俺にも青春時代っていうものは当然あった。

 自宅からほど近い烏野高校。その中にいくつもある部活の中で男子バレーボール部に入部して、三色のボールを拾い打って追いかける日々。汗だくで見る奴によってはダサい俺を、何時も変わらない笑顔で応援してくれるマネージャーがいた。

「お疲れ様、嶋田くん」

 お前の為だったらいくらでも頑張ってやるなんてクサい台詞を脳内で考えつきはするものの、口に出せないのが俺。何時も変わらないその笑顔に何度救われたか分からない。

 背番号11番。スタメンになれなかった俺。何十時間も練習してたった一本のサービスエース。この一本の為に俺はキツイ練習にも耐えられると思った。そんな俺が居残り練習をしていることに気が付いて、何時の間にか帰り道を一緒に歩くようになった。

 だけど、それだけだ。俺にあの時勇気があれば何か変わってたのかとか考えても、それは過去のこと。今からなにかを変えることなんでできやしない。




 滝ノ上と別れて帰路についた嶋田は僅かにふらつく足に力を入れ、自宅へ続く道を進む。途中で夜風に当たって帰ろうと思った彼は少しだけ帰路を逸れて河原の方へ足を向け、夜空を見上げて足を止めた。

「……ったく。俺は中坊かって」

 この時期――夏になると特に、あいつの色が目について離れない。バレー部の為に何時も駆け回っては笑顔振り撒いて、気が付いた時には俺の心を埋めていた。

「……東京の大学に進学してそれっきりか」

 頭が良かったあいつは東京の国立大学に進学する為に、宮城を離れた。それから噂で向こうで就職したとか何とかで、忙しくてこっちには戻って来られないらしい。あいつにもう一度会えたなら、俺も変われるんだろうか。

「はあ……二十六のおっさんが言うことじゃねえか」

 酔いも覚めたし、そろそろ帰るか。明日は特売日だから少し早く出勤して――。

 夏の夜風が一段と強く吹いて河原を撫で、それに釣られて嶋田は夜空を見上げていた体勢から顎を引き帰り道へと体を向ける。それは何時もと変わらない帰り道のはずだった。

「……え」

 嶋田の視界に飛び込んできたのは、夜空と溶け合うようなアイリスのシフォンワンピースとシュネーのスリングバック。艶やかな長い黒髪と、真っ直ぐで柔らかい色の目。

「……おいおい嘘だろ」

 一瞬、息が止まった俺がじっとその人を見ているとその人も俺に気付いてこちらへ目を向けた。その目はしばらく不思議そうに俺を見てから、少しずつその目を大きくしていく。

 ――ああ、やっぱりそうか。俺はあの時から変わってないから分かるよな。お前は結構変わってて分からない奴の方が多いかもしれねえけど、俺は分かる。服を変えたって髪を切ったって――直ぐに分かる。

「……名字」
「……やっぱり嶋田くん?」
「ああ。何か、久しぶりだな。八年ぶり、くらいか」
「本当に、久しぶり。元気だった?」
「ああ、元気にしてる。お前も元気そうで良かった。急に帰って来るなんてどうしたんだ?」
「向こうで長期休暇が取れたから、久しぶりに帰ってきたの。此処に居られるのは五日間くらいかな」

 近付くあいつの影が月明かりではっきりした時、あいつの色に別の色が滲んでいることに気が付いた。

「五日、か。そこそこいられるんだな。色々話し聞かせてくれよ」
「そっちもね。あ、私これから家に帰るからまた連絡するね。私、携帯を壊しちゃって番号変わったの。携帯持ってる?」
「馬鹿にすんな。赤外線あるか?」
「うん、大丈夫」

 小さな鞄から携帯電話を取り出した手は相変わらず小さいのに、違うなにかがそこにあった。

「――よし。じゃあまた後で。一人で帰れるか?」
「もう、子供じゃないんだから大丈夫」
「だよな。送っていこうかと思ったけど」
「ううん、大丈夫。それじゃあ」

 ドラマのような展開なんて俺は望んでいなかったのに、世界はそれを許しちゃくれないらしい。

 あいつの影が見えなくなるまで見送った俺はその場にしゃがみ込んで、片手で頭を押さえる。酷い頭痛にも似た衝撃は、俺の頭から離れて消えてくれない。

「……はあ」

 過去のことだなんて格好良いこと言えねえよ。だって俺はあいつの色を目に焼き付けて、ずっと忘れないようにして、心のどこかで期待してたんだ。何時か俺の前に、あの時のままのあいつが戻ってくると。

「くそ……」

 あいつの右手、薬指。透明な石を挟む二つの赤い石がついた指輪。
 どんなに馬鹿な俺でも分かる、その指輪の意味。


「なあ名字、将来何したいとか決めてる?」
「急にどうしたの」
「いや、ほら……進路希望とか聞かれるだろ」
「ああ、なるほど」

 思えばあの時、俺の頭の中ではこいつを一生食わせてやろうなんて台詞が思い浮かんでいた。

「あのね……まだ皆には話してなかったんだけど。嶋田くんには先に教えておくね」
「え?」
「私、東京の大学に行こうと思う」
「……それって」

 それを聞いた俺の頭は一瞬で真っ白。自分でもびっくりするくらい何も言葉が出てこなかった。宮城からこいつがいなくなるなんて思ってもいなかった。

「私、来年には東京に出るつもり」
「そ、そうか……」
「嶋田くんは?」
「……俺は、家の仕事継ぐつもりでいる」
「お家、スーパーだよね。頑張ってね」
「……ああ、ありがとう」

 それっきり、その話はしなくなった。





「どうかしてるな、俺……」

 あいつにはもう別の色があるっていうのに、それでも諦め切れない。

 多分婚約をしていると頭で分かってるのに、それでもその事実を否定したい俺。こんなに好きだったなら、あの時伝えていれば良かったんだ。お前が好きだって――よくある男子部員とマネージャーの関係みたいなもんじゃなくて、お前以外には考えられないんだって。

「……どうするんだよ」

 諦め切れない。戦ってもいないのに、舞台から降りることはできない。

「――それなら、やることはひとつだろ」

 俺にできることは、戦うことだけだ。

 やるだけやってやろう。二十六のおっさんであっても、ただ必死に目の前のボールを追いかけてるあいつらと同じように必死に足掻いて走って追いかける。それくらいはできるはずだ。

 ただし、その期限は五日間。

「……久しぶりに、戦うか」

 さあ、開戦だ。



五日間の恋攻防戦線

  

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