25.小雪
ユイと連絡が取れなくなって気がつけば3ヶ月以上経っていた。
それまでは毎日のように一緒に夜を過ごしていたし、なんの前兆もなかった。避けられているのは分かっていたが、それを追いかけるほどの理由を俺は持ち合わせていなかった。
何となく異変に気づいている傑や硝子が気にしているのは分かっていたが、ただ口を出してくることもなく静観を決めているようだった。そもそも付き合っているわけではないので、何かを言われたところで俺としては知ったことではなかったのだけど。
でも、1人で眠る夜はひどく寂しかった。
性的な快楽だけではない、ユイといるだけで何とも言えない充足感があったのは確かだ。ベッドに2人で丸まって眠ったり、セックス後の気だるさの中で冗談を言い合ったり、一緒にカップラーメンを食べたり。そういう何でもないことが、ひどく居心地が良かったのだ。
いつからかユイに噛み付くこどが癖になっていた。最初は何てことない好奇心だったのだが、途中から自分の中にある独占欲がそれを突き動かしていることに気がついた。
彼女は俺のものであるように振る舞っていたが、しかしその実何も言葉にはせず、フラフラとどこかへ行ってしまうような危うさがあった。それを本能的に感じ取っていた俺は、ユイを自分のものにする為に噛み付いていた。血が滲むほど力強く、何度も何度も噛んだ。その後をうっとりと見つめるユイがまた欲情を誘った。
いつからか、本家の人間に言われて女と会うようになった。嫌だと一言伝えてしまえば俺の意見はすぐに通っただろうが、けれど俺はそうしなかった。いちいち休日の時間を割いて会わなければいけない煩わしさはあったが、それよりもユイ1人にのめり込んで行ってしまうのが癪だった。
適当に笑いかけておけば、女たちは上機嫌になった。気が向けばセックスをすることもあった。それは当たり前のように気持ち良かったが、しかしそれだけだった。
この言いようのないぽっかりと空いた穴が何なのか、俺にはわからなかった。知らなくていいと思っていた。
朝、部屋を出た時、同じように部屋を出てきた傑と鉢合わせた。珍しく風呂上がりのように髪を結わずに部屋着のままだった。
そしてその手には見慣れない洗濯物が詰め込まれたカゴがあった。
「はよ。それ何」
「あぁ、これは昨日ユイさんに会って…」
その名前にいちいち反応する自分が嫌だった。結局3ヶ月くらい会っていない女の名前に。
「悟、ちょっと一緒に来てくれないか」
いつになく浮かない表情の傑に何だか嫌な予感がした。授業には確実に遅れるだろうが、ひとまず傑の後を着いていく。
道中、傑が話してくれた内容は昨日ユイと出会って、その様子がおかしかったということだった。ケータイを見て血相を変えて突然どこかへ走っていってしまったという。彼女が残したケータイとカゴをひとまず預かっているので、それを届けに行くとのことだった。
向かった先はユイの部屋だった。何度か訪れたことがある。部屋の前には硝子がいて、どうやら俺たちを待っていたようだった。
「すまないね、硝子。さすがに勝手に女性の部屋を訪れるのは憚られたから」
「ううん。ていうか五条も来たんだ?」
「ちょうど出会ってね」
「へえ」
何か言いたげな硝子の視線と含みを持たせた声に苛立って、小さく舌打ちをした。
「多分、ユイさんいないと思う。物音ひとつしないから」
そう言いながら硝子は一度ノックをし、返答がないのを確認してからドアノブを回した。鍵はかかっていないようですんなりと扉は開いた。
一度、硝子が部屋の中を見て問題ないと判断したのか、俺たちも手招きされて部屋へと入る。そこは前に見た時と同様、ひどく簡素な部屋だった。変わっていることと言えば床にいくつか紙袋が放置されていて、買った衣類がそのままになっていることくらいだった。
「どこに行ったんだろうね」
傑はそう言いながら持っていたカゴを床に置いた。
「悟、何か知ってるかい?」
「何で俺なんだよ、何も知らねえよ」
ぶっきらぼうにそう言い放つと、傑は呆れたようにため息をついた。そして、ボトムスのポケットからユイのケータイを取り出す。
「確実に何かあったんだと思うんだが…」
「鍵閉め忘れるくらい急いでたくらいでしょ、よっぽどじゃない?」
「あまりオススメしないが、これのロックわかるかい?」
そう言いながら傑は俺にユイのケータイを差し出してきた。2人の視線が痛い。引ったくるようにそれを受け取って、カチカチとボタンを押す。以前に聞いていた彼女の誕生日でロックは解除された。
「…、おい、まじか」
飛び込んできたのは待ち受け画面だったが、それは俺の寝顔だった。いつの間に撮られたのか、全く記憶がない。というか、なぜこんな小っ恥ずかしい事をしているのだろうか。そんなタイプでもないだろうに。ひとまず誰にも見られなくてよかったと胸を撫で下ろした。
「開いたか?」
「おう…」
「メール、見てくれないか。多分、それが原因だと思う」
勝手に操作して受信メールを見てみる。一番上の最新のもの、受信時刻は傑が言っていたユイと会った時間のようだった。
そのメールは写真が添付されているだけで、1枚目を開くとそこには俺とユイが写っていた。今でも覚えている、あの時変な視線のようなものを感じたのだ、その正体がこれだったのか。
さすが2人には見せられなかったので、もう1枚の方を開いてみる。そこに写っているものを理解するのに少しばかり時間がかかった。小さな肌色の物体、それは人間の耳だった。
「何だよ、これ。人の耳か」
俺の言葉に傑がケータイの画面を覗き込んでくる。やはり、そこには間違いなく人間の耳が写っていた。鋭利な刃物のようなもので綺麗に切り取られたみたいだ、血液は見えない。耳は傑のような福耳で耳たぶに小さなほくろがあるのが特徴的だった。
「これ…」
「あ?見覚えあんの?」
「いや、もしかしたらユイさんのお兄さんのものかも知れない。以前に私の耳を見てそんなことを言っていたから」
「おい、ちょっと」
傑の言葉を遮るように硝子が俺たちを呼んでいる。彼女はユイの机を漁っていたようで、その手には真っ赤な封筒と白い便箋が1枚握られていた。
「これ、相当やばいんじゃない?」
そこに書かれていた内容は、自分に何かあったときに家族のことを頼むものだった。呪術師になるために家族と引き離されたこと、常に自分の家族は監視されていていつ危害が及ぶかわからないこと、自分が死んでしまった時に家族がどうなるかわからないこと。そして、家族の名前や住所などの個人情報が羅列されていた。
「何だよ、これ」
「ここに書いてあることが本当だとすれば、写真はお兄さんの耳で、本家の人間がユイさんの家族に危害を加えたということだろう」
「五条、それ写真1枚だけ?」
「…いや、俺とユイの写真もある」
「ユイさん、卒業したら決まった相手と結婚させられるって言ってた。もしかしたら、五条とのことがバレてたんじゃね?そんでアンタに手出せないから、ユイさんの家族に報復したとか」
沈黙が流れる。誰も何も言わなかった。
「とりあえず、ユイさんは実家に向かった可能性が高いってことよね」
「ああ…悟、お前どうするんだ?」
「はあ?」
傑の視線が突き刺さる。それは俺を責めるものではなく、ただ諭すようなもので余計に腹が立った。
「私がこのまま行ってもいい。ちょうど任務も予定もない。でも、それでいいのか?」
「何が言いたいわけ?」
「……」
「…、わかったよ、行けばいいんだろ。行けば」
そう言うと傑は満足そうに笑った。主導権を握られているようで、それが非常に不愉快だったがそれは口に出さなかった。
「とは言え、向こうがどうでるかもわからない。私も一緒に行くよ」
「先生には伝えとく。ユイさんちゃんと連れて帰って来てよ」
「あー、はいはい」
硝子から住所の書かれた手紙を受け取る。
本音でいえばとても面倒くさい。なぜ俺が迎えに行かなればいけないのか、その意味もわからない。正直、こうなったのは全て本人の自業自得だ。俺も原因の一端を担っていたかもしれないが、そんなものは微々たるもので、そもそもユイの事情に俺が首を突っ込んでいい問題でもないはずだ。
けれど、ただもう1度だけ話したい、抱きしめたい、とただそう思った。だから、迎えに行く。後悔はしない。
Lips on you