“私とは、違うんだろうな”


「……あれ、どういう意味だろう」

 気怠い月曜日。何時もの授業も少しだけ上の空。

 それもこれも、日曜日に聞いた名前姉ちゃんの言ったことが原因だ。

「……あんまり聞いたことのない感じの言葉だった」

 後ろ向きで、どこか何かを諦めたような。

「……名前姉ちゃん、なにかあったのかな」

 思えば市街地に行ってからずっと顔を見なかったのに、急に帰ってきたし。仕事って長期休暇以外、そんなに長く休めるものでもないような気がするし。

 今更かもしれないけど、どこかおかしい気がする。

「……あ」

 ぽつりと頬に当たった水滴。

 今日の天気予報は午後から雨だった。



「……あつ」
「ごめんツッキー、先に帰る!」
「そういうの別に良いから。早く帰れば」
「うん! じゃあまた明日!」

 家の用事とかでバタバタと忙しそうに帰っていった山口。部活後の気怠い体で着替えを済ませて、相変わらず煩い変人コンビの脇を通り抜けて挨拶もそこそこに部室を出た。

 部室棟を出て傘を広げて歩く帰り道は、少し薄暗い。山口の姿はもう見えなかった。

「……」

 音楽を聞き流しながら昼間考えていた名前姉ちゃんの言葉をぼんやりと脳内で繰り返しているけど、答えは出そうにない。

 そもそも後ろ向きな名前姉ちゃんなんて想像したこともなかったから、考えることが僕には難しい。いつも穏やかに笑って、落ち着いている名前姉ちゃん。

「……弱っているところなんて、見たことない」

 それとも、弱いところを見せられないくらい僕が子どもだっていうことなのか。

「……阿保らし」

 子どもだっていうことなんて、分かりきっていることじゃないか。

 自虐もいい加減にしろとため息をついた時、道の脇にある軒先に見慣れた人影があることに気が付いた。

「……名前姉ちゃん」
「蛍ちゃん」

 雨に濡れて毛先からは水滴が滴っていた。ハンカチで拭いていたみたいだけど、気休め程度と思えるくらいには濡れている。

 慌てて駆け寄って鞄から使っていないタオルを出せば、名前姉ちゃんはありがとうと笑って、少し血色の悪い手でそれを受け取った。

「何でここにいるの」
「ちょっと散歩と思って出てきたら降られちゃって。天気予報、ちゃんと見てくれば良かったなあって後悔してたところ。蛍ちゃんが通りかかってくれて良かった」
「……心配かけないでよ」
「ごめんね」

 これからは気を付けるからと微笑みながら雨に濡れた髪を拭く名前姉ちゃんにため息が出たけど、取り敢えず早く帰ろうと傘を差し出せば名前姉ちゃんは素直に傘に入ってくれた。

「家にはおばさんたちいるの?」
「今日は夕飯食べてくるんだって。夫婦水入らず」
「え、じゃあどうするつもりなの」
「うーん、どうしようかなあ」
「……はあ」

 何時もより少しだけ迂闊な名前姉ちゃんに二度目のため息が出た。

「ねえ、蛍ちゃん」
「なに?」
「こうやって前に一緒に帰ったの、覚えてる?」

 あの時は私が傘を持って、蛍ちゃんはもっと小さかった時のこと。

「……」
「蛍ちゃんがこんなに大きくなったってまだ実感わかなくて」
「……そう?」
「うん。何だか不思議な感じ」
「名前姉ちゃんの背はとっくに越してるけど」
「分かってはいるんだけど、何となくね」

 楽しげに笑う名前姉ちゃんに対して、僕の気分は水たまりに溶ける雨粒のように沈みこんでいくのが分かった。

 話しているうちに名前姉ちゃんの家の前に着いて、わざわざありがとうと微笑んで傘から出ていく名前姉ちゃん。

「え?」
「!」

 名前姉ちゃんを引き留めるように手を引いたのは、ほとんど無意識だった。

 目を丸くしている名前姉ちゃんの顔を見て我に返って手を放すと、苦し紛れの言い訳を吐き出すように、ご飯どうするのと聞いた。苦し紛れの言い訳なんて深読みすることもない名前姉ちゃんはそのことねと微笑んで、適当に食べるから大丈夫と笑う。

「……ちゃんと食べないと駄目だよ、名前姉ちゃん」
「ありがとう。お腹もいい感じに空いてるからちゃんと食べるよ。蛍ちゃんも早く帰って朝練に遅刻しないようにね」
「うん、分かった」
「じゃあ、おやすみなさい」
「……おやすみ」

 穏やかな笑顔の名前姉ちゃんが家に入るまで、やけにスローモーションに見えた。

「……馬鹿らし」

 僕の気持ちは些細なことで揺れる。でも名前姉ちゃんは変わらない。

 こんなに背丈も体格も変わったのに、名前姉ちゃんとの距離は何も変わっていない。


 




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