20.薄氷
星漿体護衛の任務が五条くんと夏油くんに舞い込んできたことを知らされたのは、任務先の名古屋に着いた時のことだった。
珍しく五条くんからメールが入っていたので夜にホテルで確認したところ、その旨の内容だった。護衛任務の日程だけが淡々と書かれており、詳細はあまりよくわからなかった。ただとてつもなく面倒くさがっているんだろうなという雰囲気はありありと文面から伝わってくる。まあ、護衛という任務自体いろいろと面倒事が多いので、私だって断れるものなら断りたい。ただ、星漿体となると断る選択肢など、あってないようなものなのだろう。
がんばってね、と一言だけ返信してケータイを閉じる。五条くんたちに特別な任務が入ったところで、通常任務も当たり前にある。私はいつも通りそれらをこなすべく名古屋に来ているのだが、今日から10日間東海地方を回ってひたすら呪霊を払わなければいけない。10日間、毎日。
調査書を確認したところ2級以下の案件ばかりなので、油断等しなければ難なくこなせられるだろう。ただ、数が多すぎる。1日平均3件ほどあるのでまったくもって憂鬱である。
硬めのシングルベッドに体を横たわらせる。五条くんのことを好きと自覚してから、それでも私は何もしなかった。ただこの関係性が心地よくて、気持ちを伝える事で壊れてしまうのが怖かったというのもあるが、好きとはいえそこからどうなりたいという明確なものはなかった。すでに肉体関係はあるし、寮に住んでいるため余程忙しくない限りは毎日顔を合わせるし、タイミングがあれば一緒に映画を見たりゲームをしたり泊まったりして、結局は満たされていたのだ。それ以上に欲しいものが見当たらなかった。だから、何も変化することはなかったのだ。
「卒業したら、どうなるんだろ…」
静かな部屋に私の独り言が虚しく漂う。先のことは具体的に想像できなかったが、でも現状が変わってしまうとなった時、私はどうしたいのだろう。それでも五条くんの傍にいたいと思うのだろうか。
もう終わりにしようと言われた時、私はどうするのだろうか。惨めに縋り付くのか、ただ受け入れて彼の前から消えるのか。
「ていうか、結婚するじゃんか、私…」
結局、何も無いのだ。何を望んでも、何を願っても、私には何もない。考えてもしょうがないのに、恋をすると人はバカになるとは本当にこの事だ。
今後のの怒涛のスケジュールを思い出して憂鬱になりながらも、明日の準備をしようと怠い体を起こした。
「え、沖縄?」
深夜に電話がかかってきたと思ったら、五条くんだった。ちょうど寝付くところだったので電話に出てみたが、護衛の任務についているはずの彼は今沖縄にいるのだという。
いつになく饒舌に経緯を説明してくれるが、なるほど順調に任務をこなしているようだ。まあ、あの夏油くんと一緒なのだから心配することは何もないだろう。
「今どこ?」
「今日は岐阜だよ、やっと半分終わった」
「ふぅん、弱いクセにやるじゃん」
「いやいや、さすがに2級くらいまでは余裕だよ」
電話口の向こうでクツクツと喉元で笑う声が聞こえる。散々バカにされるのももう慣れたもので、この掛け合いもなんだかお決まりになりつつあった。
「ていうか、五条くん寝なくていいの?」
「あー…、まあな」
「…もしかして、寝ずに護衛してるの?術式も発動したまま?」
そう尋ねるとおそらく当たっていたのだろう、小さく舌打ちのような音が聞こえた。
最初のハイテンション具合からてっきり余裕なものかと思っていたが、彼なりに全力でもって取り組んでいるようだ。けれど、寝ずに術式を発動したままなど常人には到底できないし、ありえない。さすがの五条くんならできるかもしれないけれど、しかしその体力と気力の消耗は計り知れないだろう。
「あんまり、無理しないでね」
「誰に言ってんだよ、お前こそ死ぬなよ」
「死なないよ」
決して弱ったところを見せないところは五条くんらしい。彼は、強い。
「沖縄いるんだったらさ、あれ食べたい」
「あ?」
「紅芋タルト」
「お前、さっきの話聞いてたのかよ。そんなの買う余裕ねぇわ、七海にでも頼んどけ」
「七海くんもいるんだ?」
「おう、灰原と一緒に空港警備中」
七海くんたちも一年生なのになかなか重大任務を任されて大変だな、他人事のように思う。私はとてもじゃないが、そんな神経つかう任務はできない、向いていない。
明日は午前中が移動で午後からの任務予定なので、多少の夜更かしは可能だ。そう思ってそれからしばらく五条くんと雑談を交わした。時折、あくびをしているような呼吸音が聞こえたが、彼は変わらずの口調で話すので私も特に指摘はしなかった。
「お前、明日も仕事だろ。もう寝たら」
「うん、そうする」
時刻は1時をまわっていた。若干の睡魔を感じてあくびがでそうになるが、五条くんの手前勘付かれるわけにわいかないので必死で噛み殺す。
そういえば明日は8時発の特急に乗る予定だが、乗車券はどこに入れたっけ?そう思いながらケータイを肩口に挟んで、キャリーケースの中を漁る。付属のポケットのファスナーを開けると、何枚か乗車券が入った封筒があったので中身を確認する。
「ユイ」
不意に電話口で名前を呼ばれたため、びっくりして身体が強張る。手に持っていた封筒が落ちて、床に乗車券が散らばった。
「死ぬなよ」
一切のからかいがないその声にドキリとする。こうして電話で話しているといつもより五条くんの声が近くて、今更だけどとてもくすぐったかった。
「…うん、気をつけるよ。五条くんもね」
「だーかーら、誰に言ってんだよ。じゃあな」
「おやすみ」
プツンと音を立てて通話は終了した。散らばった乗車券を拾い上げながら、頭の中では五条くんの声が延々と反芻されていた。それだけで、なんだか体が火照る。これは、結構、本当に重症かもしれない。
Lips on you