23.霜降
気がつけば、季節はもう冬に差し掛かっていた。
あれから私は毎日のように任務をこなし、そして五条くんの部屋でほとんど過ごすようになっていた。五条くんもいつも忙しそうで、あんなに一緒にいた夏油くんともつるまなくなっているようだった。
爛れた生活だった。こんなことがバレれば、先生にもきっと激怒されるだろう。決して五条くんと過ごす時間は甘いものではなかったが、ただ居心地は良かった。彼がどう思っているのかはいまだに良く分からなかったが、それでも受け入れられていることに甘えていた。一緒にいればいるほど、私の体には彼の歯形が増えていった。それすらなぜか心地よくて、いよいよ頭がおかしくなってきたのかと思った。
その日は三ヶ月に一度の通院の日だった。行きつけの産婦人科にてピルをもらう日で、いつものように簡素な格好で向かう。日常の作業の一つと化している。これも最初は仁木家への嫌がらせの一環だったが、今はこれがないと困る。五条くんとそういう関係になったからだ。万が一があるとワリを食うのは私だけだからだ。
予約していたので大した待ち時間もなく、いつもの慣用句のような問診を済ませてさっさと薬を受け取って病院を後にした。
日曜日ということもあって街は人でごった返している。クリスマスまでまだ一ヶ月近くもあるというのに、クリスマスソングがどこかで聞こえてきて街全体が浮き足立っているようだった。肌寒くてそろそろマフラーでも用意しなければ、そう思いながら次に予約している美容院へと足を向けた。
不意に目に飛び込んできたのは、長身の男だった。遠目に見てもわかる、五条くんだ。
待ち合わせでもしているのか駅前で時計を気にしながら、立ち尽くしているようだった。日本人離れしたその容姿に、行き交う人がちらちらと視線を向けている。
どうしてだか無意識に五条くんを追ってしまって、けれど頭の中では本能的に嫌な予感がして警鐘がうるさくなっていた。
その予感は案の定すぐに当たった。五条くんの元へ近寄る小柄な女性を見つけたからだ。真っ黒なストレートの長い髪を揺らして、親しげに五条くんに駆け寄っていく。そして、五条くんも初めて見るような穏やかな表情で笑いかけていた。
見なければ良かった。
知らないフリをしていれば良かった。
五条くんと私は近いようで、それでいてその実とても遠い。同じ世界にいるからこそ余計それがわかるのだ、彼は五条家であり呪術界の至宝なのだ。私はただの呪術師、大勢の中の1人。
今まで見てみぬフリをしてきたツケを一挙に払わされた気分だ。一時の夢を見ていたのだ、現実を知りながらもそれから目を逸らしていた。そのツケが、これだ。
何もいらないと思っていた、でもこの湧き上がる激情はそれを否定している。今のままでいいと、それは自分を言い聞かせていただけなのだと、そう気づいた。
私は五条くんが好きだ。
私が彼のものであるように、彼を私のものにしたい。そんな愚かしい劣情がまるで源泉のように湧き上がってきて、それはえも言われぬ吐き気を誘発した。
腕を組んで去っていく2人を見送って、私は予定通り美容室へと向かった。
帰寮したのは日が暮れ始める頃だった。
あれから美容室にいった後に、何となく直帰する気にならずに何となく街をブラブラと歩いて目についた服などを買い漁ってしまった。
こんなにも衝動買いをしてしまったのは初めてのことで、店員さんに勧められるがままに新作の冬服と、ついでに化粧品なんかも買ってしまった。なるほど、確かにこれは快感だ。何となく沈んでいた気分も晴れるような気がした。
「ユイさん」
談話室では硝子ちゃんが1人でタバコを嗜んでいた。以前まではそれなりに隠れていたようだが、今は割と堂々と吸っているようだ。
「硝子ちゃん、これ良かったら使う?」
ふと思い出した私は、コスメブランドの紙袋からおまけでもらったリップの試供品を差し出した。よく分からな買ったがキャンペーン期間中で一定額以上の買い物をしたら、現品の半分サイズの大きさのそれをプレゼントしてくれたのだ。元々洗練された大人っぽいデザインなのだが、小さめサイズになったことでとても可愛らしい。
「いいんですか?」
「うん、私使わないから」
「しかもこれ新作じゃないですか、ありがとうございます」
硝子ちゃんは嬉しそうに受け取ってくれた。良かった。
「ていうか、思い切りましたね髪」
「うん、ちょっとね」
「似合ってます」
「ありがとう」
話を早々に切り上げて私は自室へと向かった。
部屋はカーテンを閉め切っていたので、夜のように暗い。電気をつけて肩に背負っていた紙袋の類を全て床に置く。結構重くて肩が凝ってしまった。
ふと姿見に視線をやると、自分の全身が映っていた。肩甲骨あたりまであった髪の毛は短く耳の下あたりで切りそろえられている。人生で初めてここまで短く切ったかもしれない。鏡に映る私はまるで別人のようで、髪型を変えるだけでこんなにも見た目が変化するのかと感心する。
首元が寒くて買ってそのまま身につけたオフホワイトのマフラーを外す。うん、いつも髪が静電気で乱れていたけれど短くしたことでそれからも解放されたようだ。意外と快適かもしれない。
その時、ケータイが震えた。この短い通知はおそらくメールだ。確認すると五条くんからだったが、なぜか本文までは見ることができなかった。
自分はこんなにも臆病だっただろうか。何が怖いのだろうか、先ほど嫌というほど現実を見てきたのに、それ以上に恐ろしいことはあるだろうか。
そして、自分がこんなにも欲深い人間だとは思わなかった。こんなにも誰かを好きになることがしんどいことだと、知らなかったのだ。
ただただ、自分の中に湧き上がる混沌を整理できず、私は自分の知らない自分を受け入れられなかった。
その日、私は初めて五条くんからの連絡を無視した。
Lips on you