「ご、ごめんなさい……! あのっ、怪我はありませんか?」
「……」
「あ、あの」
「……あ、いや大丈夫」
真っ白な肌に、毛先がふわふわした黒髪。まあるい目は何処かオドオドしていて、何ていうか……可愛いのひと言だった。
俺がぼうっとしながらも立ち上がったのを見てその子はソワソワしていたけど、はっと表情を変えて今度はアワアワとし始めた。何だろうと他人事のように思ってその子の視線を追ってみると、俺の手から血が滲んでいる。学校の渡り廊下で毎日掃除しているけど、多少ある砂や小石で切ったんだろうな。
「け、怪我……」
「このくらいなら大丈夫――」
「だ、大丈夫じゃないです!」
今までのオドオドした様子からは想像出来ないくらいの声。それに驚いた俺の手を引いたかと思うと、ポケットから出したハンカチで俺の手を縛るとほっと表情を緩めた。今までの硬いあの顔じゃ考えられないくらいの、ふんわりとした可愛い笑顔だった。
「あの、直ぐに保健室に……」
保健室。現実味がある単語が俺の耳にふいに入って来た時、はっと我に返った。小さな白い手、さっき見た笑顔。それが頭の中をグルグル回って体を熱くさせた。
どうしよう、何も考えられない。何か、何か言わないと……この子、見たことないから一年生なんだろうな。そうだ、このハンカチもこの子ので――。
「ご、ごめん!」
「え!」
そして本気で何も考えられなくなった俺は、その場から逃げるように立ち去った。
「……はあ」
そして冷静になって迎えた翌日。昼休みの教室で菅原が一人ため息をついていた時、肩を叩かれてそちらへ顔を向ければ、其処には澤村が爽やかな笑顔を浮かべて片手を挙げている。それにやや気の抜けた表情で菅原が応えると澤村は訝しげな表情で向かいの椅子に腰を下ろす。
「何だよ、スガ。何かあったのか?」
「あー……まあ、ちょっとね」
「?」
「……絶対に笑うなよ」
菅原の前置きも空しく、澤村は机に突っ伏して肩を震わせていた。
「くっ……それは、また……」
「笑うなって言っただろ!」
「悪い悪い。だけどスガがまさか、なあ……。それで、名前も知らないんだろ?」
「それなんだよなー……」
菅原はため息をついて髪をくしゃりと握るとため息をひとつ。それを見て相当重症だと見た澤村は持っていた紙パックジュースを飲みきって、どうしたものかと目を細めた。
「あの子、一年かなあ……。いや、でも二年でも見てない顔とかいるかもだし……」
「なあ、スガ。そんなに気になるなら探してみたらどうだ?」
「県立だっていってもかなり人数居るし、そう簡単には見つからないと思うけど」
「これを口実に、後輩に聞いて回るのも手じゃないのかって」
澤村は自分の手をひらひらと振ってもう片手で手の甲を指差す。それか差す意味に初めは気付かなかった菅原だが、はっと自分のポケットからビニール袋で包んだそれを取り出した。
直ぐに洗い流した為に染みにならずに済んだ一枚のハンカチ。パウダーピンクの布の隅には、ベラミントのクローバーが丁寧に刺繍されている。
「な?」
「……そっか、その手があった」
これを理由にすれば変に勘ぐられずにあの子を探すことが出来る。
そうと決まればと菅原は席を立つと教室を出て、一年の教室へと足を運んだ。まずは一組に顔を出して日向に声をかけると焼きそばパンを銜えながらこちらへと駆け寄ってくる。愛嬌のある日向の様子に菅原はクスクスと笑って、首を傾げている日向に早速本題を出す。
「どうしたんですか?」
「あのさ、このハンカチなんだけど……」
「ハンカチ? ってこれ、女の子のですか?」
「うん。ちょっと色々あって借りてたんだけど、その子の名前知らなくってさ。背はこのくらいで、長さはこれくらいの黒髪。肌が白い女の子なんだけど……知らない?」
「うーん……」
日向は菅原の説明に首を傾げながらも、一生懸命に思い当たる女子を脳内で浮かべては消していく。しばらくすると日向があっと声を上げたので菅原は驚いてビクリと肩を跳ねさせた。
「これっ、刺繍ですよね?」
「ああ、うん……そうだけど」
日向が声を上げたのは、菅原が持っていたハンカチの隅にあるクローバーの刺繍。それがどうかしたのかと菅原が不思議そうにしていると、日向は自分のポケットを漁りながら話しを続けた。
「おれ、刺繍が上手な子知ってます。おれもこの前、何回も頼んでようやくやってもらえたんですよ!」
ほらっと嬉しそうに日向がポケットから出したハンカチ。それにはカスティールゴールドの向日葵が小さく三輪、刺繍されていた。温かみのある向日葵は何となく菅原の持つハンカチのそれと似ていて、不思議と目が引かれる。
「それからずっとこのハンカチ、大事に使ってるんです!」
「なあ、日向。その刺繍が上手いって子、どのクラスに居るか知って――」
「あっ、あの子です菅原さん! おーい、名字!」
「!」
菅原がその刺繍の主が誰か訊ねる前に日向がその子をちょうど見つけたらしく、遠くへ声をかけた。その顔が向いている方へ菅原も顔を向けると、其処には手当てをしてくれたあの少女の姿があった。
「……驚いた」
まさか、こんなにも早く見つかるなんて思ってなかった。
「あのさ、君――」
「ご、ごめんなさい!」
「えっ!?」
菅原が声をかけるが早いか、その女の子は二人の姿を認識すると同時に体をビクリと震わせたかと思うと手をかけていた教室のドアから手を離して来た方向へと駆け出して行ってしまった。それを呆然として見送るしか出来なかった菅原だが、日向は、あー……と声を漏らして頬を掻く。
「名字って――あ、名前。あの子名字名前っていうんですけど、怖がりっていうか、えーっと……人見知り? らしくて」
「人見知り……?」
「らしいです!」
キリっとした顔で日向がそう答えると、菅原は息を吐いて額に手をあてた。
「骨が折れそうだな……」
「えっ?」
「いや、何でもない。ありがとな、日向」
「いえ! あの、よく分かんないんですけど、頑張って下さい!」
「おう。じゃあ俺、帰るな。また部活で」
日向はブンブンと手を振って菅原を見送ると再び教室の中へ戻って行く。菅原はビニール袋に包んだハンカチをポケットにしまうと、もう廊下の何処にも姿がない名前を思い浮かべて目を細めた。
「……名字、か」
まあるい目に綺麗な黒髪。びっくりした顔も可愛かった――って、俺、相当重症だな。
「……でも、悪い気はしない」
だってこれは、まぎれもなく恋だから。
パウダーピンクの一目惚れ
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