あたたかい湯気と一緒に


≠チャンピオン主



 ――期限間近の書類が提出されていないから、“いつも通り”聞いてきてくれ。

 多い時は月に数回、少なくとも月に二回。アカデミーの教員及び職員は職務上やり取りしなければならない書類がいくつかある。遅くとも提出期限の一ヶ月半前までには必要書類の連絡が行われ、定期的に回収される物は提出する日が決められている。大抵の教員や職員は期限の一週間半から一週間前までには提出してくれる。記載漏れやその他不備があった場合に差し戻されても期限内に提出できるように。

 ――しかし、その一週間を超えても提出してくれない人物がアカデミー内にたった一人だけいる。アカデミーで事務職員として働いている私は偶然手が空いていた時に書類回収をしたことをきっかけに、ずっとその役割を上司からやや押し付けられるように任されている。

「……今日も“いつもの場所”にいるのかしら」

 生徒たちの間では生物室と生物準備室は、彼の第二の居住空間なのではないかとまで言われている。特に生物準備室に関しては、彼の私物や研究成果が隠すこともなく当然のように置かれているのを何度も目撃している。他の教師が使うことが殆どないことと彼の優秀さが相まって誰も言及しなかったことが主な原因とされているけれど、稀にクラベル校長に少しは片付けてくださいと言われているにも関わらず部屋の様子が変わったことは一度もない。

 授業終わりの頃を見計らって授業終わりの生徒たちが生物室から出ていくのを遠巻きに確認をし開け放たれていたドアを四回ノックすれば、教壇に立っていた彼がパッと顔を上げてふにゃりと笑顔を浮かべる。

「あっ、ミョウジさんじゃないですかあ」

 どうもどうもとやや間延びした挨拶をしたのは、ポケモン研究者でありアカデミーの教員でもあるジニア先生。研究者の中でも優秀と言われている彼の功績や研究結果は私も拝見したことがあるけれど、書類提出を怠る常習犯である事実は変わらない。

「ジニア先生、お時間宜しいですか?」
「はあい、勿論です。あ、コーヒーでもどうですか?」
「長居する予定ではないので結構です」
「そうですかあ……」

 それは残念ですとしょんぼりした様子で眉を下げるジニア先生に少しだけ申し訳なさはあったけれど、コーヒーブレイクをしている場合ではないと居住まいを正した。

「一ヶ月前に通達した書類の提出期限が一週間を切りました。進捗は如何でしょうか」
「書類……ああ!」
「……」

 首を傾げて少し考え込んでから思い出したと言うように手を叩いたジニア先生。……ああ、この調子だとすっかり忘れていて、たったいま思い出したのね。これも何時も通りと言ってしまえばそれまでだけれど、通常業務の手を止めてまで様子を見に来ている私の身にもなってほしい。

 ジニア先生は色々な物が積み重なっている山の中をゴソゴソと漁り始め、ありましたあと一枚の書類を探し出してきた。一ヶ月前に綺麗な状態で渡した書類は色々な物にもみくちゃにされて、全体的にくしゃくしゃでヨレている。……書類の殆どが電子化されたとはいえ、一部の書類は未だに紙媒体。こんな状態になるなら完全電子化にしてほしい。

「あって良かったです」
「ないと困ります」
「いま書いちゃうので、ちょっと待っててくださいねえ」

 ここに座っててくださいと生物室の椅子を勧められたのでお言葉に甘えることにして、教壇傍の机で書類に取り組むジニア先生をぼんやりと見つめる。

 書類と同じくらいにヨレヨレなシャツと白衣姿に、セットしていないボサボサの髪。たまに曲がるヘキサゴン型のメガネ。研究者らしいといえばらしい井出達だけれど、顔と体型が良いんだからそれを生かした服装や身だしなみをすれば良いのに……。

「あっ、お待たせするならコーヒー出せば良かったですよねえ! ちょっと待っててください」
「いえ、お構いなく――って行っちゃった……」

 コーヒーを淹れる暇があるなら、正直早く書類を出してほしい……。

***



「はあ……何とか回収できたわ」

 あれから悔しいくらいに美味しいコーヒーをいただきながら待たせてもらって、くしゃくしゃになった書類に不備がないことを確認してから預かってきた。こうも毎度のことになるとジニア先生専属の書類回収係を設けてほしい。できれば私以外で。

「あっ、ナマエじゃーん」
「ミモザ先生、お疲れ様です」
「職場じゃ相変わらず真面目だねー」

 普段はそんなことないのにさと笑うミモザ先生。公私を分けるタイプの私とは違って、彼女はオンオフ変わらない態度。裏表がなく気さくな彼女らしいといえばらしい。

「あれ、それって今週末までのやつ?」
「そう。ジニア先生から回収してきたばかり」
「相変わらずだねえ」
「本当にね。ルーズだから困ってるわ」
「でもそれ分かっててやってるのに、よく付き合ってるよね」
「は?」
「ええ? 知らないの?」

 他の職員が担当だとちゃんと期限内に出すんだよあの人とミモザ先生は笑う。……つまり担当が私の時だけルーズになるってこと?

「……ミモザ、それどういうこと」
「おおっと、余計なこと言っちゃったかなあ」
「ミモザ」
「ああもう、はいはい。だから、ジニア先生はあんた相手に分かっててやってんのよ。教職員の間じゃ有名な話だったけど、本当に知らないの?」
「知ってたら文句言いにいってるし、何なら今から生物室戻るつもりだけど」
「ふは、あんたらしいね。どう受け取ってるのかは何となく察したけど、まあ直接本人に聞いてみた方がハッキリするでしょ。ほらほら、行っといで」

 じゃあねーとひらひら手を振るミモザ――ミモザ先生に見送られ、私は先程後にしたばかりの生物室に直行する。この後のコマに授業は入っていないことは書類回収前に確認済。ジニア先生も出張やフィールドワークの申請は入っていなかった。十中八九生物室もしくは生物準備室にいる。

 開けっ放しになっていた生物室に足を踏み入れれば、其処にジニア先生の姿はない。奥にある生物準備室の方へ視線を向ければ、ドアにはめ込まれている曇り硝子の向こう側に灯りがついている。

 急ぎ足で来たせいでやや上がっていた息を整えてから、ドアを四回ノック。

「――ジニア先生、少し良いでしょうか」
「! はあい!」

 ゴソゴソ音がしていた生物準備室の中がガタンと音を立てたかと思うとジニア先生がドアを開けて、どうしたんですかあと笑顔を浮かべる。どうしたもこうしたもない。とにかく、事実確認をしなければ。

「あのですね――」
「あっ、良かったら中でお話しましょう! ちょうどコーヒーのおかわり淹れたところなんですよお」
「あ、ちょっと!」

 いまカップ出しますねえとピカチュウとヤドンのマグカップを用意するジニア先生。ハンドドリップされたコーヒーがカップに並々と注がれて、物で溢れ返った机や椅子の上にどうにかスペースを空けてからどうぞと椅子を勧められた。

「あの、ジニアせんせ――」
「えへへ、ミョウジさんがまた来てくれるなんて嬉しいです。書類は大丈夫でした?」
「不備はありませんでしたが、まだ処理をかけていません。あの、ジニア先生」
「はあい、何でしょう?」
「先程ミモザ先生から聞いたんですが――私が担当する書類だけ期限内に提出していないって本当ですか?」
「! ……えへへ、バレちゃいました?」

 ジニア先生はふにゃりと眉を下げ、すみませえんと人差し指で頬を掻く。謝罪の言葉は口にしたけれどその表情は全く反省しているようには見えない。むしろ分かっていてやっていますと言うような顔。

「……はあ、そんなに私のことが気に入らないのであれば、直接言っていただければ良かったのに」
「へ?」
「来月からは私担当の書類もジニア先生だけは、担当を変えてもらえるか上司に掛け合っておきますから」
「え……ええ!?」
「何ですか」
「そ、それは困りますよお!!」
「どうしてですか? 何が理由かは分かりませんけれど、私の何かが気に入らないから提出を遅らせていたんですよね?」
「違います違います! 逆ですよお!!」
「……はい?」

 きちんと提出できる書類を私の時だけわざわざ遅らせていたのは、私の何かが気に入らなかったからではないってこと? ますます意味が分からない。

「そのお……怒らないでくださいね?」
「既にまあまあ怒っています」
「ええ!? ……あの、書類を遅らせればミョウジさんが取りに来てくれるじゃないですか」
「仕事ですし上司の指示もありますから当然ですね」
「ミョウジさんって普段事務室にいて、アカデミーの教職員エリアではあんまり会えないじゃないですし、ランチも食堂で見かけないし……」
「主な仕事場は事務室ですから当然ですね。昼食は持参しているので外で摂ることが殆どですし」
「そうなんですね! じゃあぼくも今度ご一緒したいです!」

 アカデミー内にはテイクアウトできるお店いっぱいありますしと声を弾ませるジニア先生に、どうしてそうなるのかしらと息を吐いた私は、話が逸れていますと話の流れを戻す。

「つまり、どういうことなんですか?」
「えへへ、ミョウジさんに会いたくてつい……」
「……はい?」
「あれ? もしかしてぼくが言いたいこと伝わらなかったですか?」
「いえ、そうではなく……」

 私はてっきり嫌がらせか不満からの訴えかと思っていたけれど、どうやらそうではないみたい。

 ――つまりジニア先生は。

「ぼく、ミョウジさんのことが好きなんです。だからどうしても会いたくてつい……」

 結果的にミョウジさんを困らせてしまうことになったのはすみませえん……としょんぼりするジニア先生。そう、つまり彼は書類を口実に私と会う機会を作っていたということ。何故そんな回りくどいやり方をしたのか、そもそも私のどこを気に入ったのか――色々分からないことばかりだけれど理由は分かった。

「……ジニア先生」
「はあい……」
「これから書類はきちんと提出してください」
「……」
「返事をしてください」
「……はあい」
「それと」

 私は教職員の皆様と同じ時間に昼休憩を取っています。

「!」
「食堂でなくても良ければ――」
「ほ、本当ですかあ!? 嬉しいです!」
「まだ全部言い切っていませんけれど……まあ良いか」

 言いたかったことに相違はない。……というか職場で事務員としての対応しかしていない私のどこが良かったのか全く分からない。それも含めて色々と聞くために、ジニア先生とランチ休憩を一緒にするのは無駄ではないはず。

 それに、とおっても嬉しいですと満面の笑顔を浮かべる彼と、彼の手で淹れられた悔しいくらい美味しいコーヒーを飲みながら過ごす時間が不思議なくらい嫌ではなかったから。

「あの、ジニア先生」
「何ですか?」
「ランチ休憩の時、ジニア先生が淹れたコーヒーをいただきたいです」

 できれば、毎回。

「えへへ、嬉しいです」
「え?」
「ぼく、ミョウジさんがコーヒーを美味しそうに飲んでくれる顔が好きなんです。あっ、勿論それだけじゃないですけど!」

 あなたと過ごす時間にぼくのコーヒーがご一緒できるなんて、これ以上贅沢なことはありません。

 そう嬉しそうに笑うジニア先生の顔が、目に焼き付いて離れなかった。


 

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