「……なるほどなあ」
「黙っていてごめんね」
「いや、話してくれただけ良いよ」

 まあその上司とやらには苛々するけどなと口元を引き攣らせる明光に私は苦笑いをすることしかできなくて、明光が淹れてくれた紅茶に口をつける。

 時計の短針が8を指す頃、静かなリビングに明光の長いため息が響いて私の頭を撫でるようにそっと手を置いた。

「蛍にも話したんだろ?」
「うん。此処に来る途中に」
「だからあんなにすっきりした顔してたんだな」
「そう?」
「何だかんだ言ってても分かりやすいよ、アイツは」

 普段はツンツンしてる癖になと困ったように笑う明光。蛍ちゃんは基本的に素直で良い子だと思うんだけど……難しい年頃だからなのかな。

 今はお風呂に行っていて此処にはいない蛍ちゃんの顔をぼんやりと思い浮かべていた私の頭に手を置いていた明光は、何を思ったのか私の頭をくしゃくしゃと撫でてきて顔を覗き込んできた。

「それで?」
「なに?」
「蛍にはなんて返事したんだ?」
「返事って――」
「兄ちゃん、余計なことしないでよ」
「おっと」

 なんのことと聞こうとした時ちょうど蛍ちゃんがお風呂から上がってきて、明光がぱっと私の頭から手を離した。まだ髪を乾かしていない蛍ちゃんは首にタオルを下げたままで、ちょっとだけ不機嫌そうな顔をしている。

 蛍ちゃんが髪を乾かさないままこっちに向かって歩いてくると、明光はそれと代わるようにして風呂行ってくるとリビングから出て行ってしまった。

「……全く」
「蛍ちゃん、髪乾かさないと風邪引いちゃうよ。ほら、ここ座って」
「えっ」
「ほらほら」

 私の隣に座るように勧めると蛍ちゃんは少しだけ目を丸くして、ちょっと迷った顔をしてからそこに座った。そんなに遠慮することないのにと少しだけ笑って蛍ちゃんの首からタオルを浚うと、癖毛の髪を拭いていく。

「蛍ちゃんの髪、昔から変わらないね」
「どういう意味?」
「ふわふわで触り心地が良いなって」
「……僕は、名前姉ちゃんの髪の方が羨ましいけど」
「そう? アイロンで巻いてもすぐ戻っちゃうからアレンジしにくいよ」
「僕はそういうのしないから分からない」
「それもそうだね。やってもヘアワックスくらいかな」

 男の子だしねと笑いながら髪を拭いていく名前姉ちゃん。まだ子ども扱いされているような気がして少しだけ不満だったけど、不思議と前みたいに胸が痛くなることはなかった。

 少しして名前姉ちゃんは指先で僕の毛先が湿っていないか確かめるように触ると、大丈夫そうだねと満足そうな声色で言った。

「はい、タオル」
「……ありがと」
「どういたしまして。あ、そろそろ帰らないと。あんまり遅くまでいたらおばさんにも迷惑だろうし」
「別に気にしなくて良いと思うけど」
「それに明日起きられなくなっちゃうし」
「……じゃあ送ってく」
「大丈夫だよ」
「駄目。暗いし危ないから」

 それだけは譲れない。

 タオル置いてくる間に靴履いて待っててと押し切るように言って脱衣所の籠にタオルを放り込んで玄関に行くと、名前姉ちゃんはちゃんと其処で待っていてくれた。



「そういえば今日体育館で案内してくれた子はお友だち?」
「え?」
「黒髪でそばかす顔の元気な子」
「……ああ」

 そういえば名前姉ちゃんが来た時は山口が教えてきたんだっけ。とりとめもないことで覚えてもいなかったことを聞かれて、そういえばそうだったと思い返す。

 昔から友だちは少ない方だった。小学生の頃に山口と知り合ったけど、名前姉ちゃんとは一度も会ったことなかったから知らないのも当然かもしれない。

「小学校からの腐れ縁みたいな感じ」
「そんなに付き合いが長いんだ。仲がいいんだね」

 男子バレー部の人たちも良い人ばかりみたいだしと安心したように言う名前姉ちゃんの横顔から何気なく空へ視線を移せば、名前姉ちゃんも釣られて上を向く。

 夜空は何時も通り別段代わり映えしないはずだけど、何となく綺麗に見えた。……多分、名前姉ちゃんと一緒にいるからそう見えるだけ。つまり気のせいだ。

「向こうにいた時は夜空なんて見る暇なかったなー……」
「こっちにいてもあんまり見ないけど」
「季節で星の位置が変わるから面白いよ」
「ふーん」
「習わなかった?」
「知ってるけど、別に見ようとは思わなかった」

 考えてもいなかったと溢しながら見上げた夜空は、やっぱり何時もより少しだけ綺麗に見える気がする。

「ねえ蛍ちゃん」
「何?」
「私、蛍ちゃんと夜空が見られて嬉しいよ」
「……」

 些細なことだけどとても嬉しいと言った名前姉ちゃんの笑顔は夜空より綺麗で、昔と変わらない優しさが滲んでいる。

 あの頃は見上げて後ろをついていくだけだった僕、あの頃は僕の手を引いて歩いていた名前姉ちゃん――変わらないと思っていた距離は、色々な意味で昔と変わっていた。

 




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