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「明日の予選で二回勝てば、十月の代表決定戦へ進出できます」
全日本バレーボール高等学校選手権大会・宮城県代表決定戦の一次予選トーナメント表を見ながら武田は部員たちに部活前のミーティングで話をしていた。
「この一次予選を突破した八校に強豪八校を加えて十月の代表決定戦となります」
「一次予選は二回しか試合できないんですかっ」
「俺たちはIH予選でベスト16まで行ってるから今回の一次予選一回戦は免除になってるんだよ」
「フォオ! おれ達スゲーッ!」
「今の君達なら必ず通過できます! いつも通りやりましょう!」
「っしゃあああああ!!」
武田のひと言で鼓舞された部員たちが練習に向かう中、ミーティングに参加していた谷地がいよいよ公式戦が始まる緊張感で体を震わせていた。そんな彼女を落ち着かせるように鶫はその震える背中を撫で、清水は初めての大会だもんねと笑う。
「私には、最後だ」
「!」
「潔子先輩」
清水の何気なくも思いが籠ったひと言に谷地の目尻がじわりと滲み、鶫は慌ててタオルを差し出す。谷地の様子に気付いた清水も慌てて彼女に駆け寄って、心配そうに顔を覗き込んだ。
「ゴメンゴメン! 涙目にならないで!」
「なってないっス! 蚊が入っただけっス……!」
「蚊が!?」
「なに熱心に見てんだ先生」
「ああ、烏養くん」
部員たちが練習を始めた傍らで何かを真剣に読んでいた武田に烏養が声をかければ、彼は神妙な面持ちで持っていた冊子に視線を落とす。
「いやあ、ウチの一年生も凄いんですが他にも凄い一年生が居るものだなと思って……」
「……ああ、“そいつ”か。確かにな」
武田の視線の先にあった学校とその人物を見た烏養は武田の言いたいことを察して頷くと、明日も一筋縄では行かなそうだなと溢した。
「鶫、コレ」
「?」
「そろそろ次の聴きたいかと思って」
「ありがとう、月島くん」
「お礼はいらないって何時も言ってるでしょ」
部活終わりに月島が差し出したのはあれから何度か鶫とやり取りしているお勧めの洋楽のCD。渡す枚数は収録されている曲数によってまちまちだが、月島は見計らったようにいつも程よいところで次のCDを貸してくれるので鶫としてはありがたい限りだった。
「この前のはどうだった?」
「ロック調で新鮮だったかな。聞いていて気分が上がるような――特に二枚目の曲が好きだったかも」
「あの系統が嫌いじゃないなら今日貸した四曲目も気に入るかもね」
「そうなんだ、楽しみ。覚えておくね」
「うん」
そして洋楽についていけない影山が鶫の隣でこちらを睨んでくる様子をさり気なく見て、これ見よがしにニッコリ笑うのが月島のささやかなルーティンになりつつあった。
今日も悔しげな影山の顔を拝むことができたと満足気な月島はいつも通りの道を通って自宅に帰ると、今日も疲れたと言いたげにやや気怠げな様子で自宅の引き戸を開けた。
「……ただいま」
「あ、帰って来たんじゃない?」
「うわ蛍、背伸びたな」
「!」
玄関で靴を脱いでいた月島の背後から聞こえてきたのは、何時もは自宅で聞こえないはずの声だった。
「……兄ちゃん」
「おう、久しぶり」
まずは風呂入って飯にしようと月島の兄・月島明光がリビングへと戻っていく。月島は兄が帰ってきていることと自分に声をかけたことに戸惑いながらも風呂と食事を済ませ、明光に誘われるまま庭に出た。
「蛍と話すのすげー久しぶりだな」
「……そうだっけ」
「俺が帰ってきても、お前飯ん時以外部屋に籠りっきりだし」
「……そうだっけ」
やや気まずそうにしている月島に明光は彼の顔を見て少しだけ笑った。
「お前なんか顔つき変わったな」
「え?」
「遠征行ってたんだろ? キツかった?」
「フ、フツー……」
「“キツかった”って顔してんぞ」
この暑さじゃ遠征先でもバテてただろと明光は笑い、拾い上げたバレーボールをバスケットゴールの方に向かって構えバックボードにボールを弾かせながらレシーブを続ける。ボールが弾む軽い音が静かな庭にしばらく響いていたが月島がゆっくりと口を開いた。
「……今でもバレーやってるんでしょ」
「おう。チームに入ってるよ」
「大会とかあるの?」
「おう、出るよ」
「……」
何か言いたげな月島の様子を察した明光は返ってきたバレーボールをキャッチし月島の方へ顔を向けた。
「“高校であんなだったのになんでまだやるの?”――って?」
「!」
弟の前で虚勢を張り、蓋を開けてみればベンチにも座れない観客席にいた兄。
「高校で“あんな”だったからだよ」
「!」
「今思い出してもクソ悔しいし“良い経験した”って消化もできない」
お前にもみっともないトコ見せたしなと苦笑いをした明光は、自分の右手を見つめてから真っ直ぐに前を見据えた。
「何もやってないんだ。高校で俺は」
バレーの気持ちいいトコ、全然やれてない。
「――でも、もう知っちゃったんだ。バレーが“面白い”ってことも」
スパイク決める気持ちよさも、歓声の誇らしさも。
「!」
「気が済むまで本気でやれる場所にいたい」
「――そう」
“その瞬間”が有るか、無いかだ。
「……そうか」
明光の言葉と合宿での木兎の言葉で腑に落ちた月島は、その話題についてそれ以上言及しなかった。
「そういや明日から大会だって?」
「うん、春高の予選」
「お前一年なのにレギュラーなんだろ? 凄げえじゃん」
「僕がレギュラーなのは身長があるからってだけだから」
「うおおおい! 世の中に身長を羨む奴がどんだけ居ると思ってんだ!」
170センチの奴は190センチの奴より20センチも多く跳ばなきゃいけないんだぞと明光は言い、身長も才能なんだから誇りに思えと口酸っぱく話す。
「高校男子は身体も出来上がってないし、プレー自体が未完成だ。だからこそ一人の大エースとか一人のチョーデカい奴がいることが勝敗を分けることだってある」
「僕“超”がつくほどデカくないけど」
「身長はそれだけ武器だって話してんだろ! 可愛くねーな、もー!」
190センチ近い男に可愛さ求めないでよと言う月島に可愛くねえと明光は眉を寄せ、そういえば他にどんな一年がいるんだと話題を振る。月島は何時もいる山口のことは割愛し、小さいのによく跳ぶ日向のことやいけ好かないが技術はある影山のこと、最近入ったばかりの谷地のことを話した。
「へえー、面白いメンバーじゃん」
「それから舞雛」
「そいつのポジションは?」
「マネージャー」
「へえ、男?」
「女子。名前は舞雛鶫」
「へー、可愛い? 綺麗系?」
「どっちかと言えばかわ――」
「……」
「……別に関係ないでしょ」
釣られて口を滑らせるところだったと月島はギリギリのところで踏みとどまったが、ほぼ言ったに等しい言葉を聞いた明光は少しにやにやと笑って青春してるんだなあとからかった。
「そんでその子はマネージャーとしてサポートしてくれてるって訳か」
「それだけじゃないけどね」
「ん?」
うちのチームの参謀
「……マネージャーが?」
「元選手で経験豊富だよ」
「舞雛、鶫……?」
「兄ちゃん世代が違うから知らないんじゃない」
「オイ!」
さり気なく年齢差を指摘されたことに明光は突っ込みを入れたが月島は気にした様子もなく、偶然リビングに置いたままにしていた月バリを持ってくると鶫が記載されているページを見せた。その記事を見た明光は有望選手だったんだなあと溢したが、どうして彼女が選手を辞めたのかは聞かなかった。
「へえー、可愛い子だな」
「……」
「そんな顔するなよ!!」
やや冷めた顔を向けられた明光はそういう意味じゃないからなと付け足し、それにしても彼が何時もより饒舌に他人の話をするのは珍しいとぼんやり考える。そして同時に“つまりそういうこと”ではないかとも考えた。
「良い子そうだな」
「まあ性格は悪くないよ」
「それに可愛いし」
「……その辺りの女子と比べればね」
「へえー」
「……」
これ以上余計な情報を与えるのは得策ではないと察した月島は縁側から腰を上げ、どこ行くんだよと言う明光を置いて自室に戻った。リビングから持ってきた月バリを机に置き、愛用のヘッドホンをつけると適当にセットリストの曲を流す。適当に流した曲は偶然にも今日鶫に貸したばかりのCDの曲だった。
机に置いた月バリの記事にはカメラに抜かれた鶫の姿があり、月島はそれをぼんやりと眺めながら椅子の背もたれに体を預ける。ほんの少しだけ椅子が軋んだがヘッドホンから流れる音楽で月島の耳には届かなかった。
「……」
“上を目指したい”と思うことに、理由や理屈って必要?
「私、月島くんが恰好良いところ見てみたい」
「……いやまさか」
君が言ってた“恰好良い”ところってやつ、見せてあげなくもないから。
「――はあ」
すとんと何か腑に落ちたような感覚に月島は諦めたように息を吐き、顔に出さないようにするのは得意だけどと呟くと同時にぼんやりと浮かんだのは、彼女の傍を番犬のようについて回る黒髪の同級生と笑顔を絶やさないがチャンスは逃さない先輩の顔だった。
「……厄介なことに顔突っ込んだ気がする」
「あ、流れ星」
偶然見上げた夜空にひと筋の星が流れた瞬間を見た鶫はバレーボールを放るつもりだった手を止めた。彼女の声に釣られて影山は振り返るように夜空を見上げたが当然流れ星は消えていて、静かに瞬く星を眺めることもなく視線を彼女の方へ戻した。
「そろそろ帰るか」
「分かった」
「ボールくれ」
鶫からボールを手渡された影山は慣れた手つきでボールをネットにしまい、河川敷にある広場から土手の上へと上が帰路を歩く。夏場で日が伸びているとはいえある程度暗くなった時間帯になれば人通りは殆どなく、遠くの大通りから車が行き交う音がかすかに聞こえるだけの静かな道だった。
「明日、朝お前ん家行くから待ってろよ」
「うん、分かった」
「それから――」
「家に帰ったら体を温めてから寝ること」
「!」
「そうでしょ?」
「……ああ」
よく覚えてんじゃねーかと言えば毎回練習に付き合ってそのたびに言われれば覚えるよと鶫は笑い、今日はミルクティーを飲んでから寝ようかなと目尻を下げた。ふわりと花が綻ぶように微笑む鶫に一瞬ぼんやりとした感覚になった影山だが不意に肌を撫でた風でハッと意識を戻し、なにポヤポヤしてんだと眉を寄せた。
「飛雄くん、難しい顔してどうしたの?」
「なんでもねえ」
「? それなら良いけど……」
最近そうやって考え込むの多いよね。
「……あ?」
「最初は気のせいかなって思っていたけど、たまに難しい顔をしてるから何か考え込んでいるんだろうなって」
「あー……」
「もし私で良ければ話を――」
「それはいい!!」
「!」
「あ」
悩んでいる当本人にお前のことで悩んでいるとは言い出せなかった影山は脊髄反射で鶫が良かれと思ってした提案を遮るように声を張ってしまい、言った後にはっとして彼女を見れば案の定鶫は驚いた顔をしていた。
「いや、その、そういう意味じゃねえ」
「……」
「あー、だから、その――」
どう言ったら良いか分からずしどろもどろに言葉にならない言葉を口にしながら難しい顔をしている影山をぼんやりと見ていた鶫は胸元の服をきゅっと握り、どこか寂しそうな目で困ったように微笑んだ。
「飛雄くんにも言えない悩みくらいある、よね」
「いや、だから」
「いいの、無理に聞きたい訳じゃないから」
「鶫」
気が利かなくてごめんねと微笑む鶫は申し訳なさそうな顔をしていたが、その目は少しだけ寂しさを滲ませていた。いくら鈍感で気が利かない影山でも流石にまずいと思ったのか鶫の手を引き、目を丸くして振り返った彼女に一瞬だけ息を飲んで口を開いた。
「お前は悪くねえ!!」
「と、飛雄くん?」
「俺が勝手に……こう、モヤモヤしたりイライラしたりしてるだけだ!」
「う、うん……?」
「お前に話したくないことなんかひとつもねえ!」
「!」
「今までなんだって話してきただろ」
「そう、だね」
そういえばそうだったといつも通りに笑う鶫に影山はほっと胸を撫で下ろしたが、先程口にしたばかりの“話したくないことなんてひとつもない”という言葉が喉の奥で引っかかり思わず少し俯いた。
話したくないことはひとつもない、
だがここで話せないことはある。
「……」
「飛雄くん?」
「春高――」
「え?」
春高がどうかしたのと鶫が聞き返すと影山は俯いていた顔を上げて彼女の肩を両手で掴み、いつもよりほんの少しだけ顔の距離が近い場所で彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「春高出場を決めたらお前に言いたいことがある」
今言うことができないのなら、
言える自信がついた瞬間に。
「……それって、仮に春高に行けなかったらどうなるの?」
「そんなこと言うんじゃねえよ!」
「私もこんなこと言いたくないけど、どうなるのかなって思っちゃって……」
「お前なあ……」
ふと思ったらどうしても気になったのと苦笑いをする鶫に気が抜けた影山は先程までの難しい顔が嘘のように眉を下げて笑い、彼女の頭をくしゃりと撫でて口角を引き上げるような笑みを浮かべた。
「一緒に春高行くに決まってんだろ」
「……ふふ、そうだね」
「そん時は日向の馬鹿といけ好かねえ月島とか一緒だけどな」
「そういうこと言わないの」
「分かってるっつーの」
「もう」
「まあとにかくそういうことだ」
ちゃんと覚えとけよ。
「約束だからな」
「うん分かった、約束ね」
――8月11日。
全日本バレーボール高等学校選手権大会。
通称・春の高校バレー。
宮城県代表決定戦一次予選、開始。