22.out of love

1つ上の兄は、快活で友人の多いタイプの人間だった。いつ何時も上機嫌で優しく、学校が終わっては毎日のように友人と遊びに行っていた。妹の私に対しても基本的に優しくて、兄妹喧嘩というものもほとんどした記憶がないくらい。仲が良いというよりも、兄の懐が広いおかげでうまくやっていけていたというのが正確な表現のように思う。
兄と私は全然似ていなかった。性格も、見た目も。兄は母似で、私は父似。2人で並んでいても兄妹と言われることはなかった。小学校を卒業するまでは私の方が身長が高くて、むしろ姉と弟のようにも見えていたかもしれない。

だが、それももう遠い記憶となりつつある。4年以上会わなくなって、うまく思い出せずにどんどんぼやけていく兄の顔。もうすでに、どんな声で、どんな風に笑って、どんなことを2人で話したのか、それすら思い出せなくなってきていた。
たったひとつ、よく覚えているのは、兄は母親譲りの福耳だったことだ。それだけではない、その大きな耳たぶに真っ黒なホクロがあったのだ。それがまるでピアスのようで、幼い私はとても羨ましく思っていたのだ。それだけは今でもよく、覚えている。


「そんなに見られると、さすがに恥ずかしいんですけど」


そう言って夏油くんは苦笑していた。
どうやらぼんやりと彼の顔、正確には耳を凝視してしまっていたようだ。できのいい後輩を困らせてしまった。


「ごめん」
「いえ、どうかしたんですか」
「兄を思い出してた」


そう言うと夏油くんは目を丸くして、そしてすぐに細めた。
五条くんが単独任務に出ているため、2人で体術の自習をしていてその休憩中だった。人が出払っているのか、少なくとも修練場周辺はひどく静まり返っていた。
残暑の厳しい日差しを和らげるような風が、私と夏油くんののびた毛先をそよそよと掬っている。手に持っていたペットボトルが汗をかいていて、それがポツポツと地面にシミを広げていた。


「しばらく会ってないから、あんまり思い出せないんだけど…夏油くんみたいな耳だったのは覚えてるんだ」


生き延びた蝉のか細い鳴き声だけが耳の奥に響く。
夏油くんは少し困ったような、どこか憐れむような目をして私を見つめていた。
例の護衛失敗から夏油くんにはしばらく会っていなかったのだが、こんな表情をするタイプだっただろうか、何か奥の方で燻っているような、迷っているような、そういう表情。彼は護衛対象の少女が目の前で射殺されるところを見ていたと聞いている。彼なりに何か引きずっているのだろうか。
私がかける言葉を迷っている間に、ケータイの振動音が鳴った。五条くんだ、最近ではあまり来なくなった空メールだった。部屋を訪れる時間だけを入力して送信ボタンを押すと、ざわめくような強風が吹きつけて砂ボコリに目を細めた。


「ユイさん」


夏油くんが私の髪についているゴミをそっと取り除いてくれる。彼はこんなに黒い目をしていただろうか。こんなにも。


「…、続きやりましょうか」


先に立ち上がった夏油くんの後を追うように、私も立ち上がる。立っているだけでじんわりと汗が滲む。茹だるような夏はまだ少し続きそうだった。







空調の音に埋め尽くされた部屋にて、私は一糸纏わぬ姿でベッドにうつ伏せに横たわっていた。セックス後の何とも言えない怠さと快楽の後味に身を任せ、タオルケットに包まっている。
五条くんはいつの間にか下着だけ身につけており、冷蔵庫から取り出した2リットルペットボトル入りの水を直飲みしていた。細身だがしっかりと筋肉のついたその体はいつ見てもキレイだと思う。そして、こんなにもだらしのない姿というのに絵になるのだから、なんて男と私は関係を持っているのだろうとつくづく感嘆してしまう。

肩口を見ると、視界に入ってくるのはいくつもの歯形だった。すでに青アザや傷跡になっているものから、血がまだ乾いていないものまで多彩に及ぶ。おそらく見えていない背中にもいくつもついているんだろう、感覚的にそれだけがわかった。
五条くんはどういう訳か、あれ以来、毎回セックスの度に噛み付いてくるようになった。噛みちぎられる程ではないが、確実に血が滲む程度には噛んでくる。もちろん、体質上痛みはないし、元から傷痕の多い体なので特に諌めたりしなかったが、服に血液が付着することが増えたのだけが困りものだった。
何を思って五条くんがこのようなことをするのかわからないが、それを甘んじて受け入れている私も大概なので止める手立てもなかった。
ゆっくりと襲いくる睡魔に瞼を閉じかけた時、五条くんの大きな手が私の頭に触れた。寝そべったまま彼を見上げると感情の読み取れない表情を浮かべていた。


「…どうしたの?」
「ちょっと座って」


言われるがまま、気だるい体を起こしてベッドに腰掛ける形になる。さすがに明るい部屋で全裸は恥ずかしかったので、包まっていたタオルケットで隠すように体に巻きつけた。
五条くんはゴソゴソとレジ袋から何かを取り出しているようだ。


「それ何」
「ピアッサー」


五条くんの手に収められていたのは小さな器械のようなものだった。太い透明なピアスの尖った先が見える。初めて見るソレにヒュッと喉が鳴った。
それそのものが怖い、というわけではない。彼が何を持ってそのようなことをするのか、その真意が分からないのがほんの少し怖かった。


「加虐趣味にでもなったの」
「いや、別に」


そっけない返事をして、彼はピアッサーの包装をビリビリとガサツに破っていく。そして私の髪をかき分けて、見つけ出した左耳の耳たぶにその針先を押し付けた。


「お前、耳たぶ小さいな」
「うん。ちゃんと開くかな」
「さあ」


五条くんは狙いを定めるように目を細めた。そしてなんの合図もなしに、その器械をぐっと握り込む。ガシャンとピアッサー本体の大きさに見合わないようなとてつもない音が耳元で鳴ると同時に、薄い耳たぶが押しつぶされたようだった。耳たぶを貫通した衝撃なのか、先ほどの音が鼓膜を麻痺させたのか良く分からなかったが、その時私の左耳はもう私のものではなくなっていた。


「血、出ないんだな」


使い終わったピアッサーを五条くんはゴミ箱に投げ捨て、太いピアスの刺さった私の左耳に舌を這わせた。ゾクリと寒気にも似た快感が背筋を走る。
それを見透かしたように五条くんはニヤリと笑い、耳から首筋、そして鎖骨まで舐め上げたかと思うと、その胸骨上の薄い皮膚に噛み付いた。そして力任せに押し倒して、先ほどよりもずっと乱暴に私の体を暴いていった。

次の日、目が覚めるとシーツに小さな血痕ができていた。姿見で左耳を見ると小さな耳たぶに透明ピアスが突き刺さっていて、血が黒い瘡蓋を作っていた。それはまるであの頃羨んだ兄のホクロのようだった。

Lips on you