06.must be silent

私の実家は、別になんてことはない普通の家庭だった。父母と兄と私の4人家族で、四国の県庁所在地にて慎ましやかに暮らす、どこにでもあるようなありきたりな家庭だった。父は長年銀行に勤めており、母は市役所勤め。ひとつ上の兄は小学生から続けていたバスケットボールに精を出していた。

ただひとつ、普通と違ったことは私に呪術師の才があったことだ。父は実家と縁を切っており母の籍に婿入りしていたのだが、この父の実家というのが今の私の苗字の仁木家であり、その血筋は大本を辿ればあの加茂家の分家であった。そうは言っても当時の仁木家ではおよそ3代に渡って術式を持った人間が生まれず、さらには直系のほとんどが呪力さえ持ち得ない者になっていっちめ、完全に凋落してしまった呪術師の家系であった。

けれど、私が術式を持って生まれてきてしまった。父は必死にそれを隠していたがどこからか仁木家に露見してしまったがために、気づけは私は家族と引き離されて生活することになってしまった。ちょうど中学生になったばかりの頃だった。その時にどういう訳か苗字も仁木になっていた。慣れ親しんだ街を離れて、人もろくにいつかない霊峰の麓にある本家での生活は苦痛でしかなかった。

それまでとは違い、私の生活は呪術師になるため、ただそれ一点に重点を置かれるものになった。よくわからない大人たちが立ち替わりやってきて鍛錬と称してはいろいろなことをやらされた。この頃のことはあまりに辛すぎてよく覚えていない。ただ、鍛錬とは大きくかけ離れたソレは多分本家の人の憂さ晴らしもあったのではないかと思う。精神力の強化として何日も水だけで過ごしたこともあるし、ろくに術式の使い方も教わっていないのにその辺の呪霊の祓除に向かわされたこともある。出来が悪ければ躾として何度も打たれ、軟禁された。ただ苦痛でしかない、そんな生活だった。

でも、逃げ出せば隔離されている家族が危険な目に遭うことは理解していたので、いいなりになるしかなかった。呪霊なんかよりもずっと邪悪で狡猾で残酷な、そんな人間たちばかりだった。けれど、私は思いの外適応力が高かったらしく、1年もすればその生活に対して苦痛も感じなくなっていった。不条理とは思ったが、そこの大人たちに反抗することもやめた。大人しくしていれば家族は無事だし、16歳になれば高専に入学することが決まっていたので、今さえ切り抜ければまだマシな生活ができるという見通しがあったから耐えられたのかもしれない。学校にもろくに行かず、くる日もくる日も呪術師としての訓練をする単調な毎日で、私は式神の紫檀とばかり過ごすようになっていた。

高専入学にあたってなるだけ距離を置きたかった私は、在学中に一級になることを条件として東京校への入学を持ちかけた。思いの外、すんなりと了承されたため、私は否が応でも一級術師にならないといけなくなったのは、また別の話だ。

あの日々を地獄と呼ぶのなら、どんなに任務が立て込んでいても、戦いの中で負傷するようなことがあったとしても、どんなに凄惨な現場にぶちあたろうとも今がとても平穏に思えた。
ただ、音も立てずに何か大事なものが失われていったような気がする。それが何なのか、もはや今となってはわからない。
そして、徐々に家族に会いたいとはもう思わなくなった。ただ、どこか遠いところでも幸せに生きていてさえくれればいいと思うようになっていた。気づけば、私自身がひどく希薄になっていって、そういう風にしか生きられなくなっていた。


「紫檀」


式神の紫檀は真っ白な毛並みの狼だ。成人男性2人が乗っても余裕があるくらいの大きさで、基本的に戦闘以外では温厚な性格をしている。顕現させるのにある程度の呪力が必要であるが、それもまた訓練と思って暇な時は高専内でも呼び出していいように許可を得ている。
暖かな日差しが差し込む修練場を気に入っているらしく、いそいそと尻尾を巻いて座り込むので遠慮なくその体に触れてみる。ふわふわとした毛並みが心地よい。そういえば五条くんの髪の毛もこれくらい触り心地が良かった、いいシャンプーを使っているのかな。
紫檀の胴体に顔を埋めると途端に睡魔が首をもたげる。今日は全ての授業が次週になっていたのでこのままお昼寝でもしようかとそのまま重力に身を任せて紫檀にもたれかかる。


「ユイさん」


声をかけられたので閉じかけた瞼を擦って振り向くと、家入さんがいた。その後ろに例のごとく五条くんと夏油くんもいる。1年生たちも自習なんだろうか。


「お疲れ様。みんな自習かな」
「これからコイツらは任務ですけど、私は待機です。触ってもいいですか」
「うん、大丈夫だよ。五条くんと夏油くんは気をつけてね」
「誰に言ってんだ」
「悟」


いつものように五条くんから悪態をつかれるが、夏油くんが即座に諌めてくれる。


「仁木さんの式神ですよね?狼ですか」
「うん。紫檀っていうの」
「白いのに?お前のセンスおかしいんじゃねえの」


五条くんの辛辣な言葉につい笑ってしまう。確かに紫檀はまごうことなき真っ白な狼だ。名前をつけたのは他でもない私なので、そう言われるのも致し方ないことだ。


「悟、言い方。すみません、仁木さん」
「ううん、よく言われるから」
「それで、なんで紫檀っていうんですか」
「いつも祓い終わると呪霊の体液とかで綺麗な紫色に染まるから、紫檀ってつけたの」


夏油くんにそう返すと、五条くんがその横でゲラゲラと爆笑していた。当の夏油くんは何とも言えない、いわゆる苦虫を噛んだ後のような表情をしている。家入さんはマイペースに紫檀の頭を撫でている。


「ほらな、傑。コイツのセンス終わってるだろ」


腹を抱えながら笑う五条くんに夏油くんは何も言わなかった。そんなに笑われることだろうか。実際に色がついたところを見れば納得してくれると思うんだけど、まあこの2人と任務が一緒になることはそうそうないか。


「仁木さん、それあんまり人に言わない方がいいと思います」


頭を抱えた夏油くんにそう言われたので、素直に返事を返す。五条くんは笑いっぱなしだ。もういい加減飽きないかな。笑いのツボがわからない。

Lips on you