きっかけは些細なことだった。

 あれは一年生の夏頃、放課後の練習にメンバー全員が用事でほとんど集まらなかったあの日。部活は休みになったけれど練習がしたかった私は人気のない校舎裏で音楽プレイヤーを耳につけて練習をしていた。上着を脱ぎ捨てる振り付けで、誰もいないからと半袖の上に着ていたジャージを勢い良く放った。

「うわっ!」
「!」

 人気がないから長い練習の電池消費を考えて音楽プレイヤーの音は控え目。だから誰かの驚いた声が直ぐに聞こえて私は慌ててイヤホンを外して声のした方に顔を向けると、其処には同じクラスの澤村くんが居た。

 そして彼の頭には私のジャージ。それを取った澤村くんを見て、自分の顔が直ぐに青くなったのが分かった。

「あっ……! ご、ごめんな、さい」
「あ、いや……こっちこそ邪魔して悪い」

 かなり勢い良く投げたから怪我をしていたらどうしようと思っていたけど怪我はないみたいでほっとした。それに怒ってもいないみたいで、澤村くんは苦笑いをして私にジャージを返してくれた。

 よく見ると澤村くんもジャージ姿で、何か運動部系の部活をしているのかと思ったけれど、それを聞く勇気はない。受け取ったジャージを握り締めて澤村くんが立ち去ってくれるのを待ったけれど、彼は中々帰ろうとしない。だから勇気を振り絞って、帰らないのかと聞いてみることにした。

「あ、あの……澤村くん」
「ん?」
「あの……行かなくて、良いの?」

 何処かは知らないからそうとしか言えなかったけれど、澤村くんはそれで理解をしてくれたみたいで、ああそうだよなと笑った。これで行ってくれるとほっとしたのもつかの間、澤村くんはふっと笑って首を傾げた。

「名字、何時も教室じゃ静かなのにダンス凄く上手いんだな。驚いたよ」
「え」

 私の名前、知ってるの?

 ダンスを見られていたことよりも私の名前を知っていたことに驚いた私は目を丸くした。確かに同じクラスだけど、澤村くんとは集団での自己紹介以外で話したことはなかったはず。それなのにどうして。

「あ、どうして名前知ってるかって思ってるだろ?」
「!」
「名字は分かりやすいなー」

 そう言って楽しそうに笑う澤村くんだけど、私にとってはかなり驚きだった。だってクラスでも目立たないし友達も……正直に言って中学からの友達とダンス部の人以外とはほとんど関わり合いがなかった私だから、クラスの中心にいる澤村くんが知っているなんて考えたこともなかった。

「集団の自己紹介でさ、名字が一生懸命話してるの印象に残ってるんだ」
「!」
「人と話すの苦手っぽいのは見て直ぐに分かったんだけど、それでも一生懸命に話してて。ああ頑張ってんなーって思ってさ。それから気になってずっと見てて、クラスだとその……正直目立たないけど、皆が嫌がる掃除とかゴミ捨てとか静かにやってるの見るし」
「え」
「頑張り屋なんだなって思った」
「!」

 そう言ってにっこり笑う澤村くん。

 誰も気にしていないと思っていた私のこと。私自身も意識していなかったこと。それを全部当たり前のことのように行ってくれた澤村くんが凄く眩しく見えた。

「あ、あの……」
「体育館暑くて外出てきたら校舎の影で誰かが何かしてるの見えて、何してるのか気になって出てきたんだ。そうしたら大人しい名字がダンス踊ってて驚いたよ」
「う……」
「あっ、別におかしいとかそういうんじゃないからな! その、ダンス詳しくないけど上手いと思うし格好良い、凄いと思って遠巻きに見てたんだけど、あんまり真剣だったから声かけないで見てるのも悪いと思って近付いたら急にジャージ脱ぐから驚いたよ」
「! ご、ごめんなさい!」
「あ、それはホント大丈夫だから」

 そういうことが言いたいんじゃないんだと手を横に振る澤村くんに私が首を傾げると、何だか言いにくそうに頬を掻いてからそっと口を開いた。

「……あの、さ。良かったらダンス見せて欲しいんだけど」
「え」

 澤村くんが遠慮がちに言ったことに私は一瞬硬直した。……私のダンスが、見たいんなんて。

「わ、私そんなに上手く、ないよ
「いや、俺は格好良いと思うし上手いと思ってる。なあ、駄目か?」
「う……」

 両手を合わせて笑顔を見せながらお願いしてくる澤村くん。まだ練習してから間もないしそんなに振りも詰めてないし……そもそもあんまり上手くない、けど。

 ……でも、私のダンスをこうしてちゃんと褒めてくれたの、ダンスメンバー以外では初めて、かも。

「……その、このダンスの練習初めてからまだ間もないけど」
「?」
「振りも詰めてないけど、それでも、良ければ……」
「! 本当か? 嬉しいなあ」
「!」

 自分でもたどたどしかった言葉に本当に嬉しそうに笑った澤村くんは合わせていた両手を解くと、自分は何処に居れば良いかと聞いてきた。一人だから構成も何もないし、そんなに広い場所で踊ることを想定していないからそんなに遠くなくても……うん、大丈夫。

 私は近くにある芝生を指し示して澤村くんが其処に行く背中を見送って、その間に上着を着て音楽プレイヤーのイヤホンジャックを外して薄型のプレイヤーに填め込んだ。視線を向ければ澤村くんはもうその場所に立っていて、期待しているような顔でこっちを見ている。

「う……」

 ステージだと平気なんだけど、こうしてほとんどスイッチが入っていない状態でこうやって見られながら準備しているとやっぱり緊張する。……でも、今から見せるって約束、したから。

 私は小さいリモコンをジャージのポケットに仕込んで澤村君から離れた正面に立つと、細く息を吐いて――ふたつのスイッチを入れた。

「!」

 アップテンポな女の子の曲。
 景色が回って、何時もと同じ景色のはずなのに違う景色に見えたりして。

 何時もと違う私に、なれる感じ。



「――ふ、う」
「……」

 曲が終わってリモコンでプレイヤーを止めて放り投げた上着を拾った私が澤村くんの方へ顔を向けると、彼は呆然とした顔で固まっていた。それを見た私は顔が青くなるのを感じて顔を引き攣らせると、澤村くんはハッとした顔で体を震わせてこっちに歩み寄ってきた。

 な、何か怖いかも――。

「!」
「名字、お前凄いな!」

 なんて思っていたのもほんの少しだけだった。私に歩み寄ってきた澤村くんは私の右手をその大きな両手で握るとそう言って、私の見間違いでなければ……その、目が輝いているように見えた。

「え、あの……」
「あ、悪い! いやでも本当に凄かったよ。それって何かイベントとかでやるやつなのか?」
「えっと、来月に体育館を借り切ってこのダンス以外もいくつかやるつもり、だけど……」
「そうか、来月か。日程決まったら教えてくれよ。俺、見に行くからさ」
「えっ」

 思わず驚いた声を出すと澤村くんは不思議そうに首を傾げた。……だって澤村くんこういうの興味ないような感じがしていたし、まさか見に行くなんて。

 びっくりして声が出なかった私を見て言いたいことを何となく察したらしい澤村くんは困ったように笑うと直ぐに嬉しそうな表情に変わって、それを見た私は目を丸くした。

「正直今まではそんなに興味なかったけどさ、名字が踊ってるの見て良いなって思ったからさ。よっぽどのことがない限り、絶対見に行く」
「あ、う……」
「それに、名字が凄くキラキラして見えた。ダンス好きなんだなって伝わってきたよ」

 そう言った澤村くんが見せた笑顔に、私は呼吸が出来なくなった。


 それから澤村くんはあの言葉通りにダンス部の発表を見に来てくれた。何時もの私とは違う服装にメイク、ダンスは一度見たけど雰囲気変わるなって笑ってくれた。

「やっぱり凄いな、名字」
「あ、ありがとう……」

 それから私は、澤村くんから目が離せなくなって。それが恋だと気が付くのに少しだけ時間をかけて、未だに話しかけられずにいる。

 

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