「あうう……」
「なあなあ、お前が人見知りアリスか?」
「わ、分かりません……だ、誰ですか……?」
授業を終えて迎えた放課後。今日はちょうど部活がなかったけど、それでも刺繍の続きがしたくて。天気が良かったから第二体育館の近くにある花壇のベンチで刺繍をしていたら、黒髪を立てた男の人に絡まれました。誰か助けてください……。
「あう……」
「……そんなに怖いか?」
「そそそそんなことないです!」
「いや、思いっきり怖がってるだろ!」
「ごめんなさいいい!」
この前、一年の間で刺繍のジンクスを持つ女子がいるって話を龍から聞いた。話によれば、その女子の刺繍を持ってると努力が報われるとかどうとかで。小柄でアリスみたいだけど、極度の人見知りで“人見知りアリス”って呼ばれているらしい。それなら会った時にでも景気付けにちょっと縫ってもらおうと思ってた。
バレー部の練習が始まる前。自主練習の合間に少し外の空気に当たろうと思って外に出たら、龍が言ってた特徴の女子が花壇近くで刺繍をしてたから、これはソイツで間違いねえだろって気合いを入れて声をかけたけど、スッゲエ怖がられてる。
「あー……怖がらせて悪りい。別にどうこうしようって訳じゃないんだって」
「う、はい……」
「んで、本題だけど、お前が人見知りアリスなのか?」
「知りませんし違うと思います……」
「ええ?」
だってこんくらいの黒髪で背もこんなもんだって龍が言ってたし……何より、裁縫道具と刺繍に使う輪っかみてえなの――名前は忘れたけど、それを何時も持ってるって聞いたし。今時の女子って裁縫道具とか輪っかみてえなの持ち歩いてんのか?
「いやでも、潔子さんはこんな輪っか持ってなかった……」
「あ、あの……それで、ご用はなんでしょう」
「ああ、悪りい悪りい。ちょっと頼みてえんだけどさ、俺にも刺繍してもらえねえか?」
「……え?」
「お前見つけたら頼もうと思ってたんだ! な、良いだろ?」
ニカッと笑顔を浮かべて突然そんなことを頼んできた男の人は、こちらをじっと見てくる。ピンと立てた黒髪と勢い良く駆け寄ってきたからすっごく怖かったけど……あんまり、怖くない、かも。
「えっと……私で、良ければ」
「マジか! どこが良い!?」
「あの、えっと……刺繍して問題ないところだったら。布は何でも大丈夫です……」
「おお、そっか。布とか特別なの使うのかと思ってたけどそうじゃないんだな。じゃあどうすっかなー……」
ゴソゴソとポケットを漁っているけれど目ぼしい布がいなかったみたいで、その人は腕を組んで考え込んでしまった。裁縫道具の中に適当な布地がある私がそれを提案しようとした時、その人はハッと顔を上げて、着ていたTシャツの裾を引っ張った。
「此処ならどうだ!?」
「大丈夫ですけど……その、男の人が刺繍されたTシャツって……着ていて大丈夫、ですか?」
「おう、ひと思いにやってくれ! どのくらいかかる?」
「えっと、小さいので良いのなら十分もあれば……」
「じゃあ頼んだ! お前の好きなやつ縫ってくれて良いぞ!」
好きなの……。えっと、どうしよう。
私は目の前に引き伸ばされたTシャツに刺繍枠を嵌めて、手元にある刺繍糸を眺めた。前に買い足したばかりで色々な色が揃っているし、目の前のTシャツは真ん中に黒字で大胆不敵って書かれているけれど、生地は真っ白。どの色を使っても大丈夫そう。
「……」
名前はTシャツとその持ち主である男子を交互に見てから、いくつかの色を手に取った。
「あっ!」
「!?」
バレー部の練習前、ほとんどの部員が顔を揃えた第二体育館に日向の声が響く。
それに驚いた俺がそっちに顔を向けると、そこには西谷やきょとんとした顔で日向を見ていた。それに影山も何だと足を向けて、何かを見た瞬間、ビシッと音を立てて固まった。
「西谷さん! それっ名字の刺繍、ですか!?」
「名字? ああ、アイツか! おう、さっき其処で会ったからな!」
「ふおおおお!」
「なっ、何で西谷さんにはあっさりやってやるんだアイツ……!」
日向の興奮気味の様子と、影山のあり得ないと言いたげな顔。そして西谷の会話で何が起きているのか直ぐにか分かった。……アイツ、名字と会ったんだ。
ちょっと負けた気分になりながらも名字の刺繍見たさに俺もその輪に加わると、影山の視線を追ってTシャツの裾へ視線を向ける。そこには真っ赤な色の太陽が縫ってあった。初めて会ったのに西谷の性格をよく分かってる模様だ。
「くっ……西谷さん、ソイツ何処に居ましたか」
「ん? 此処近くにある花壇のベンチ。でもこれ縫ったら帰ったぞ」
「クソが……!」
「まあまあ、落ち着けよ。また頼みに行けば良いだろ?」
「そ、そうですけど……」
ギリギリと歯ぎしりをしている影山を宥めながら、俺はまだその子に話しかけることすら出来ていないんだけどなと内心でため息をついた。
コチニールはため息をひとつ
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