08.寒蝉鳴

最強と呼ばれる男にも、人並みに他人に興味や関心を抱くことがあるのだろうか。
珍しく無防備に眠る五条くんを横目にそんなこと考える。規則的で静かな寝息が耳に心地よい。この男は眠っている時が一番絵になるような気がする。
仮に彼が他人に興味を抱いたとして、それは所詮好奇心の延長線上でしかないのだろう。たまたま食指がそちらに向いただけで、全ては気分次第なのだろう。それなりに遊んで味わって飽きたらその時に容赦なく捨てる、そんな気がする。多分、執着なんてものはないんだろう。なんてことが事実であれば五条くんはとんでもなくクズになるが、所詮は他人なので私にわかるはずがない。

なんて、本人が聞いたら顔を顰めそうなことを1人でぼんやりと考える。五条くんとは5ヶ月ほどの付き合いでしかないが、しかし本心の読めない男だ。いつもの軽口が彼自身の本音のようにも思えるし、ただあんまりにも軽薄な喋り方をするものだから私のような薄い付き合いの人間にはその真贋はわかりかねる。
冷房がこれでもかときく部屋で、思わずくしゃみが出る。彼の部屋なので、エアコンの設定温度は全て彼基準になっている。筋肉量その他諸々があまりにも違うので、私からすれば風邪をひきかねない室温でしかない。体の怠さを言い訳にごそごそと布団の中でどうにか暖をとってみるが、しかしいい加減鳥肌も立ってきたので、諦めて床に放り投げた衣類を着る。大きめの白いTシャツと薄手のジョガーパンツ。念のためにパーカーも持ってきておいてよかった。
部屋の真ん中のローテーブルに置かれたケータイを開くと時刻はすでに11時になっていた。不在着信が1件。電話帳に登録されていないその番号を確認して思わず顔を顰める。折り返す気にもならなかったので、そっとケータイを閉じた。

五条くんの部屋は意外と居心地がいい。ゲームやら漫画が乱雑に積み上げられているが足の踏み場がないわけではないし、逆に言えばこの狭苦しさが何というかちょうどいい。私の空っぽの部屋の反対。五条くんの好きなものが溢れている部屋。その部屋にいることで、自分も彼のコレクションの一つのような錯覚を覚えるのもまあ良い感覚なのかもしれない。
五条くんはベッドの上で身じろぎひとつせず眠っている。このあと任務とかないのだろうか。知ったことではないのでとりあえずそのままにしておこう。しかし、嫌味なほどにキレイな寝顔を見て思わずケータイで写真を撮ってしまった。もしバレたら怒られるな、そんなことを思いつつそっと部屋から抜け出した。
廊下に人がいないことを確認して自室へ向かう。ボトムスに入れたケータイが震えたのはそのタイミングだった。嫌な予感がして開くとさっきの不在着信の番号が画面に表示されている。いっそ無視してしまおうかと思ったが、後から折り返す方が面倒くさいと思ったので渋々応答のボタンを押す。


「いつ帰ってくるの」


耳にこびりつく不快な声についつい眉間に皺が寄る。不躾なその声の主は私がなかなか返事を寄越さないことにイラついたようで、再度同じ問いを投げてきた。


「…20日に帰ります」
「なぜ連絡してこないの」
「忘れてました、すみません」


自分でも驚くほど抑揚のない声に相手が苛立っているのが手にとるようにわかる。一刻も早く終話したいがために取ってつけたような謝罪の言葉がさらに火を注いでしまったようだ。
途端にギャンギャンと聞き取れないような声で喚き始めたので、思わず電話を切る。鼓膜が破れるかと思った。すぐに再度電話がかかってきたが、いよいよ面倒くさくなってきたので無視する。必要なことは先ほど伝えたので、もういいだろう。何度も鳴り続ける電話に舌打ちをすると、目の前でクスクスと笑う声が聞こえた。


「わ、夏油くん」
「仁木さんもそんな顔するんですね」
「恥ずかしいから忘れて」


小さな声でそう告げると夏油くんは笑いながら「わかりました」と言った。


「そう言えば聞きましたよ。準一級昇格おめでとうございます」
「ありがとう」


先日何とか準一級に昇格が確定したのだが、どこからそれを聞いたのか知らないが律儀に祝ってくれるあたり気遣いのできる人だと思う。多分、五条くんに言っても鼻で笑われるだけだろうな。


「良かったですね、もう少しで一級ですね」
「そうなの、やっとだよ」
「何でそんな急ぐんですか」


表情は柔和だが鋭いその言葉に、ヒュッと息をのむ。


「別に急いでるわけじゃないんだけど、なんていうか嫌いなものから食べたいタイプなんだよね」
「それ、例えちょっと違いませんか?夏休みの宿題は先に終わらせたい、みたいなことですか?」
「そうそう、それ!」
「仁木さんってたまにそういうところありますよね」
「あ、それ以上は言わないで。夏油くんに言われるとダメージが大きいから」


何て他愛もないことを話していると、背後の方から靴底を擦るような足音が聞こえた。私が振り向く前に夏油くんが件の男の名前を呼ぶ。


「悟」


五条くんはいかにも寝起きといった様相でそこにいた。寝癖のついた髪のままで大きな欠伸を隠すことなくしている。だらりとしたTシャツをきて気怠げにこちらに歩いてきていた。


「傑ちょうど良かったわ、飯行こうぜ」
「ああ。仁木さんもどうですか?」
「私はこのあとやらなくちゃいけないことあるから遠慮するね。ありがとう」


やんわりと断ると、五条くんはこちらに目をくれることもなく夏油くんに肩を組んでそのまま食堂の方へ向かっていった。
私はそれを見送ると、いまだにポケットの中で震え続けるケータイの電源を落とした。さあ、部屋に帰って二度寝しよう。明日は朝から北海道だ。

Lips on you