「あれ、雨だ……」

 日が暮れてきたのを見てカーテンを閉めようとしたら、窓の外が暗いことに気が付いた。暗い雲の間からポツリポツリと降り出した雨は次第に強くなってきて、大雨とは言わないけれど傘なしに帰るには少しだけ強い雨足に変わるまでそう時間はかからなかった。

 ……そういえば、朝ゴミ捨てに行く時に蛍ちゃんと偶然会ったけど、傘持ってなかった気がする。

「うーん」

 準備の良い蛍ちゃんのことだから折り畳み傘のひとつくらい持っている気がするけど、もし持っていなかったら学校から家まで雨に濡れて帰らなくちゃいけない。学校から家まで近くはないし、走って帰ってきたとしてもこの雨だとずぶ濡れになっちゃう。

 試合も控えているわけだし、体調不良になって練習ができないなんてことになったら大変。

「……よし、迎えに行こう!」

 そうと決まればと準備を急いで済ませて家を出た。歩き慣れた道を進んで学校に到着して真っ直ぐに第二体育館に向かうと、中からボールをスパイクする音やシューズのスキール音が沢山聞こえてきた。時間的に部活後の自主練習だと思うけど……部室前とかですれ違っていないと良いな。

「ええと蛍ちゃんは……」

 ――いた。

 体育館の窓から中を覗き込めば、蛍ちゃんの姿は直ぐに見つけられた。ぱっと見ても男子バレー部の部員の中でも蛍ちゃんは一番背が高い。体格は他の子に負けているかもしれないけど、バレーボールでは身長は大きな武器になることを私はよく知っている。あの頃、明光も身長が欲しいってずっと言ってたっけ。

 懐かしいなあなんて思いながら蛍ちゃんの姿を目で追っていたら、蛍ちゃんとネットを挟んで反対側にいた坊主頭の子とヘアバンドをした子がスパイクを打つために跳んだ。ブロックは蛍ちゃんを含めて二枚。どちらが囮なのかと私が目を凝らそうとした瞬間、蛍ちゃんの目が静かに動いたのが見えた。

「――……」

 状況を冷静に判断して、ネットと平行に横へ動く。セッターが上げたトスが運ばれた先にいたスパイカーの目の前に静かに移動して跳んだ蛍ちゃんの長い腕は相手のスパイクを叩き落し、コートへ沈ませた。

「……凄い」

 蛍ちゃん、恰好良い。

「良いプレーするなあ……」

 スパイクを落として悔しがる相手に得意げな笑みを浮かべていた蛍ちゃん。こんな顔もするんだなあと考えながらしばらく練習を見ているとあっという間に自主練習は終わって、部員たちはそれぞれに片付けを始め出す。床にモップをかけたりボールを籠にしまったりと忙しなく動く中で、ふと色素の薄い髪の男の子と目が合った。ええと確かあの子は……菅原くん、だっけ。

 菅原くんが私に気が付くとちょっとだけ目を丸くして、モップをかけていた蛍ちゃんの肩を叩いて話しかけているのが見えた。菅原くんの話が終わるより早く蛍ちゃんの顔がこっちに向いて、私の姿に気が付くと驚いた顔をした。ずっと此処にいたけど、気付いていなかったみたい。

 蛍ちゃんはモップを持ったままこっちに歩み寄ってくると私が覗いていた窓を開けて、少しだけ渋い顔で私を見下ろした。

「名前姉ちゃん、何で此処にいるの?」
「雨が降ってきたから」
「え?」
「蛍ちゃんが傘持ってなかったら大変だと思って迎えにきたの」

 雨に濡れたら大変でしょと微笑んだら、蛍ちゃんはさっきよりも眉を寄せて渋い顔をする。……もしかして傘持ってきてたのかな。

「……あのさ」
「うん?」
「そういうことは、あんまりしないでよ」

 ちょっと変な気持ちになるから。

「え?」
「いや、やっぱりしても良いけど」
「え、ええ?」
「でも僕だけにして」
「……」
「急いで片付けるから、部室棟の下で待ってて」

 それだけ言って窓を閉めて背中を向けた蛍ちゃんの耳は、少しだけ赤かった。



 今日あの人来てるよとスガさんが名前姉ちゃんが来ていることをこっそりと教えてくれた。大声で呼び止めることも教えることもできるはずだけど、前に田中さんや西谷さんが煩かったことを気にして気を遣ってくれたらしい。

 何の用事かと窓を開けて名前姉ちゃんと話しをしてみれば、”雨が降ってきたから迎えに来た”というだけの単純な用事だった。でも、ただそれだけのために支度をして家から此処まで歩いてきて此処でずっと待っていたのかと思うと――少しだけ変な気持ちになる。

「……そういうところが、もどかしいんだよ」

 誰もいない用具室に、モップと誰にも聞かせられない独り言も一緒に放り込んだ。



「――お待たせ」
「ううん、大丈夫だよ」

 着替えを手早く済ませて部室棟を出れば、名前姉ちゃんは下で待っていた。部室棟の下で待ち合わせをするのもどうかと思ったけど、傘を使うことを考えるなら校門で待ち合わせをするわけにはいかない。田中さんたちにはちょっとだけからかわれたけど、全部無視したし大地さんが間に入ってくれたお陰で大事にはならなかった。

 そんなことが起きているなんて知らない名前姉ちゃんは何時も通りの笑顔を浮かべていて、自分で差している方とは別に持っていた傘を僕に差し出してきた。真っ黒で大きな傘は、名前姉ちゃんのおじさんの物だ。昔は大きい傘だなんて思ったこともあったけど、今ではそんなこと思わない。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 名前姉ちゃんから傘を借りて広げればパタパタと雨が傘に跳ね返る音がする。少しだけ雨足の強い道を肩を並べて歩き始めると、名前姉ちゃんは不意にふふっと笑って僕の方を見上げてきた。

「どうかした?」
「蛍ちゃん格好良かったなあって」
「……え?」
「窓の外からちょっとだけ練習見てたの。ブロックした時の蛍ちゃん、とても格好良かったよ」
「……」

 一体どこからどこまで見られていたのか、名前姉ちゃんは僕の練習風景をずっと見ていたらしい。前に来た時にはいることを知っていたから変にボロを出すことはしなかったけど、今日は知らない内に見られていたから変に思われたところがあるかもしれない。

 ……子どもっぽいとか思われていたら嫌だなんていう不安は、一瞬で杞憂に終わった。

「早く試合で見たいな、蛍ちゃんのブロック」
「……別に練習と然程変わらないと思うけど」
「そんなことない! 絶対に違うよ!」
「そう?」
「絶対にそう」

 そう言い切った名前姉ちゃんの笑顔はとびきり輝いていて、それを見た瞬間に僕の胸の奥からぐっと“何か”がせり上がってきた。

 熱くてじりじりと胸の奥が焦げていくそれを堪えるには、どうにも僕はまだ“子ども”らしい。

「――名前、姉ちゃん」
「蛍ちゃん?」
「もう、そんなこと言わないでよ」

 変な気持ちになる。

「……蛍、ちゃん」
「……名前姉ちゃんのせいだ」

 バサリと落ちた黒い傘が風に煽られて道の端に転がる頃には、僕の腕の中に名前姉ちゃんがいた。

 少し前までは手を引かれながら見上げていた名前姉ちゃんも、今は僕の視線のずっと下にいて抱き締めてしまえばすっぽりと収まってしまうくらいに小さい。それは名前姉ちゃんが小さくなったんじゃない、僕が大きくなったからだ。

 好きな人を守れるように、大きくなったからだ。

「……あんまり、そういうこと、言わないでよ」
「蛍ちゃん」
「どうして良いか、分からなくなるから」

 ボールの道筋を予測して追うよりも、名前姉ちゃんの気持ちを追いかける方が、ずっとずっと難しい。

  




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