04.片影
毎月恒例の帰省の日が来た。梅雨も明けてだいぶ太陽が高い時期になってきた。これから新幹線と在来線、それからタクシーを乗り継いで帰るのだがそれを考えると毎回気が滅入る。ただこの約束を反故にするとよりややこしいことになるのは目に見えていたので、嫌々ながらもボストンバッグに必要最低限の荷物を詰めて寮を後にした。
修練場のそばを通りかかると、五条くんと夏油くんが何やら組手をしているようだった。いつものように白熱しているようで耳にしたくないような怒号が飛び交っている。あ、夏油くんが投げ飛ばされた。
2m近い男同士の組手は遠巻きに見ているだけでも迫力がある。2人とも術式での戦闘もさることながら、近接戦も常人以上にこなせるなんて後輩ながら羨ましいと思ってしまう。一応、今も時間がある時は五条くんたちに付き合ってもらっているが、それでもまだまだ私の腕は上がらない。筋トレもしているがそんなすぐに結果が出るものでもないので、モチベーションがを維持するのが大変のなんのって。意識が高い訳ではないが近接がもっと上達すれば任務も楽にこなせるようになるだろうと思って取り組んでいる。
ん?いや、そうなってくるより上級の任務が舞い込んでくるようになって結局のところ煩わしさは変わらないのか。どっちもどっちだな、なんて思っているとこちらに気付いたらしい五条くんが私の名前を大声で呼んだ。そばにいる夏油くんが困ったような表情をしているのが手にとるようにわかる。
とりあえず、気分が乗らないので返事もせずにさっさとその場を後にする。背中の方で五条くんのイラついた声が聞こえた気がしたが、今日ばかりは無視を決め込む。新幹線の時間が差し迫っている。
1日振りに高専に戻ってきたが、もう夜も更けた時間だった。22時。寮の共有スペースには誰もおらず、静まりかえっている。みんな任務か何かで出払っているのだろうか、少しの寂しさを感じながらも私はシャワーを浴びた後に自室のベッドに寝転んでいた。薙刀の手入れもしたいし、こないだの任務の報告書も手をつけなければと思うが、どうにも気が乗らない。移動で疲れたのもあるが、しかし帰省するたびにここまで精神力を削られるのはどうにかしないといい加減この生活が破綻しかねない。
チカチカと軽く点滅する部屋の明かりをぼんやり見る。明日は月曜日、確か任務もなければ担任が地方出張のため午前中は実習だったはず。こんなに疲れているのに全く眠くない。ぼんやりとするのに、不思議と頭の奥の方で意識がはっきりとしている。
反芻されるのは帰省中の出来事だった。思い出すだけで反吐が出そうだったが、どうにもこうにも酷く鮮明に脳内で再現されるものだから気分が悪い。あのニタニタと笑う口元だとか、人を不愉快にさせる意図的な話し方とか、全部。
ふと思い立ってケータイを開く。電話帳から五条くんの名前を引っ張り出して、簡易な内容のメールを送信する。部屋にいる、と端的なメールが返ってきたのはそれから5分後だった。ベッドから起き上がってその変に放り出してあった灰色のパーカーを羽織る。下半身はショーツしか履いていなかったので目についた黒いスキニージーンズに足を通した。
帰って来た時と同様に珍しく寮内は鎮まり返っている。いつもは五条くんたちが騒いでいることが多いのだが、彼も自室にいると言うことは他の2人は不在なのかもしれない。そういえば隣室から家入さんの気配は感じ取れなかったっけ。
男女別の寮のため大っぴらに行き来はできないが、バレなければ問題ない。ちょうど人も少ないようで遠くから虫の声が小さく聞こえる。
目当ての部屋にたどり着いてためらうことなくノックをする。わずかに音が漏れているのでまだ部屋の中にいるのだろうが、なんの反応も帰ってこなかったので再度ノックをするとドタドタと足音のようなものが聞こえた。そして間髪入れず勢いよく扉が開いた。
「は?仁木?」
出てきた五条くんは珍しくサングラスをしておらず、真っ青な目がこちらを見据えていた。お風呂にも入った後なのだろう、ほのかに石鹸のような匂いがする。五条くんはゆったりとしたTシャツを着ており、私の姿を視認して訝しげにこちらを見ている。
メールもあれから返信していなかったし、突然夜中に部屋を訪れてしまったのでこればかりは私に非がある。小さく「ごめんね」と言うと、「別にいいけど何の用?」とぶっきらぼうに返ってきた。
「五条くんって今彼女いる?」
「あ?いねえけど、急に何」
「セックスしたい」
そう言い放った瞬間、五条くんは見たことないくらい目を見開いた。そりゃあそれが正常な反応だよな、と他人事のように思っていると五条くんは黙り込んだまま何も言わなかった。流石に引かれたか。仕方ない。
元々無茶な話というのはよくよくわかっていたので、これ以上後輩を困らせるわけにもいかないので「変なこと言ってごめん」とだけ伝えて部屋に帰ることにした。が、腕を五条くんに掴まれてしまう。
驚いて振り返ると何だか焦ったような表情を浮かべる五条くんがいて、こんなふうに私が優位に立てることはもうないんだろうなと冷静に思う。こんな時に何を考えているんだろう、やっぱり私自身動揺しているんだろうな。
「とりあえず、話だけ聞くわ」
そう言って五条くんはため息をつきながら、私を部屋へ招き入れてくれた。これだけドタバタしていても、隣の部屋から何の反応もないということは夏油くんもやはり不在のようだ。
五条くんに手を引かれながら、後ろ手で扉を閉めると五条くんが「鍵閉めろよ、ばか」と嘯いて私に覆い被さる形で鍵を閉めた。大きい影に私が飲み込まれていった。
Lips on you