仕事が一段落付き、気分転換にクレアの元へと訪れたのは夜も更けた頃だった。
医務室へ行けばすぐに奥の部屋から出てきた彼女が、ソファへと促してくれる。
ナイトウェアの上に白衣を羽織った姿を見る限り、そろそろ寝ようとしていたのだろうが、遅い訪問であった事に何を言うでもなく対応してくれる事に感心してしまう。
医務室勤務の彼女は構成員が怪我をした時にいち早く対処できるからと、職場の隣に居を構えている───が、それは建前で。
元々究極の引きこもりの為、医務室の隣の物置きを部屋として使っていたのだ。
けれどクラウスがそれを良しとするはずもなく、今では医務室の隣は住居可能な1LDKになっている。
本当はもっと部屋数も面積も増やすつもりだったらしいが、「一人暮らしなんだからこれで十分です!」とクレアが頑として譲らなかったらしい。
それでもクラウスが少しでも彼女の暮らしを良くしようと、天蓋付きのベッドを寄こしたと、クレアが遠い目をしていたのは微笑ましい記憶だ。
「僕も何かプレゼントするべきなのかな」
「は?」
そんな突然の呟きに、飲み物を用意してくれていたクレアが怪訝そうな顔をする。
「服なんてどうだい? 今度、君に似合うのを贈ろう」
「間に合ってます」
にっこり笑って申し出れば、真顔の即答が返ってくる。
それに対し苦笑を浮かべながら「それは残念だ」と呟いた。
常日頃からおしゃれに興味のないクレアを自分色に染め上げるのは、さぞかし楽しそうなんだがなぁ……なんて浅ましい思いを抱いている事はおくびにも出さずに。
たまには違った姿も見てみたいものだけど……と思いながら、ふと今の彼女の姿に引っ掛かりを感じた。
「そう言えば珍しいんじゃないか?」
「はい?」
「いや、普段の君らしくない装いだなって」
いつもは動きやすさ重視の服装を好むクレアが、可愛らしさ重視のベビードールを着ていた事に違和感を覚えたことを告げると、彼女は納得した様に頷いた。
「まぁ、頂き物なので」
「は?」
今度は僕が訝る番だった。
「貰ったって、誰に?」
「えーと、ザップさん?」
「何で疑問形になるんだ?」
「私は寝られればパジャマでも、ネグリジェでも、スウェットでも良いのでお任せしますと買い物をギルベルトさんに頼んだら、それを知ったK・Kさんが買ってきてくれたんです」
ふと、「娘がいたらめいいっぱい、おめかしさせたかったのよねぇ!」とはしゃいでいたK・Kを思い出した。
その時に他の服も何着かまとめてプレゼントされたらしい。
「で、その内の一着がこれで、荷物持ちとして同行していたザップさんが選んでくれたらしくて」
金銭的にはK・Kが出した事になっている為に疑問符がついていたのか。
ふーん、なるほどね……と納得するも、どこか腑に落ちない。
僕には遠慮するのに、他の奴らには随分と打ち解けているんだな。
「………………」
いや、違う。たぶん、そうじゃない。
何だかんだとあの2人はクレアを甘やかしているが、それは心配の裏返しでもある。
おそらくはクラウスからも、K・Kからも押し切られたんだろう。
だが……だとしても。
面白くない。
そんな何とも言えない思いは、先程仕事が終わった時に抱いた虚無感に似て───
先日の仄暗い出来事が脳裏をよぎる。
ライブラに居るかぎり仲間や友人であったとしても気が抜けない事は仕方ないと思っていたし、割り切ってもいたとは言え、いざ牙を剥かれると結構くるものがあった。
仕事で忙殺されている時は良い。余計な事を考えなくて済むから。
けれど、夜のふとした瞬間。それは唐突に訪れ、何とも言えない気持ちにしてくれる。
埋めようのない空白。これじゃあ何の為にここへ来たのか分からない。
「はい、どうぞ」
「っ!?」
かけられた声に顔を上げる。いつの間にか暗い気持ちと一緒に視線も下がっていたらしい。
見ればクレアが両手に持ったマグカップの片方を僕に差し出していた。
乳白色の液体の入ったそれは、持つと手のひらにじんわりとした熱を伝えてくる。
「ミルク?」
「えぇ、たっぷりの蜂蜜入りです。冷めないうちにどうぞ」
ふんわりと笑う彼女に再度促され、一口、二口と胃に流し込む。
「……うまいな」
ほのかな甘みのミルクは身と心にじんわりと浸透し、自然と呟きが漏れた。
それを確認したクレアは満足そうに笑うと、斜め向かいの一人用のソファへと腰を下ろし、
「あんまり思い詰めるとハゲますよ?」
「ごふ……っ」
突然の爆弾投下に、吹き出しかけた。
「はげ……って、君ねぇ」
「いくら異界のおかげで医療が飛躍的に進歩したとはいえ、頭皮の悩みは畑違いなので」
「…………そうか」
これ以上何かを言った所で相手にされないだろう。力が抜け、がっくりと肩が落ちるのが自分でもわかるが、それ以前に一目でそれと分かるほど、心理的に追い詰められていた事に失笑が漏れた。
情けないなぁ……。
ミルクを見つめながら、ほう……と一つ息を吐き、ゆっくり顔を上げ───
「もしも僕が泣いたら殴りつけてくれないか」
クレアの目を直視しながら告げると、何言ってるんだコイツという顔をされた。
そして一言、「嫌ですよ」と不機嫌そうな答えが返ってくる。
あまりのあっさりとしたその回答に、僕は苦笑を滲ませた。
それもそうか、誰だって面倒は背負いたくない。
「殴られる方も痛いですけど、殴る方だって痛いんですよ」
「あぁ、心が痛いってやつかい?」
揶揄したように言えば、クレアは面白くなさそうな表情のまま「そんなんじゃありません」と言い切る。
「私の手が痛くなるじゃないですか」
「あぁ、身体的な意味でね!」
斜め上の返答に、何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
と言うか、悲しくなってきた。
何だろう、この虚しさは。
勝手に期待して、勝手に裏切られ、別の意味で泣きそうだ。
それを流し込むように残りのミルクを一気に呷ったところで、クレアが「そうですよ?」と同意した。
「だいたい私の手が負傷したら、誰が殴られた男前の治療に当たるんですか」
その言葉に、目をぱちくりと瞬かせる。
それは言わずもがな、僕の事を指していて……。
見ればクレアは何を当たり前のことを言わせているんだ、とでも言いたげに肩を竦めていた。
その姿に、ささくれ立った気持ちが軟化していき───
「そうだな……そりゃそうだ!」
言って僕は久しぶりに笑い声を上げたのだった。
もしも僕が泣いたら殴りつけて
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