03.芒種
気怠い気圧に目が覚めた。
重く閉じられたカーテンの向こうから聞こえる雨音に気付いて、ついつい気分が滅入ってしまう。もう梅雨入りしたんだっけと半分寝たままの頭で考える。そういえば最近ニュースとか見てないのでそれすらよくわからない。兎にも角にもここ連日の雨のせいでどうにも気分が持ち上がらないのは事実が。引きずられるように沈んでいく感じがする。何事にもやる気が出ない。
ベッド下の床に投げ捨てられたケータイを開くと、時刻は17時45分だった。授業が終わって1時間くらい寝ていたようだ。というかこの後任務があって18時に校門集合って言われてなかったっけ?回らない頭をフル回転させて、昼間に言われた担任の言葉を思い出す。多分、そう言ってた気がする。遅刻して怒られるのは嫌だったので、怠い体を引きずってベッドから抜け出す。脱ぎ捨てた制服が点々と床に散らばっているので、ひとまずそれを順番に着込んでいく。アオザイのようなデザインのそれは少し皺がついていた。どうせこの後の任務で大なり小なり汚れてしまうだろうから、細かいことは気にしない。長い髪を手櫛でまとめて、質素な黒い髪ゴムで縛る。壁に立てかけておいた薙刀をケースごと肩から背負って、玄関へ向かった。ここまで準備したけど、とにかく怠い。
時間は多分ギリギリ間に合うかどうかだな、と思いながら手に持っていたケータイを制服の内ポケットにしまう。そして真っ黒い傘を手にして部屋を後にした。
「仁木じゃん」
寮の入口で五条くんに出会す。先日の実習の後くらいから、口は変わらず悪いが話しかけてくるようになった。呼び方もお前ではなく、苗字になった。タメ口なのは前からか。私弱いけど先輩なんだけどな、口には出したことなかったが毎回そんなことを思う。
五条くんは傘を持っていなかったが、髪の毛の一本も濡れてなかった。この季節には便利な術式だ。無駄遣いだとは思うけど。
あまり時間がないので、五条くんの言葉に返事する代わりに左手を上げて応える。そろそろ日も落ちるような外の情景を五条くんの肩越しに見て、任務が早く終わるといいなあと思いながら傘を開いた。
「相変わらず陰気だな、これから通夜にでも行くわけ?」
五条くんの軽口に付き合っている暇はないので、短い相槌を打って通り過ぎようとするが肩口を掴まれたためつい足を止めてしまう。それは女子を引き止めるやり方じゃない。
振り返るとニヤニヤと下品な笑みを浮かべた五条くんがいた。私が困っているのを見て面白がっているのだろう。五条くんとは違って私は人に怒られたらそれなりに凹むのだからやめてほしい。
「時間ないんだけど」
「今から任務?こんな時間に?」
「うん、遅刻しちゃう」
そう言いながら五条くんを振り切って外に出る。雨。多分、朝からずっと降り続いている。制服の裾が濡れるなと思いながら足を進めると、左肩に五条くんが当たってきた。術式あるのになぜ私の傘に入ろうとするのか。手を伸ばしても五条くんに見合った高さまで傘をあげられる気がしないので、肩を小突いて追い出す。
いつもの気まぐれか何か知らないが、そのまま私について来るようだ。術式を使っているようで濡れていない。さっきので私は右半身がそれなりに濡れたのにずるい。というか暇なのか。
「こんな夜からって珍しいじゃん」
「夜しか出ない呪霊らしいよ。詳しいことは知らない」
「大雑把すぎじゃね?強くないんだから、ちゃんと準備したら?」
そりゃあ、五条くんに比べれば誰だって強くないだろう。そう思ったけど、声には出さなかった。それより時間が心配だ、無意識に早足になる。
「てか、お前寝起きだろ。顔浮腫んでるし、髪もぐしゃぐしゃ」
「夜だし大丈夫でしょ」
「ほんとに女として終わってんな」
気付いてても言わないでよ、それ言う時点で五条くんも男の子としてどうなの、と言ってみる。不機嫌になるかなと思って横目に確認すると、クツクツと喉で笑っている。何なんだ。笑うツボがよくわからない。
それから校門までの道を五条くんはいつもの軽口でもってずっと喋っていた。私はそれどころではなかったので相槌を打つばかりで、その度にちゃんと聞けよと言って頭を小突かれた。すぐに手が出るのは悪い癖だ。
校門で待機している補助監督の姿が見えてきたところで、五条くんは「帰るわー」と間延びした声を出してきた道を戻っていった。このところいつも彼の気まぐれに振り回されている気がする。と言うか何なんだ。
夜の闇に溶けていくような五条くんの背中を見送って、私は補助監督さんの元へ駆け寄った。5分遅刻した。
Lips on you