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「おい、準備できたか?」
「ちょっと待ってね」
荷物の最終確認を終えた鶫は、荷物の傍に置いていた二冊の本を手に取った。
一冊はドイツ語の辞書でもう一冊はドイツ語で書かれた書籍。書籍の方はシンプルな装丁なのでどういった内容なのか外観だけでは判別できない。
「――いよいよ遠征ね」
皆が新しいことを始めるのなら、私もそれに見合う努力をしなければ。
「やべーやべー! 夜中に出発するってドキドキする!」
「前回お前ら遅刻組だったもんな……」
「単細胞は良いよね。何処でも寝られてさ……」
「何だと!?」
今回の遠征の運転手にはOBの滝ノ上が申し出てくれたと武田が全員に話して聞かせ、お願いしあスと澤村を筆頭に部員たちが頭を下げる。深夜ということもあり武田が静かにねっと人差し指を口の前で立てれば、はっとした澤村がつい……と頬を掻いた。
点呼が終わり部員たちが次々とバスに乗り込む中、最近会話をしていない日向と影山を気にした菅原が両者の顔をそれとなく観察するが彼らの様子に特に変わったところはない。山口と楽しげに会話をする日向、そして影山に体調の心配をされている鶫。大丈夫だからと苦笑いをしている鶫の横顔を静かに見つめていたが、偶然近くにいた清水に乗らないのと声をかけられたことで我に返り慌ててバスに乗り込んだ。
「ほら毛布」
「ありがとう」
影山から薄手の毛布を受け取った鶫はそれを膝にかけ、点呼を終えて全員が乗り込んだバスは田舎らしい街灯が少ない道から大通りに出ると高速道路に乗り埼玉に向けて出発した。
「なあなあ、スカイツリーどこ!?」
「えっ、スカイツリー……?」
「あっ、あれってもしかして東京タワー!?」
「えっ」
「あれ!」
「あれは――。……普通の鉄塔、だね……」
先代を出発した翌日。埼玉に到着した一行はやや眠気混じりの中でバスを降りて行く中、日向は何時も以上に元気な様子で周囲を見回し、迎えに来てくれた音駒の黒尾と海が見守る中で――研磨を困らせていた。
普通の鉄塔を東京タワーと見間違える日向に鶫は苦笑いを溢し、黒尾はあの会話デジャブるなと笑いながら宮城には鉄塔がないのかと澤村に絡んでいた。
「東京にある鉄塔は大体東京タワーに見えるんだよ、地方人は!」
「おい暴言。あとここ埼玉な」
菅原が言った通り、此処は埼玉県にある私立森然高校。毎回グループ内の高校が持ち回りで合宿先を変えていて、夏合宿は虫が多いが比較的涼しい森然高校で行われているらしい。森然高校で彼らの到着を待っていたリエーフが日向の姿を見つけると早々に駆け寄り、身長伸びたかと笑いながら声をかけてきた。
「たった二週間で伸びるか!」
「俺は二ミリ伸びたぞ!」
「ガーン!」
割り当てられた宿泊教室に荷物を置いて準備を済ませた烏野の面々はアップを取り、烏養から指示を聞いてそれぞれ持ち場とコートに入って行く。そんな中で日向と影山が会話をしないまま持ち場に着くのを谷地は心配そうに眺めていた。
烏野と梟谷の練習試合は梟谷のサーブからスタート。梟谷のサーブを西谷が正面から綺麗に受け、勢いを殺されたボールは緩やかな軌道を描いてセッター位置へと返される。
「ナイスレシーブ!」
「あのヘンな速攻来るぞ気を付けろ!」
「置いてくる置いてくる……」
相手の声と影山の静かな呟きが交わる中、レシーブと共に飛び出した日向がライト側へと跳び上がる。それを視界に捉えていた影山は日向に向けてトスを上げたが、やや距離が短かったトスは日向の左脇に落下して床へと落ちた。
影山の珍しいミスに烏野の面々だけではなく梟谷の面々も驚いていたが、彼の練習を一から十まで見てきた鶫は予想の範囲内と言うように小さく肩を竦め眉を下げるように微笑んだ。
「どうした影山、らしくねーな!」
「スンマセン……!」
「……」
――日向くんなら気付いたはず。飛雄くんのトスが今までと違うことに。
影山のトスが今までと違うことに日向が気付いた様子を察した鶫が見守る中で試合は進み、得点は09-04と梟谷の優勢。レシーブが影山の元に返り彼は再びトスを上げたが最初とは真逆で、距離が予想していたよりも伸びて右から左へとボールが流れていく。
トスを上げた瞬間に失敗したことを悟った影山が歯噛みをしたが、それを見ていた日向がボールの軌道を先読みして左手を思いきり伸ばし咄嗟にボールを処理して梟谷側のコートへボールを落とす。今までの日向であれば慌てていたのにと目を丸くする菅原を横目に、鶫は着実にお互いの成長を感じ取っている日向と影山を見て微笑みを浮かべた。
「……」
……また、トス “落ちてきた”
ちょっと通り過ぎたけど。
「……」
「……」
……コイツ、前と違う。
以前と違うのは日向と影山だけではない。未だにコースが調整出来ない東峰のジャンプサーブ、噛み合わない菅原のシンクロ攻撃、西谷のバックゾーンから踏み切ったトス――。噛み合わずちぐはぐで、点が稼げない練習試合。いよいよ梟谷のセットポイントに入ったそれを見ていた音駒のコーチが烏野は調子が悪いのかと心配そうに呟いたが、猫又監督はその逆じゃないかと口角を上げて笑う。
「カラスだけあってさすがの“雑食性”」
深い山の奥だろうと歌舞伎町のど真ん中だろうと、食べられるモノは全て食べ、自分より強い者は利用し生き残る。
「恐らくあれは驚くべきスピードで進化している途中だよ」
猫又監督とコーチの会話を聞いていた鶫の視線は、コート内でスパイクをブロックし切れなかった月島へと向けられていた。月島のブロックが弾かれたことで練習試合は梟谷の勝利で終わり、烏野の面々はペナルティである裏山坂道ダッシュをする為に体育館から出て行く。
その中でひと際背の高い月島の後ろ姿を見ながら、鶫は複雑な表情で眉を少し下げた。
「……」
――確かに皆それぞれ成長の途中。やれることは全てやってみる、持ちうる全てを使い倒す。
でもたった一人だけ――その流れから取り残されている。
「絶対に置いていかない」
少しして烏野の面々が“森然限定! さわやか! 裏山新緑坂道ダッシュ!”を終えて帰ってきたが、森然と生川の練習試合の1セット目は終わっていなかった。
「サッこいやー!!」
「!」
「うおっ! やっぱサーブスゲーッ!」
「うおー! どシャット!」
二校の試合を凄い凄いと言っている日向と山口の傍にいた鶫はくすくすと笑い、今まさに見ていたプレースタイルを口にした。
「サーブ&ブロックね」
「サーブ&ブロック?」
「サーブで体勢を崩して相手の攻撃手段が絞られたところでブロックで叩く方法のこと」
サービスエースの次に理想的な攻撃の形ねと鶫が説明をすれば、誰よりもサーブを練習している山口がこれがサーブ&ブロックというプレーなのかと舌を巻いた。
「くっそタラコめ……」
「ブロッコリー……」
「ヤメロ、食べ物に失礼だぞ」
「なんだと!」
「……ハア―ッ」
見事全敗。
「いっそ清々しいな」
「こんなにダッシュしたのは烏養監督がいた時以来っス……」
初日の練習試合を全敗し裏山ダッシュを最もこなした烏野の面々は、日が暮れた坂道で力尽きて倒れ伏していた。
疲れた体を夜風に当てて休ませていたが、澤村が烏養にタブレット端末を借りてシンクロ攻撃の動画を確認しようと言ったのをきっかけに他の面々も各々の自主練へ向かう為に腰を上げていく。顔の汗を拭いていた山口もサーブの練習をしようと思い立ち、タオルから顔を上げ近くにいた月島に顔を向けた。
「今からサーブやるんだけど、ツッキーは――」
「僕は風呂入って寝るから」
「そ、そっか。……あの」
「何?」
「ツッキーは何か、自主練とかしないのかなと思って……」
「練習なんて嫌って程やってるじゃん。ガムシャラにやれば良いってモンじゃないでしょ」
「そ、そうだね……」
「じゃあそういうことだから」
何かを言いたそうにしている山口に背を向けて第一体育館を出て行く月島。その二人の会話を聞いていた鶫が月島の後を追い第三体育館の前に差し掛かったところで呼び止めようとしたが、それよりも早く彼を呼び止める声が第三体育館の中から響いてきた。
「あ! チョットそこの! 烏野の! メガネの!」
「!?」
驚いた月島が顔を向けた先には、彼を呼び止めた黒尾と梟谷学園のエースである木兎の姿があった。彼らが練習の後に此処で自主練をしていることを鶫が思い出した中、一瞬だけ驚いた顔をしていた月島が直ぐににっこりと微笑んだ。
「あっ、僕もう上がるので失礼しまーす」
「何!?」
月島の性格を考えれば迷いなく断ると予想していた鶫が少々苦笑いをする中、ブロックなしでスパイク練習しても意味ないんだよと木兎が食い下がった。月島はそんな木兎に面倒臭そうな顔をしつつも梟谷の人はいないんですかと問いかければ、それに答えたのは彼らの練習に付き合っていた赤葦だった。
「木兎さんのスパイク練際限ないから、皆早々に逃げるんだよ」
「!」
「俺はコイツ鍛えるのに忙しいんだよね」
「だからっ! 俺がブロック跳びますって!」
「うるせえ。音駒でレギュラー入ってたかったら、まずそれなりのレシーブ力つけろ」
「うぐう!」
至極尤もなことを言い返されたリエーフはそのまま床に倒れ伏し、黒尾はリエーフから木兎へ視線を移す。
「見えないかもしんないけど、コイツ全国で五本の指に入るスパイカーだから練習になると思うよ」
「三本の指にはギリギリ入れないですかね……」
「ドンマイ」
「落とすくらいなら上げないでください!」
「……」
「――それに」
君、ミドルブロッカーならブロック練習した方が良いんじゃない?
「!」
その黒尾のひと言は月島を煽るには十分で、彼は黒尾の思惑通り静かに第三体育館へ足を踏み入れていく。一部始終を見ていた鶫はそのまま第三体育館の出入り口にそっと歩み寄り、彼らの動向をそっと見守ることにした。
第三体育館の中は既に黒尾とリエーフ、そしてコートに入った木兎と赤葦と月島の姿しか見られない。早速赤葦のトスを受けた木兎が跳び上がり、彼の視線や動きを読んでストレートだと判断した月島が冷静にブロックの位置を変えたが、木兎の技術とパワーがそれを上回り月島のブロックを打ち抜いた。
「っしゃあ!」
「一枚ブロックに勝っただけっすよ」
「うっせーな!」
「じゃあ二枚でどーだ」
「!」
床に倒れ伏したリエーフを放置した黒尾がコートに入り、赤葦が再び綺麗な曲線を描きながらトスを送る。その起動を見ながら黒尾と月島はネットと平行に移動し、黒尾は待ってましたとばかりに指先を動かした。
「メガネ君はストレートをキッチリしめとけよ!」
言われた通りストレートを締めた月島と黒尾が木兎のジャンプに合わせてブロックに跳ぶ。スパイクの軌道は黒尾からややレフト寄り、それに気付いた黒尾は不敵な笑みを浮かべると同時にブロックの方向を変え重い音と共にボールを相手コートへと叩き落とした。
「ウエーイ」
「くっそ!」
叩き落してやったと笑う黒尾と悔しげな木兎。そんな二人をぼんやりと見ていた月島に“読み”は良いんだけどなあと木兎は唸り、的確だがストレートすぎるひと言を口にした。
「弱々しいんだよな、ブロックが。腕とかポッキリ折れそうで心配になる。ガッ! っと止めないと、ガッ! と」
「僕はまだ若くて発展途上なんですよ。筋力も身長もまだまだこれからなんで」
「むっ!?」
しかし本当に月島の“ある部分”を突き刺したのは黒尾の言葉だった。
「悠長なこと言ってると“あのチビちゃん”に良いトコ全部持ってかれんじゃねーの。同じポジションだろ」
偶然が重なり、月島の患部が空気に触れた。
しかしそのことに気付いたのは黒尾でも木兎でもなく、第三体育館外で彼らを見守っていた鶫だった。
「それは仕方ないんじゃないですかねー」
日向と僕じゃ元の才能が違いますからね。
月島のそのひと言が響いた第三体育館に音駒の面々が訪れたことに気付いた鶫は、反射的にドアの陰に身を隠す。音駒の面々とすれ違うように月島は第三体育館を後にし、鶫は月島の背中を追いかけた。
しばらく歩いた月島が何かを思い出すように第一体育館の方向へ引き返したので、鶫はまた物陰に隠れてやり過ごす。月島は彼女に気付くことなく、第一体育館に置き忘れたサポーターを手に取った。
其処では月島を除く烏野の面々が自主練をしていたが、彼はその様子を遠巻きに眺めただけでその輪に加わることはしなかった。
「――たかが部活だろ」
そのひと言に耳を傾けていたのは鶫ただ一人。
なんでそんな風にやるんだ。
そんな風にやるから――。
「……」
月島の脳裏に蘇ったのは遠くて近い記憶。暗い室内にある棚から床に散らばったバレー雑誌の数々とトロフィー、その中でジャージを握り締め床に蹲る人影。
「――あとで苦しくなるんだろ」
まるで自分に言い聞かせるような言葉。
月島の後を追いかけていた鶫はその言葉を聞くと、それ以上彼の背中を追いかけることができなかった。