憂いをかき消して
≠マネージャー
「……ごめん」
「それは良いけど……」
何時ものことだと言えばそれまで。それでも目の前の彼はとても申し訳なさそうな顔で両手を合わせて頭を下げている。ふわふわとした白い髪もまた彼の気持ちに合わせるようにして下向きに揺れていた。
「急に仕事が入ったんだ。本当はオフだったんだけど、メンバーが集まる日が其処しかなくて……」
「本当に気にしないで」
「本当にごめん。埋め合わせはするから」
「うん。期待しないで待ってるね」
「そこは期待しておいてもらえると助かるんだけど……」
苦笑いをしてアメジストの目を細めた彼は、やっぱり前よりも生き生きとしていた。
「――なあ、ソウ」
「何ですか?」
雑誌の撮影現場での合間。数人のメンバー以外誰もいない休憩室で大和に声をかけられた壮五が首を傾げると、大和は彼の首に腕を回して隣に腰かけニヤニヤと笑みを浮かべる。その笑みにやや嫌な予感がした壮五だが、大和は少しだけ声量を落とす。
「幼なじみの彼女さんと上手くやれてるのか気になってさ」
「……そんなことだろうと思いました」
「お、分かっちゃった?」
それでどうなんだよとニヤニヤした顔で頬を突かれた壮五は苦笑いをしてドリンクの蓋を閉めるとそれをテーブルに置いて、少しだけ息を吐いた。
「実は今日出かける予定だったんです」
「え、そうなのか?」
「はい」
「……それ、この前もそうじゃなかったか?」
「そうなんですよね……」
この前のランチの約束も、その前の水族館も、全部。
「忙しくなってから予定を合わせるのが中々難しくて。それでも許してくれるナマエには迷惑かけてばかりです」
「……」
「大和さん?」
「あ、いや」
うーんと何かを悩むように天井を見上げる大和に壮五が不思議そうにしていると、しばらくして大和は視線を戻して先程までの楽しげな笑みからやや苦笑い混じりの表情を浮かべて彼に回していた腕を離す。
「それ、さ。俺が言うのもなんだけど大丈夫か?」
「え?」
「いや、俺が聞いただけでも断ったの結構な数だろ? それって女の子からしてどうなのかなーと思ってさ」
「どうって……それは何時もがっかりさせてばかりだと思っていますけど」
「あ、いや。それはそうだけど」
きっちり埋め合わせ出来てるのかって話。
「……埋め合わせ」
「ソウのことだからその辺はあんま心配してねーけど、埋め合わせって別に予定組むとか以外にも必要だったりするだろ」
「!」
「特に昔からの付き合いっていうなら尚更な」
休憩室に戻ってきたナギと代わるようにして休憩室を出て行った大和の背中を見送った壮五はしばらくその場から動かなかったが、次に手にしたのはドリンクのボトルではなく自分のスマホ。ロックを外せば連絡が入っていて、メッセージを開くと相手は渦中の人物のナマエからだった。
「……」
"お仕事頑張ってね"
「……」
たったひと言、仕事の壮五を労わるだけの言葉。液晶画面に表示された何気ない言葉だがそこから伝わってくる言葉に出来ない感情は先程大和の話を聞いたからか、それとも無意識に自分の中にもあったものなのかその両方なのかは今の壮五にはどうでも良かった。
スマホの時計を見れば時刻は既に昼過ぎに差し掛かっている。大和の撮影が終われば最後にメンバー揃っての撮影が入り、そこでバラしとなるが帰れるのは早くても夕方過ぎになるのは簡単に予想出来た。
「……早く、終わらないかな」
壮五の呟きに反して撮影は機材トラブルにより少し長引き、バラされてからスタジオを後にしたのは少し早い夕食時に差し掛かった頃。メンバー揃って食事でも行くかという流れになっていたが壮五は用事があるからとそれを断り急いで電車に乗り込むと、そのまま真っ直ぐに通い慣れたマンションへと向かう。
壮五が世話になっている寮にも近い其処は既に街灯に照らされていて、エレベーターで数階分上がり目的のドアの前で合鍵を使えばもう薄暗いというのに部屋の灯りはついていなかった。出かけたにしては様子がおかしいとそのまま壮五が部屋に上がると1LDKの部屋の奥、寝室に充てられている其処のベッドにナマエの姿はあった。
「……いた」
ベッドの上で少し丸まるようにして眠っているナマエの姿を見つけてほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、彼女の疲れ切った様子に気付くと壮五は鞄を脇に置きベッドに腰を下ろす。そっと指先で頬を撫でれば少しだけ濡れていて、それが涙の跡だと気付くのに時間はかからなかった。
「……ごめん」
君には、何時も我慢させてばかりだ。昔からずっと僕の我が儘に付き合わせて、家を出る時にだって君にしか話さなかったのも我が儘のひとつだと分かってるのに。
「……本当に、ごめん」
「……ん」
「!」
痛々しい表情で二度目の謝罪を口にした壮五の声にナマエが身じろぎをすると彼は驚いて指先を離し、ゆっくりと瞼を開けたナマエを見つめた。そんなナマエは最初ぼんやりしていたものの此処に居るはずのない壮五の姿を確認すると同時にベッドから飛び起き、どうしているのと起き抜けの掠れた声で問いかけた。
「仕事終わったんだ。それで此処に寄った」
「そんな……構わなかったのに。疲れているんだから早く帰って休まないと」
「大丈夫。そんなに疲れてないから」
にっこり微笑む壮五に反してナマエが心配そうに表情を曇らせると、彼は静かに目を細めて彼女の腕を引き寄せてそのまま自分の腕の中に閉じ込める。抱き締められたナマエは飛び込むような形で壮五の腕の中に収まったが、突然どうしたのと控え目な笑い声交じりに言うとその腕の力は少しだけ強くなった。
「……壮五?」
「少しだけこのままでいさせて」
「……うん、良いよ」
「……うん」
ナマエが壮五の背中に華奢な腕を回せば、壮五もまたそれに応えるように腕の力を少しだけ強めて彼女の首元に顔を埋める。しばらく時計が針を刻む音だけが聞こえる静かな時間が続いたが、静かに口を開いたのはナマエの方だった。
「……夜ご飯は食べた?」
「……まだ」
「ミネストローネ作ろうと思ってたの、食べていく?」
「うん」
「ちゃんとタバスコ、買ってあるから。この前切らしてたから」
「うん」
「……ねえ、泣いてる?」
「泣いてないよ」
最後の問いには少しだけ拗ねた声で答えた壮五にナマエはくすくすと笑い、彼の広い背中に回していた手で彼の服を少しだけ掴んだ。
「私、今の壮五が大好きよ」
「……君との約束を沢山破っているのに?」
「やっぱり気にしてた」
「気にするよ。……大和さんにも言われたし」
「二階堂さん」
「そう」
「寂しくないって言えば嘘になるけど、でもね」
私、今の壮五は生き生きしていて大好きなの。
「家に居た時よりも、ずっとずっと」
「……そうかな」
「そうよ。だってあのTRIGGERに勝ったIDOLiSH7の一人でしょう」
「それは、そうだけど」
「皆を笑顔にするアイドル。アイドルになるって聞いた時は驚いたけど、でも今の壮五は前よりもずっと格好良い」
「本当?」
ナマエの首元から顔を上げて彼女と顔を見合わせた壮五は困ったような顔をしていて、それにナマエは勿論と言うように微笑みかけると両手で彼の頬を包んで目尻を下げる。
「本当」
「……君に言われると嬉しいな」
「ふふ」
「ねえ、もう一回言って」
「もう一回?」
「うん」
少しだけ表情が柔らかくなった壮五の耳元にナマエは顔を寄せると彼に聞こえる声量で静かに囁き、それに壮五は目を丸くする。ナマエが得意げに微笑めば壮五は唖然とした表情からしてやられたと言うように息を吐くと、彼女をまた腕の中に閉じ込めた。
「これで満足?」
「……十二分」
「それなら良かった」
何時だって貴方は誰よりも格好良い。私の自慢の、大好きな人。
だから、自信を持って自分のしたいことをしてくれれば私も嬉しい。
「今日は泊まっても良い?」
「構わないけど……明日は?」
「午後から」
「メンバーの皆に茶化されると思うけど」
「良いよ。それくらいがちょうど良い」
「……壮五が良いなら私も良いけど」
「じゃあ決まりだね」
久しぶりに君とゆっくり出来ると微笑んだ壮五の顔は先程よりも明るくなっていて、ナマエも嬉しそうに目尻を下げれば彼はありがとうと呟くと共に彼女の額にキスを落とす。
「……壮五がそんなことするなんて、珍しい」
「僕だって男だからね」
「それは、分かってるけど」
「……今度はこっち」
少しだけ傾けられた顔にナマエが目を閉じれば、直ぐにその熱は唇に触れて彼女の思考を攫う。
「……ねえ、ナマエ」
「……何?」
「今度また僕が弱気になったら、同じことを言ってくれる?」
「うん、良いよ」
「……ありがとう」
「壮五、そんなに弱虫だった?」
「そうだよ」
何処までも強くて優しい君が居なければ、僕は此処まで来られなかったと思う。
「だから、ずっと傍に居てくれると嬉しい」
「……駆け出しのアイドルが結婚騒動とか笑えないけど」
「はは、それもそうだね」