思いがけない落とし物を拾ってしまった私は一瞬それをどうするか迷った。

 正直、図書室で預かった遺失物扱いにしても良かったし職員室に届け出ても良かった。それでも私のなかにあったほんの少しの良心が“持ち主が分かっているのなら届けるのが当然だろう”と囁いたので無視することができなかった。


「……いないわね」

 翌日の放課後、ホームルームが終わった後に及川がいる教室を覗き込んだけど彼の姿はどこにもなかった。生徒手帳に書いてあったクラスが間違っていなければ此処のはずだけど……もう帰ったのかしら。

「……もうひとつ考えられるとしたら」

 彼が所属しているバレーボール部。

 体育館までは遠くないし行くことも問題はない。何よりも拾った生徒手帳が別の意味でお荷物だから早く何とかしてしまいたい。それならばと私は爪先を体育館へ向けて、徐々に近づくごとに聞こえてくる体育会系のかけ声に耳を傾けた。

「……いるかしら」

 ドアの影からそっと中を覗き込めば何人もの男子生徒がバレーボールを追いかけていて、汗を流しながら練習に励んでいた。部活中というよりは部活前の自主練中みたいで、監督やコーチらしき人の姿は見当たらない。

 部活が始まる前に見つけなければと思った矢先、あの男はネットの傍にいた。

「次!」
「オラァ!」

「……」

 それは図書室であった同じ人物だというのに、雰囲気が全く違っていた。

 あれが本当に“噂”で聞く及川徹?

「……信じられない」
「あのー」
「!」

 誰に言うでもなく独り言を呟いたあと、何時の間にかドアの正面に立っていた男子生徒に声をかけられた。彼は及川よりも背が高くて、全体的に縦長い印象がある。もしかすると中を覗き込んでいたのを見て声をかけてくれたのかもしれない。それなら話が早い。

「ちょっと用を頼まれてほしいのだけど」
「あー……及川さんのファンレターの取次ぎはしてないんスよ。渡すなら部活終わってから直接お願いします。スイマセン」
「はあ?」
「え?」

 不味い、つい悪癖が出てしまった。

 それにこの男子は何も悪くないし、普段からあの男がそういうことをしているからそれを予想して返事をしただけ。悪気はないはず。

「そうじゃないの。これは完璧に事務連絡――」
「あっ、名前ちゃんだ!」
「……噂をすれば」

 タイミングが良いことに及川が私のことに気が付いてこちらに駆け寄ってきた。及川は私と目の前の男子生徒を交互に見ると、少々わざとらしく頬を膨らませた。

「金田一ってば名前ちゃんと話してたわけ?」
「いや、まあ。あの用があるみたいだったんで。……知り合いっスか?」
「知り合いっていうか――」
「ただの知り合いよ」
「相変わらず冷たいなあ……」

 余計なことを言いそうだった及川の言葉を遮った私は鞄から彼の生徒手帳を差し出せば、彼はきょとんと目を丸くしてから嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「これ探してたんだ! 名前ちゃんが拾っててくれたんだ。ありがと!」
「礼には及ばないわ。それじゃあ私はこれで」
「ねえ、これのお礼させてよ」
「いらないわ」
「それじゃ俺の気が済まないんだってば」
「……あのね、自分の名前も名乗らない男にお礼をされる筋合いはないの」

 名前はとっくに知っているけれどしつこく食い下がる及川に嫌味を含めてそう言ってやれば、彼はそれもそうだと言うような顔をしてからこちらに向かって握手を求めるように手を差し出してきた。

「俺は及川徹。バレーボール部で主将やってて、ポジションはセッター。好きな食べ物は牛乳パン。宜しくね、名前ちゃん」
「……」
「――というわけで、お礼させてよ」
「……馬鹿だとは思っていたけれど、本当に馬鹿なのね、貴方」

 改まったとしても私の意思が変わる理由にはならない。及川の馬鹿な遊びに付き合っていられないと体育館から早々に背中を向けた私はいつも通り委員会の仕事をするために図書室へ向かった。

 後方で及川が何か言っていた気もするけれど、聞こえないふりをした。



「あーあ、行っちゃった。つれないなあ」
「……あの、及川さん」
「どうかした?」
「……それ、わざとっスか」
「ああ、これ?」

 及川は優男だがその実自己管理は徹底している。自分の身の回りはきちんと整理し、忘れ物や落とし物などの類のことは一度もしたことがない。そんな彼の性格をよく知っている金田一がその意味を込めてそう訊ねれば、及川は悪戯が成功した子どものように口元を緩めてみせた。

「分かった? 名前ちゃんなら届けてくれるだろうと思ってさ」
「……また遊びですか?」
「これくらいしないと駆け引きは上手くいかないんだよ。特にああいうガードの固い子はね」
「程々にしないと岩泉さんにどやされるますよ」
「まさか」

 今回は遊びじゃないよ。

「!」
「遊びであんなにガードの固い子に手を出すほど暇じゃないし」

  

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