「明日は何時に伺いましょう?」

 本日の仕事も終わり、閻魔殿内に与えられた部屋へ戻る途中。二徹して少しばかり疲れの見える背中へと問い掛ける。

「あぁ、明日は結構です。閻魔大王から有休を頂いたので」
「そうですか」

 その言葉を聞き、気を利かせてくれた閻魔様に感謝する。この上司は仕事の事となると熱が入り過ぎる嫌いがあるのだ。
 そんな仕事馬鹿のこの上司を、閻魔様も心配して下さっているのだろう……って。

「いひゃいれふよっ!」
「あぁ、何か失礼な事を考えている顔をしていたので、つい」

 つい、で頬を摘ままないで頂きたい。最近摘ままれ過ぎて、両頬の柔らかさが違う気がするし。
 …………まさか摘まむのが癖になってるんだろうか。なんて迷惑極まりな……。

「だから痛いですって!」

 痛む額を押えて抗議すれば、鬼上司は口許に緩やかな弧を描き、楽しそうに見下ろしてくる。

「摘ままれるのが嫌そうでしたので、でこピンにしてあげたんです」
「だから感謝しろとでも仰るんですかっ!?」

 この腹黒じょ……。

「いひゃい」
「貴女もいい加減学習しなさいよ。まぁ、そう言う事ですので明日は閻魔大王の事お願いします」
「うぅ、分かりました。こちらの事は気にせず、ゆっくり体を休めて下さいね」
「……………えぇ」
「って何ですか、その間は」
「いえ」

 じとりと見上げれば、ふいっとそらされる視線。
 ……これはもしや。

「まさかまだ何かお仕事をなさるおつもりですか?」
「少々私的な用事を済ますだけですよ」
「………………」

 いくら鬼の体力が並外れていると言っても、酷使すれば体調を崩すことだってある。その事を知らない訳でも、自分だけは大丈夫と高をくくっている訳でも無いだろうが……。
 私が言って聞き入れてくれるとは思えない。
 仕方なく、私は知らず知らず零れていた息に被せるように上司に進言した。

「私生活までどうこう言う権利は無いのは重々承知していますが、程々にして下さいね」
「えぇ、分かっています」
「……おやすみなさい」

 部屋の前まで来ていた私は言って自分の部屋の扉に手をかける。隣の部屋の住人は一度入室したかと思うと何故かスコップ片手に出てきたが……。

「………………」

 これ以上は踏み込むべきではない。喉元まで出かかった言葉をぐっと堪え、私はそっと扉を閉めた。





 ───次の日。

「鬼灯様いる―?」

 そんな元気な声が法廷に響いたのは、午前中の仕事がひと段落ついた時分だった。裁判で使い終わった巻物を片付けながら声の方を見てみれば、桃太郎さんの元お供たちの姿。地獄で雇われて以来、鬼灯様を慕ってよく遊びに来ているのだけど……。
 残念ながら本日鬼灯様はお休みである。

「え、鬼灯様今日はお休みなの?」
「うん。二日続きで徹夜だったから今日は休ませたよ。ただ、やる事があるって結局また徹夜したみたいで……まだ寝てるんじゃないかな?」

 閻魔様が少し困ったように笑いながら答えると、シロくんは残念そうに尻尾を垂らした。

「えー、先輩の結婚祝いに何あげれば良いのか相談したかったのに……」
「あぁ、だったら仙桃は? 桃源郷の白澤(はくたく)君が管理してるから、聞いてみたらいいよ」
「はく、たく……様?」

 首を傾げコチラを見るシロくん。うーん、なんと説明したらいいだろうか。

「白澤様って言うのは漢方の権威で、極楽満月という薬局の……あ、桃太郎さんのお勤め先の上司ですよ」
「え? 桃太郎の?」
「はい」
「あのコ、鬼灯君に似てるんだよねぇ。顔つきもだけど、小賢しいところがさぁ……あっ、鬼灯君には内緒だよ。言われると酷く屈辱らしいから」

 慌てて言いつくろう閻魔様に、私も苦笑を浮かべる。あの2人の仲は手の施しようが無い程に険悪なのだ。そのくせ極々稀に意気投合したりして、良く分からない2人でもある。

「桃源郷かぁ……鬼灯様に言ったら連れてってくれるかなぁ?」
「お前閻魔様の話ちゃんと聞けよ」
「鬼灯様起こしても大丈夫ですか?」

 鬼灯様が大好きなシロくんに呆れつつ、3匹の中で一番常識派のルリオくんが閻魔様に確認を取る。

「うーん……まぁ、もう昼だし起こしてもいいと思うけど……ヘタに起こすと一瞬にして君の顔の形が変わるかも……」
「何をされるのッ!?」

 度の過ぎた閻魔様の脅しにシロくんが恐怖に(おのの)く。確かに寝起きはあまり良い方とは言えないかもしれないが、そんな酷い扱いを受けた事は無い。
 ……まぁ、鬼灯様って閻魔様には遠慮が無いと言うか手加減が無いところがあるから、その差なのかもしれないけれど。
 そんな事を思っていると、思いも寄らない言葉が閻魔様から飛び出した。

「彼は寝坊なんてしないから、まず人に起こされるってことがなくて……」
「え?」
「え?」

 思わず声が出て、閻魔様と顔を見合わせる。その表情は心底不思議そうだ。

「あ、いえ……」

 私は慌てて手を振り、何でも無いと首も振る。有り難い事に閻魔様はさして気にした風もなく話を続けてくれた。

「というか人に起こされるのが嫌みたいで……以前、出張で同じ部屋に泊まった時にさぁ……」

 ……もしかして、普段起こしている事って他の人には言わない方が良いのだろうか? まぁ、言いふらすような事でもないけど……。
 閻魔様が朝方に鬼灯様を起こした時の話を聞きながら、うーん……と考える。

「それにあのコ、結構爆睡型だからなかなか起きないかも……」
「おい、シロ。お前行って起こしてこいよ」
「えー、なんで俺?」
「いいじゃん、お前鬼灯様大好きだろ? なんかこう……アメリカンホームドラマみたいにフランクに行け」
「そんなアットホームな展開、鬼灯様に期待できるかなァ」

 シロくんの言葉に鬼灯様の笑顔を想像してみる……が、何度やっても上手くいかなかった。そもそもあの仏頂面が笑顔になる事などあるのだろうか? むしろ笑顔になった方が怖いとすら思う。
 顔の似ている白澤様はあんなに笑顔が似合うと言うのに……。やはり表情と言うのはその人の性質によるところが大きいのだろう。
 そんな事を考えていると乗り気な2匹とは違い、柿助くんが異をとなえた。

「なー、やめとこうよ。ちょっとした好奇心が身を滅ぼす事もあるんだぜ?」
「えー……じゃあさ、雪乃さんは?」
「え?」
「桃源郷までの案内お願いできる?」

 尻尾をふりふりしながら期待に満ちた視線を投げかけてくるシロくん。このお願い攻撃に適うはずもなく、直ぐに午後の予定を確認する。
 今日の裁判は終わってしまったし、後は簡単な書類仕事ばかり。それもこれも鬼灯様が昨日までに粗方片付けてくれていたおかげだ。流石仕事の鬼、抜かりはない。それに急ぎの用事もないし……。
 ……うん、大丈夫そうだ。

「取り急ぎ片付けなければならない仕事もありませんし、宜しいですか? 閻魔様」

 出来れば鬼灯様には今日一日くらいゆっくりしてもらいたい。そう思って閻魔様を扇げば、優しげな笑顔が曇ってしまった。

「うーん、それは不味いんじゃないかなぁ……」
「どうして?」
「やっぱりお仕事を投げ出すのは不味いですか」
「いや、そうじゃなくて……雪乃ちゃんを一人で桃源郷に行かせたと知ったら怒ると思うんだよね……」
「誰が?」
「いや、うん」

 シロくんのもっともな問い掛けに閻魔様は歯切れ悪く答え、かと思うと畳みかけるように提案する。

「まぁ、鬼灯君と一緒に行くのが一番良いんじゃないかな? とりあえず行ってみたら? 住み込みだから部屋はこの奥……あぁ、雪乃ちゃん部屋隣だったよね。案内してあげて」
「……分かりました」

 閻魔様に頼まれてしまえば断る訳にはいかない。多少納得いかないと思いつつも3匹を案内するために先頭に立ち、コチラですと促した。
 ちなみにシロくんが誘ってみたものの、頑なに首を横に振って拒否反応を示していたので、閻魔様はお留守番である。





 関係者以外立ち入り禁止の立札。その更に奥に鬼灯様のお部屋はある。
 緊張からか、扉の前で柿助くんがゴクリと唾を呑みこんだ。

「……なんか既に威圧感あるな……」
「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」

 畏縮した彼らの緊張を解すように笑いかけながら扉を開けてやる。その際に、キィ……という開閉音が暗い部屋に響くが、鬼灯様はコチラを背に眠ったままだ。

「……ホントだ。ちょっとの音じゃ起きないんだな」
「うん」
「なんとなく、ああいうタイプって敏感にすぐ起きそうだけどな」
「爆睡型って本当なんだねぇ」
「ほら、そんな所にいないで入って大丈夫ですよ」
「う、うん」

 未だに扉のところから覗き込んでる彼らを招き入れ、鬼灯様のもとへと向かう。
 相変わらず雑多としている印象を受ける部屋だが、それが珍しいのかキョロキョロと忙しなく辺りを見るシロくん達。

「……難しそうな本がいっぱいだ」
「色んな匂いがする……何の匂いだろ?」
「この辺は貰い物っぽいな」
「なんだろコレ? ヘンなのー」

 好奇心いっぱいに辺りを物色し───と、その時。
 もぞり……と布団が動いた。
 興味津々で部屋を物色していた3匹はビクリと体を震わせるが、鬼灯様が起きた気配は無い。

「……なんだ、寝返りを打っただけか……」
「……お疲れなんだね」

 鬼灯様の顔を覗き込めば、枕の痕が頬に付いている。その痕を労わる様にシロくんが前足を乗せた次の瞬間───。
 ギンッ!! というような効果音が付きそうなほどの勢いで開眼した鬼灯様に、シロくんが悲鳴を上げた。

「キャアアアアアアアア!! イヤアアアアアアッ! 蹴らないで、ごめんなさいっ!!」
「……動物相手にそんな事しませんよ」

 ぼんやりした表情で取り乱すシロくんの尻尾を掴む鬼灯様は、まだ半分夢の中だ。

「……徹夜明けの爆睡を無理に起こされると結構辛いんですよ……勘弁して下さい……」

 そう言って鬼灯様は布団へ逆戻りしてしまう。ふわふわの尻尾を掴みながら。
 それはさながら幼子(おさなご)がお気に入りのぬいぐるみと一緒に眠る姿に酷似していて、普段の様子とのギャップに思わず口許が緩む。
 しかし、その状況が全然微笑ましくないのが、ぬいぐるみ役のシロくんである。

「ほ、鬼灯様っ!? 起きてよ鬼灯様っ!!」

 きゅうんっと泣くシロくんには一切反応せず、どこか幸せそうに眠る鬼灯様。これは完全に二度寝コースだ。

「雪乃さぁ〜んっ!!」
「あぁ、はいはい。今起こしますから」
「ど、どうやって?」
「こうやって」

 弱り切ったシロくんに助けを求められ流石に可哀想になった私はカーテンを開け、光を取り入れた。すると眩しそうに顔を顰めた鬼灯様は、光を避ける様に布団に潜り込んでしまう。

「ぜ、全然起きないよっ!?」
「もうちょっと待って下さいね……鬼灯様、失礼しますよ」

 一応一言断り、布団を剥ぐ。そして鬼灯様の頬を両手で包み、瞼を親指で撫でながら声を掛ける。
 どうやら私の手は他の方より冷たいらしく、気持ち良いんだとか……。更にどんな寝坊助さんでも、まつげを触られると起きてしまうと言う現象を利用してのこの方法、上手くいけばこれで起きてくれるはずである。

「鬼灯様。起きて下さい、鬼灯様……」
「………………」

 すると、幾ばくもせずに鬼灯様の瞳がゆっくりと開かれた。

『おぉおっ!!』
「すんなり起きたな」

 感嘆の声が上がり、私もホッと胸を撫で下ろす。見た感じ不機嫌そうでもない。

「おはようございます、鬼灯様」
「もうお昼過ぎてるから、おそようだけどね!」

 私とシロくんの声を聴きながら起き上がった鬼灯様は、私の顔を見るとまだ眠そうな目のまま、頭をガシガシと掻いた。

「……今日は起こさなくて良いと言ったはずですが……」
「シロくん達が桃源郷に行きたいそうで、その案内を閻魔様から頼まれました」
「………………」
「ゆっくりして頂きたかったので本当は私が一人で案内しようと思ったのですが、何故か閻魔様に止められまして……」
「……………………」

 そんなに信用無いんでしょうか、私……。
 そう呟けば、しばし無言だった鬼灯様がポツリと呟いた。

「…………まぁ、筋金入りの方向音痴ですし」
『………………』

 その瞬間、あたりに『あー』という、それは仕方ないと納得したような空気が漂う。

「し、失礼なっ! 閻魔殿の中ではもう(たま)にしか迷いませんよっ!?」

 がばっと3匹を振り返れば、呆れたような視線が突き刺さる。

「たまに迷うんだ……」
「勤続何年なのか気になる所だが……」
「もうかれこれ……」
「と、とにかく支度して下さいっ!」

 ルリオくんの疑問に、鬼灯様が天井を見上げながら思い出そうとしている邪魔をしながら、これ以上私の墓穴を掘る前に洗面所へと追いやる。
 そうしてから布団を直したり、脱ぎっぱなしの着物を畳んで気持ちを落ち着かせ、ようやく一息ついた。

「まったく……ちょっと迷う回数が人より多いだけなのに……」

 だいたい方向音痴とは言うが、場所や方角に関する感覚がちょっぴり疎いというかズレているだけで、筋金入りと言われるほどではない……と、思う。
 そりゃあ初めての場所は建物から出たらどちらから来たのか分からなくなる事もままあるし、朝と夜の道が別物に見えたりするけど……。

「………………」

 いや、深く考えるのはよそう。うん。
 何だか段々深みにはまっている気がして、思考を無理やり切り替える。
 そう言えば鬼灯様、今までずっと寝ていたって事は何も食べてないんじゃあ?
 出かける前に食事するんだろうか?

「鬼灯様。何かお食事されます? 軽い物なら直ぐ出来ますけど」
「あぁ……はい。お願いします」

 ひょっこりと洗面所を覗き込んで確認を取れば、顔を洗い終えた鬼灯様から鏡越しに頼まれた。分かりましたと一言答え、そのまま食事の準備に取り掛かろうとし、鬼灯様の後ろ姿がいつもと違う事に気づく。

「後ろ跳ねてますよ」
「え?」
「あぁ、じっとしていて下さい」

 コチラを振り向こうとした鬼灯様に近づき、ブラシを手に取ると霧吹きで髪を湿らせてブローする。もともと癖の無い髪なので、ぴょこんと可愛らしく跳ねていた髪は短時間でいつも通りに落ち着いた。なんとも羨ましい限りである。
 と、その一連の動作を見ていたシロくんが、邪気の無い瞳で見上げ楽しそうに言う。

「雪乃さんってさぁ」
「?」
「鬼灯様のお母さんみたいだねっ!」
『………………』

 ───と。

 その時の苦虫を噛み潰したかのような鬼灯様の顔といったら……。
 長年お仕えしてきたが初めて見る表情で、それはそれは何とも言いようの無い物だった。
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