……あの時、うっかり頷いてしまった私を平手打ちしたい。
「――ってことで、ちょっと見学させてあげて」
「分かった。じゃあ名字さん、清水の近くで見てて」
「は、はい……」
「おい名字!」
「ふあっ!?」
菅原先輩に連れられて足を踏み入れたのは、第二体育館。沢山人が居て――というかそのマネージャーの清水先輩以外は全員男の人だった。しかもほとんど先輩。どうしようと周囲をきょろきょろ見ていたら、後ろから声をかけられてびっくり。思わず菅原先輩の背中に隠れて、声がした方へ顔を覗かせた。
……か、影山くん怖い顔してる……!
「此処なら逃げられねえな……」
「あ、あう……」
「影山、名字がビビッてるから!」
「? なにもしてませんけど……」
「顔が怖いから!」
私の前に立ったまま菅原先輩がそう言うと影山くんの顔が少しだけ柔らかくなった。……まだちょっと、怖いけど。何か鞄を漁っていると思ったら、シューズ入れを突き出してきた。
「え、えっと……?」
「この袋に刺繍してくれ。お前得意なんだろ」
「……えっと、私で良ければ。それで色とか柄とか……」
「任せる!」
「う、うん……」
そのままシューズ入れを預けた影山がコートの方へと歩き去ると、名前の頭にポンと誰かが手を置いた。それに名前が顔を上げるとその手の主は菅原で、彼はふっと笑うとそのままわしゃわしゃと彼女の頭を撫でる。
「影山って怖い顔してるかもしれないけどさ、悪い奴じゃないよ」
「は、はい……そう、ですね。そんなに怖く、なかったかもしれないです……」
「俺もアップ取らなきゃいけないから、端で見てて。影山のシューズ袋に刺繍しながらでも良いから」
そう言って菅原先輩は澤村先輩と一緒にコートに行ってしまった。清水先輩は静かな先輩でとても居心地が良くて、そんなに緊張しなかった。……影山くんのシューズ入れどうしよう。クローバーに向日葵、太陽に蒲公英。今度は何が良いかな。
裁縫道具の糸を眺めていた時、バシンと大きな音がしてびっくりした。音のした方へ顔を向けると、其処にはボールを受けている影山くんとそれを打っている日向くんが居た。バレーには詳しくないけど、凄いって思った。
「わ……」
「持って来い!」
「大地!」
気合いが籠もった低い声とそれに応える菅原先輩の声。影山くん達から視線をそっちへ向けると、其処には宙に跳んでボールを受ける菅原先輩の姿があった。ふわりふわり、何だかスローモーションのようにも見えたそれはゆっくりと受け止められて、澤村先輩の手に吸い込まれる。
「……凄い」
ぼんやりとそれを見ていたけど、菅原先輩がこちらを向いて手を振ったことに気が付いて我に返った。何故かキラキラとしているように見えて目が合わせられなくて、ちょっと手を振り返してから顔を俯かせる。何でだろう、菅原先輩はあまり……怖くない、かもしれない。
「あ、下向いた……」
「はは、フラれたなスガ」
「違う!」
まだそんなに話してすらいないのにフラれたなんて考えたくない。
「まあとにかく、話せて良かったな」
「ようやくって感じだけどさ」
「……そうか?」
「え?」
「あー……いや、気付いてないんなら良い。練習続けるか」
「おお……!」
練習後の第二体育館に影山の感激した声が響いて、それを聞いて菅原がそちらへ足を向けた。其処にはシューズ入れを見ながら目を輝かせている影山とビクビクしている名前がいて、菅原は影山の隣に並んでシューズ袋へ視線を落とす。
袋の隅を彩っていたのはビオレの竜胆。丁寧に縫われたそれは、シンプルだったそれを彩っていた。
「これ、何て花だ?」
「り、竜胆……。影山くんみたいだと思って……」
「何で?」
影山にぴったりってどういうことだと菅原が首を傾げながらそう問いかけると、名前は持っていた針を針山に刺してから彼の方へ顔を向けた。
「竜胆の花言葉は……勝利と的確。あとは、正義感、とか……」
「お前……」
「か、勝手にイメージつけてごめんなさい……!」
「……怒ってねえよ。そうか、お前の目には俺がそう見えてるってことか。ありがとな、名字」
「う、ううん……」
「……」
何時ものしかめっ面が嘘みたいだとか、そんな優しい顔出来るならなんで普段からしないんだとか。でも一番は、何で名字にだけそんな顔してるんだってことなんだけど。名字も名字で影山のこと、あんまり怖くないって思ってるみたいだし。
ビオレの憂鬱
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