い部屋には、壁にかけられた時計の秒針だけが響いている。
だめだ、考えるな。そう自分に言い聞かせてベッドから体を起こす。1人きりで部屋にいると、どうしても落ち込みがちになる。冷蔵庫に何かないかと覗き込んでみても、ほとんど空の状態だった。気分転換ついでに近くのコンビニにでも行ってみようか、そう思い立って財布と雨傘を引っ掴んで部屋を後にした。バタンと扉が閉まる音が大きく寮の廊下に反響した。
「あ」
「おう」
高専近くのコンビニに足を踏み入れると、よりによって五条くんがいた。正直、今の気分ではあまり会いたくなった。そんな本音が表情に出ていたらしく、「何だその顔」と言って容赦なくデコピンされる。
「あ、俺これ食いたい」
「ちょっと」
そう言いながら五条くんは私の持っていたカゴの中に、新作で売り出し中のエクレアを放り込んだ。しかも3つも。さらに腕を引かれて飲料水のコーナーに引きずられると、炭酸飲料やジュースの類を遠慮なく次々とカゴに入れていく。地味に重い。
「お前、これ好きだろ」
五条くんが手にしていたのは私がよく飲んでいるストレートティのペットボトルだった。私の返事を待つこともなく五条くんはそれを2本掴んで乱雑にカゴに追加していく。抗議したところでやめてくれるはずもないので、その傲慢さを渋々受け入れて近くの棚にあった食べたかったお菓子などを掴む。すると、五条くんも同じものを掴むのでじっとりとした視線を送ると、極上の笑顔で返された。くそう。
いつの間にか一杯になったカゴを持ってレジに向かう。気を利かせた店員さんが2人がかりでお会計と袋詰めをやってくれた。次々とレジ袋に飲み込まれていくお菓子類を眺めていると、知らぬ間にエクレアが5つに増えていることに気づく。いつの間に。
結局、一番大きいレジ袋2つ分になった。手のひらに食い込んできて地味に痛い、五条くんのせいだ。当の本人はさっさとコンビニの外に出ており、向かいのガードレールに腰掛けていた。雨は小雨になったようで濡れた道路にぶち当たって飛沫を僅かに上げている。
「ん」
五条くんは私に気づくと、さっと手に持っていたレジ袋を一つ取り上げた。ペットボトルがいっぱい入って重かった方なので、ありがたい。そしてそのまま高専に向かって歩き始めるので、私は傘立てに収納していた傘を差して小走りでその背中を追った。
五条くんは術式を使用しているからか、一切雨に濡れていなかった。日が沈んで薄暗い情景の中で、五条くんの白銀の髪だけがぼんやりと浮かび上がっている。
高専までの帰り道は人も疎らで雨音と2人分の足音しか聞こえなかった。早く梅雨が終わらないかな、足元に飛び跳ねる雨を見ながらそんなことを考えていると、不意に声をかけられた。
「なあ、いつもより暗くね?」
顔を上げると五条くんがいたって真面目な表情でこちらを見つめていた。
「なんかあった?」
結婚相手がすごく嫌な人で、生理的に無理なんだ。どうして私ばっかりこんなに我慢しなくちゃいけないんだろう、本当に嫌。できることなら逃げ出してしまいたい。全部投げ出したい。
でも、そう思うようになったのは多分、五条くんのせいなんだよ。
だって、私…
思わず競り上がってきた自分の願望があまりにも浅ましくて、何とか飲み込んで声には出さなかった。何を言おうとしたんだろう、五条くんに言ってどうしてもらうつもりだったんだろう。
ぐるぐると回る思考回路のせいでうまく返事ができなかったが、五条くんはそれでも私の言葉を待っていてくれるらしくこちらを見据えたままだ。でも、どうしても何て言えばいいのかわからなくて、ただヘラリと笑うことしかできなかった。
すると、五条くんは痺れを切らしたのか小さく舌打ちをして大股でこちらに近づいてくる。その気迫に思わず後退りしかけたがそれより早く彼に右手首を掴まれて敵わなかった。傘が落ちる。
「あ…」
小さな悲鳴みたいな私の声はそっと彼に飲み込まれていった。目の前に五条くんの長い睫毛が見える。黒いサングラスのフレームが頬にあたっており、触れた柔らかな唇がひどく熱っていた。
それは本当に一瞬だった。けれど、その一瞬が私にはとてつもない永遠のように感じられた。私が惚けている間に彼は瞳を開きそっと体を離して、私が落とした傘を拾い上げた。
「腹減った。さっさと帰るぞ」
彼は傘を私に差し出して、そのまま身を翻してまた歩き始める。先程のキスがまるで夢か妄想かと思えるくらい、いつも通り過ぎて私の方は動揺が隠せない。が、彼は振り返ることなくどんどん歩みを進めていくので、急いでその背中を追いかけた。
やっと追いついたという頃合いに、何かに気づいたのか五条くんは振り返る。
「どうしたの?」
「いや…」
珍しく歯切れの悪い彼を見上げるとキョロキョロと目を動かして周囲を窺っているようだった。何か呪霊などの類の気配でもあったのだろうか、そのあたりは鈍感すぎて私は感知できないのだけれど。
しばらくして、「まあいいか」と五条くんが独り言のように呟いたかと思うと再び歩き始めるので、遅れないように早足でついていく。
「新しいDVD借りたんだけど、一緒に見るか?」
「うん。何借りたの?」
「B級スプラッタ。めちゃめちゃグロいって評判のやつ」
「えぇ…、任務以外でそういうのはもういいよ」
「うっせえ、さっさと風呂入ってから部屋に来いよ」
そう言いながら五条くんはいつものようにシニカルな笑みを浮かべていた。シトシトと降る雨が彼の無限に触れて跳ねているのが、ひどく幻想的で美しかった。
Lips on you