何だか使うことができなくなって、パウダーピンクのハンカチはビニール袋に入れたままにしている。この数日で沢山の人とお話をしたけど、あまり怖くなくなった。影山くんも前みたいに走って追いかけてこなくなったし……これも全部、菅原先輩のおかげ。
「怖くないよ、大丈夫」
その言葉で不思議と縮んでいた心がふっと軽くなって、相手のお話を聞くことができるようになった。
「……何か、お礼ができたら良いな」
でもなにかっていっても、直ぐに思いつかない。菅原先輩とは出会ったばかりで、好きな物や嫌いな物が分からない。うっかり嫌いな物を渡してしまっても迷惑になっちゃうし……。
「――そうだ」
“あれ”なら、きっと迷惑にならないはず。
「……あれ?」
昼休みに飲み物を買って教室に戻ろうとした時、ふと視界に飛び込んできたのは名字の背中。人見知りで怖がりの名字が、ビクビクしながらも三年の教室がある階にいるなんて驚いた。俺がその背中の方へ足を向ければ、俺の死角にいた大地と一緒にいることが直ぐに分かった。
俺が声をかけるより早く大地がこっちに気付いて片手を上げると、名字がこっちに気が付いて顔を向けてビクッと体を震わせる。
「お、お疲れ様です……菅原先輩」
「うん、お疲れー。大地と何話してたの?」
「えっ! あ、えっと、その、たいしたことじゃなくて……」
ソワソワときょろきょろ。可愛いけど何時も以上に落ち着かない名字の様子を不思議に思っていると、脇に居た大地が少し笑って手をヒラヒラと振った。
「偶々ここの階に用事があったらしくてさ、偶然会ってちょっと世間話してだけだよ。な、名字」
「あ……は、はい」
「……そっか」
「あの、私、次移動教室なので……失礼します」
「ああ、気を付けてな」
丁寧に一礼してパタパタと小走りをする名字の背中が見えなくなると、俺は本当に世間話? と言いながら大地に顔を向けた。その言葉の意味をなんとなく察した大地はちょっと苦笑いをして、ほんとだってと返事をする。
「偶々会ったんだ。」
「……もう疑ってないけど」
「ははは、あんまり考え込むなよ。追いかけたら逃げられるだろ?」
「う……」
痛いところを突かれた。はははと笑う大地に誤魔化されたような気がするけど、今の状態で名字に問いかけてもきっと答えてくれる前に逃げられるのは目に見えてる。
この時は仕方ないと諦めはしたけど、これがこの先に何度か見かける違和感のきっかけになるとは思ってもいなかった。
「あれ、名字と日向じゃん」
「あっ、スガさん!」
「! あ、あの……失礼します!」
二度目の違和感は日向と話しているところだった。偶然に会って声をかけたら、名字はビクッと体を震わせて直ぐにその場から逃げてしまった。
「……なんかあったの?」
「ななな何でもないです!」
「……それなら良いけど」
「ああ、それなら悪くねえんじゃねえか」
「影山と名字じゃん。なんの話?」
「す、菅原先輩。な、なんでもないです」
三度目は名字が見学にきていた部活前。ビクビクしながら影山と話していた名字はやっぱり逃げた。影山になんの話をしていたのか聞いたら、影山は少し迷うように視線を外してからその問いかけに答えた。
「えーっと……ダイレクトデリバリーとインダイレクトデリバリーの違いが知りたいって」
「……本当に?」
「は、はい」
……それは流石に誤魔化せないだろ。
そう言っても良かったけど、ちょっと影山が可哀想か。寸でのところでそう思った俺がそのまま話を切り上げれば影山はほっとした顔をしていて、何かを隠しているのは直ぐに分かってしまった。
「……変なの」
この数日の間、名字には逃げられてばかりだった。
彼女に怖がられるような――まして嫌われるようなことはした覚えがない。話せるようになってからちょっとずつ目も合わせてくれるようになったし、声をかけてもあまり驚かれなくなったはずだ。
「……嫌われた、のかな」
小さくため息をつきながら誰も残っていない教室にある時計を見上げた。今日は体育館が使えないから練習もなくて久しぶりに早く帰れるのに、何だか帰る気にならなかった。空はまだ夕焼けがかっているだけで、まだ暗くならない。
気分を変えてからでないと帰る気にならなかった俺はスポーツバッグを肩にかけると、あの子の影を追うように屋上へ向かうことにした。
「――できた……!」
人の居ない屋上で思わずそう言った私は、はっとして周囲を見渡す。……誰もいなかった。良かった。
この数日で少しずつ丁寧に作った甲斐あって、綺麗に仕上がった。今までで一番熱を入れて頑張ったかもしれない。柄も色合いも沢山考えて選んだし、勇気を出してたくさんお話を聞きに行った。……あとはこれを渡すだけ。
「……でも、どうやって渡そう」
そこまで考えていなかった。……お昼休みだとご飯を食べる時間がなくなっちゃうよね。放課後は部活があって帰りが遅いと思うし、みんなの目があるから上手くお礼が伝えられるか分からない。
「ど、どうしよう……」
頭の中がグルグルとし始めた時、屋上のドアが開く音がしてそっちに顔を向けた。ふわふわの色素が薄い髪を揺らしていつも優しい顔をしている菅原先輩は、私を見て驚いた顔をしていた。
ロココの可愛い企み
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