煩い場所や会話は苦手。静かな場所でゆったりとした時間を過ごすのが一番幸せ。

 特に静かで過ごしやすい場所は図書室。一人静かに好きな世界に浸ることの出来るこの場所は、騒々しい学校の中で唯一落ち着ける場所だった。――ほんの一週間ほど前までは。



「君が名字ちゃん?」
「?」

 何時ものように図書委員の仕事をしながら読書をしていたら、聞き慣れない声で話しかけられた。図書室に何時も来ている人ではないと声で分かった私は本から顔を上げ、カウンター越しに声をかけてきた人へ顔を向ける。

 其処には茶髪で背の高い男子生徒が立っていた。爽やかそうな彼には何となく見覚えがあるけど、知り合いではない。そして本を探しているにしては少し様子が違う。それでもわざわざ図書室に足を運ぶ用が彼にはあるはずなので、何の用かと首を傾げた。

「そうですけど、何か」
「やっぱり!」

 “図書室の令嬢”って有名な子だ。

「……」
「前々から知ってはいたけど部活が忙しくてさ。今日は時間が出来たから来てみたんだけど」
「……それでご用は?」
「名字ちゃんって彼氏いる?」

 ――何を言っているんだこの馬鹿は。

 関わるだけ時間の無駄な相手だと認識した名前が渋い表情をするとそれを見た男子生徒はそんな顔しないでよと言いながらカウンターに手をつき、見目に似つかわしい爽やかな微笑みを浮かべる。

「そんな顔しないでよ。ちょっと聞いてみただけじゃん」
「答える義務はありません。図書室を利用しないならお引き取り下さい」
「酷いなー」
「酷くありません。それと声が大きい」
「誰もいないじゃん」
「……それとこれとは話が違います」

 私立高校で大きな図書館だというのに利用するのは先生や一部の生徒ばかり。確かに今は私だけしかいないけれど、それでも図書室としてのルールやマナーは変わらない。

 目の前の男子生徒はさっきよりも小さな声で、彼氏はいるとか何を読んでいるのと非常に耳障り。無視を決め込んで本を読むには騒々しい話し声に私は少しだけ折れることにして、手元の本を一度カウンターに置いた。

「私の恋人は本です」
「へ?」
「本以外には興味ありません」

 大正の浮世絵と言われる絵が表紙を彩る手元の本に手を置いてそう答えれば、目の前の男子生徒は虚を突かれたように目を丸くしていた。

「……そっか」
「用がないのならお引き取りを」

 それ以上話すつもりがない名前が手元の本を開けばその男子生徒はしばらく呆然とした様子で彼女を見つめたあと、クスクスと笑い声を漏らした。この二人だけしかいない静かな図書室で笑い声が嫌でも耳に入った彼女が視線だけを上げると、目の前の彼はどこか満足げな笑みを浮かべていた。

「面白いね、名前ちゃんって」
「はい? 私の名前を気安く呼ばないで――」
「今日のところは帰るよ。じゃあね、名前ちゃん」

 “今日のところ”は?

 もしかしてまた来るつもりなのかと名前が渋い顔をすれば男子生徒はそれを気にした様子もなく、じゃあねと手を振りながら図書室を出て行く。カウンターが死角になっていて見えなかったが彼はスクールバッグ以外にスポーツバッグをひとつ手にしていて、運動部らしいことが見て取れた。

「……一体何だったの」

 訳の分からない人に捕まって時間を無駄にしてしまった。

 予期せぬ訪問者に集中力を削がれて返却用の棚の本を片付けようとカウンターから出ると、足元に小さな手帳が落ちていることに気が付いた。それはこの学校の学生証で、私も持っているから直ぐにそれだと気が付いた。

「……これさっきの人のかしら」

 私が図書室に来た時に落ちていなかったということは、必然的にそういうことになる。念のためその学生証を開いて持ち主を確認すれば先程いた人の顔写真が貼られていて、その脇には名前や生年月日が書かれている。

 そして先程いた男子生徒の名前を見た瞬間、私は“あの人”かと彼の正体を認識した。

「……及川徹」

 男子バレー部で女子生徒の間で話題になっているあの男だ。興味がなかったから顔を覚えていなかったけど……そう、この男が噂の色男。

 それが私と及川徹の初めての出会いであり、これから始まる不思議な関わりの最低なスタートラインだった。 

 

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