怖がりなのか人見知りなのか、とにかく彼女は初対面の人間と接することが苦手らしい。そこで俺は名字と接触する為に一先ず作戦を練ることにした。
「名字のことですか?」
「うん。なんでも良いんだけど」
「えーっと……おれも普通に話せるようになるまで時間かかりました。刺繍が上手いねーって声かけたら逃げられて、何度も同じように話しかけてたんですけど……話しが出来なくって、それでも話したくて!」
「それで、どうした?」
「追いかけました!」
「……」
「そしたら途中で息切れして足を止めた名字と話して……って感じです」
日向の最終手段は、体力の底をつくまで名字を追いかけること。彼女のような子にはそのくらい強引な方が効果がありそうではあるけど……あまり気が進まない。
他にも甘い物が好きなこと、シュークリームが一番好きだということ、手芸部に所属していること。取り留めもないがあとで使えるかもしれない情報を日向から教えてもらったけど、今直ぐに生かせるようなものはなかった。
「結局どうやって声をかけるか決まらなかったな……」
くしゃりと髪を握るように頭を抱えた菅原はそう呟くと、片手で支えていたプリントを落としそうになって慌てて両手で抱え直した。担任に頼まれて宿題を運んでいる最中にでさえ、あの子のことを考えてしまう自分に少しだけ苦笑い。そのまま目的を終えて職員室を出ると、目の前を何かの影が横切った。
それに一瞬呆然としたものの影が横切った方向へ顔を向ければ、其処には名字の後ろ姿があった。それに気付いて追いかけようか迷ったが、自分の前で足を止めて肩で呼吸をする影山の姿にまた驚いて、追いかけるのを止めた。
「っは……くそ、また逃げられた……! 名字の奴……!」
「あ、あのさ、影山……」
「スガさん! ちわス!」
「お、おう。あのさ、何で名字追いかけてたのか聞いても良いか?」
肩で息をしていたとは思えない勢いで一礼した影山に菅原はビクリと肩を震わせたが、取り敢えず聞きたいことを聞いてしまおうと話を切り出した。影山が何で名字を知っているんだと首を傾げたので、菅原は日向の時と同じように簡単な事情説明をするとそれで納得したのか彼はなるほどと頷いた。
「名字は俺と同じ北一だったんスけど、アイツの刺繍にはジンクスっつーかそういうのがあって」
「ジンクス?」
「アイツの刺繍が入った物を持ってると、努力が報われるとか何とか。俺あんまりそういうの信じないんスけど……及川さんとか、あの岩泉さんもしてもらってるの聞いて、中学から少し気になってて。それからずっと頼もうと思って話しかけようとしたら……」
「逃げられるんだ」
「四年間ずっとこれなんですよ! しかも日向のヤローにはやってやったって聞いて……くそ、何で逃げんだよ!」
「あー……まあ、頑張れ」
その形相じゃ、怖がりで人見知りの名字には逃げられると思うけど。
本人を前にしてそれをストレートに言わなかった菅原は、本気で悔しそうな影山を見てふとあることに気が付いた。
「……なあ、影山。名字って追いかけて捕まらないもんなの?」
「アイツ逃げ足は速いんですよ。何時もギリギリのところで撒かれます」
「……そういうことか」
「?」
運動部の影山が息を切らして走っても追いつけない名字。日向は体力が有り余ってるから名字をしつこく追い回しても、あの子の体力が底をつくまで追いかけて最終的に追いつくんだろうけど……俺には無理かな。影山が撒かれるなら、俺が追いかけても追いつける気がしない。
「それにしても……刺繍にジンクス、か。名字ってちょっとした有名人だったんだな」
「だからアイツ、一年の中でアリス云々って呼ばれてるみたいですよ」
「アリス云々?」
「詳しくは聞いてないんで分からないんですけど。……あ、そういえば次移動だった。すいません、俺もう行きます」
「あ、うん。気を付けてな」
「おス!」
バタバタと教室がある方向へ戻って行った影山を見送った菅原だが、名字が影山をも撒いてしまう逃げ足の持ち主と知って少しだけ眩暈を覚えた。
どうやら俺が追いかけようとしているのは、白ウサギも追い越してしまうアリスらしい。
アイスランドブルーのジンクス
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