「……あつい」

 何たる暑さ。そりゃあ八大地獄は年中暑いけど、夏のこの暑さは半端ない。これでもかと言う程の容赦のない温度。

「焼ける、溶ける、蒸発する」
「貴女の場合シャレになっていませんよ、それ」

 暑さに対し泣き言を漏らせば、隣に居た視察中の上司から呆れたような視線を頂戴した。普段から良い目付きとは言えないその眼差しに見下ろされれば、あくどい顔に拍車がかかったようにしか見えない……って。

「いひゃひゃひゃひゃひゃっ、いひゃいれふお、ほおふひはまっ」
「痛くしてますから」

 無表情で私の左頬を摘まむ上司に抗議をすれば、清々しいまでの即答。一体私が何をしたと言うのか。そんな思いが伝わったのか、目の前の鬼神様は私から手を離すとその切れ長の目で見下したまま述べた。

「貴女、何か失礼な事を思ったでしょう」
「何を根拠に……」
「だてに貴女との付き合いも短くないですから。雪乃さんの考えそうな事は想像がつきます」

 痛む頬をさすりながら呟けば、そんなお言葉が返ってくる。確かにあまり良い事は思わなかったけど。だからって力いっぱい摘ままなくても……まったくもってこの人も大概容赦ない。

「……貴女、余程呵責されたいと見えますね。そんなに苛めて欲しいのですか?」
「そんな訳ないじゃないですかっ。これ以上摘ままれたら伸びちゃいますよっ」

 片手を持ち上げ頬を摘まむ気満々の上司から逃れるように両手で頬を覆い、非難の眼差しを向ける。するとこの鬼神様はどこか嬉しそうに眼を細め、無慈悲な言葉をさらりと言ってのけた。

「そうなったらもう片方も伸ばして差し上げますよ」

 ───と。
 その姿はどう料理してやろうかと考える悪魔のよう。……いや、鬼だけど。それも鬼の中の鬼だけど。

「とまぁ、冗談はさておいて」

 冗談? あれは絶対冗談なんかじゃなかった。あの目はマジだった。本気と書いてマジだった。

「何か言いたげですね?」
「イエ、滅相モゴザイマセン」
「良いんですよ? 何なりと意見して下さって」
「トンデモゴザイマセンっ」

 慌てて頭を振って否定すると「まったく、貴女と言う人は……」と溜め息を吐かれる。やれやれと言わんばかりのその素振りに、思わず動きを止め表情を窺ってしまう私は小心者だ。
 すると先程まで嬉々として私を苛めていた上司は、おもむろに片手を上げた。反射的に体を震わせれば、その手は私の頭の上に優しく置かれる。

「?」
「こんな所で油を売っていては後の仕事に支障が出ます。先を急ぎましょう」
「そ、そうですね」

 私としてもこれ以上ここに留まるのは正直つらい。早く閻魔殿へ帰って水浴びしたいし、お昼も食べたい。素麺とデザートにアイスも食べたい。冷房の効いた部屋でアイスティー飲みながらゴロゴロしたい。引き籠りたい。実家に帰りたい。

「帰らないで下さい」
「冷蔵庫でも良いです。巨大な冷蔵庫造って下さい。夏はそこで仕事します」
「どの道視察に付き合ってもらう事になるんですから、そんな生活していたら直ぐに夏バテしますよ」
「………………」

 なんだろうこの八方塞がり感。これはもう天国へでも転職するしかないって事か。確か丁度人手不足って言っていたし、あそこなら年中常春だし、まったりできるしゴロゴロし放題。天国万ざ……。

「って、痛い痛い痛いっ」
「ロクな事を考えない脳みそならいりませんよね?」
「ごめんなさいっ、嘘です冗談です気の迷いですっ」

 頭の上に乗っていた手の平が顔面を覆い、指先がギリギリと食い込む。その痛さに反射的に謝れば大きな手の平が離れ、代わりに固い物体を顔に押し当てられた。痛い。

「冷蔵庫は無理ですが、今はそれで我慢して下さい」
「…………こ、れは?」

 受け取り見たのは白くて四角い───保冷剤。目鼻と口が描かれている妙に可愛いデザインは、おそらくシロクマを模しているのだろう。手の平サイズのそれは多少溶けはじめているものの、まだまだひんやりとして気持ちいい。その冷たさに思わず頬ずりしてしまう。

「生き返りますぅ」
「まったく、暑さが苦手ならそれなりに対策を講じなさい。どうして貴女はそう抜けてるんですか」

 呆れた声も視線も保冷剤の前では気にならない。ただただこの冷たさを堪能するのみである。

「……はぁ、優秀な秘書官に倒れられては困るんですよ」

 …………。

 あれ? 今、もしかして褒められた? いや、その前に(けな)されてたけど。
 保冷剤から離れないままチラリと上司を窺えば、そっぽを向いてやれやれと溜め息を吐いている。

「…………」

 途端、褒められたのが嬉しくなって口許が緩んだ。それを見た上司は眉間に皺を寄せ、不審そうに言う。

「何ニヤニヤしてるんです。体力が回復したなら行きますよ。仕事は山積みなんですから」





 眠そうなアカミミガメみたいな目で無表情。
 妥協と曖昧を許さない合理主義者の仕事の鬼。
 そんな閻魔大王の第一補佐官である鬼灯様と秘書のとある日常風景。
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