やっぱりこうなるのか……。
 目の前で繰り広げられるジブリ劇場を見ながら、私はやれやれと肩を落とした。





 甘い香りが漂い、気温もぽかぽかと過ごしやすいここ桃源郷は、普段はとても穏やかな場所である。
 年中春の陽気に包まれ、空気も食べ物も美味しく、地獄に比べ色彩鮮やか。出来ればこちらに移住したいほどだ。
 それに景観もあの世絶景百選に選ばれるほどで、観光スポットとしても名高い。そんな獄卒や亡者も憧れる地ではあるのだが……。

「ギャアアアアア! 手が……手がああああああっ」

 ───それもこの2人。鬼灯様と白澤様が顔をあわせれば、たちまち天国も地獄と化す。
 それはシロくん達に頼まれ、桃源郷へと案内をした今回も例外ではなかった。
 医療研究の一環の為にと白澤様に薬の依頼をしていた鬼灯様は、金丹を乗せた白澤様の手の上にそっと手を重ねると、「バルス」という言葉と共に握りしめたのだ。それもミシミシとありえない音が聞こえるほどに。

「ウォオオオオ! それは何か!? 『滅びよ』ってことかオイ!! お前ジブリマニアか!!」

 白澤様の自己再生能力が長けているので深刻になる事は無いが、それでも鬼灯様の彼に対する扱いは容赦が無さ過ぎる。
 一度2人と馴染みのあるお香さんに仲の悪さを相談した事があったのだけど、「あれはどうしようも無いわねェ」と解決には至らなかったほど修復不可能な方達なのだ。

「ッターッ! これだからコイツ嫌なんだよ!! 人でなし!」
「人じゃないですよ」
「この手は男の硬い手じゃなくて女の子の柔らかい手を握るためにあるんだ! 雪乃ちゃんみたいなねー♪」

 そう言ったかと思うと、素早い動きで私の手を取りにっこり微笑む白澤様。それを見て、やはりこの方には笑顔が似合うと思う。
 基本人当たりが良く笑顔を崩さないので、ここまで毛嫌いされる鬼灯様は貴重と言えば貴重なのかもしれない。

「雪乃ちゃんの手は冷たくて気持ちいいねぇ」
「ありがとう、ございます?」
「手の冷たい人は心が温かいって言うよね。どう? 今夜、心も体も温めてくれないかな?」

 手に頬ずりしながら周りに(はばか)る事無く夜のお誘いをしてくる白澤様は相変わらず元気そうだ。しかし───。

「あの……白澤様……そろそろ離していただかないと……」

 鬼灯様の鉄槌がくだる……と言い終わるより先に危惧していた事が起きた。

「ていやっ!」

 鬼灯様が白澤様の手首に手刀を打ち下ろしたのだ。軽い掛け声とは裏腹に、凄まじい威力のそれは白澤様をのたうちまわす。

「いったああああっ!?」
「鬼灯様っ、痛い痛いっ」

 その際に鬼灯様に手首を掴まれ、白澤様から引き離される。が、その力が強すぎて半ば引きずられるような形になってしまった。
 そんな私に鬼灯様は呆れた視線を投げかけてくる。

「獄卒がそんな事でどうするんですか。貴女もあんな男に遠慮しないで少しは抵抗しなさい」
「んだとコラっ!? 雪乃ちゃんがいつ嫌がったって言うんだよっ!! て言うか女の子は優しく扱え、馬鹿力!」
「大丈夫ですよ。こう見えて雪乃さん丈夫ですし」
「そういう問題じゃ無いだろっ! あー赤くなってんじゃん! 雪乃ちゃん大丈夫?」

 憂慮の面持ちで手首をさすられ、苦笑が浮かぶ。心配してもらえるのは嬉しいのだけれど、その後の展開を考えるとただただ喜んでばかりもいられないのだ。
 案の定、彼らはまた言い争いを勃発させた。助けを請うにも、ここに就職したての桃太郎さんにお願いするのは酷だろうし、シロくん達は我関せずだ。
 面倒だけど、ここは自力で何とかするしかない。

「お前、痣になったらどうすんだよっ!」
「そうなったら責任は取ります」
「治療費払って、はいさようならって? 示談金で心の傷も癒えると思ったら大間違いだぞっ!」
「そんな訳ないでしょう。貴方じゃないんですから」
「だいたい、丈夫っていつも雪乃ちゃんにこんな扱いしてるのかよ!?」
「まぁまぁ、白澤様。心配して頂かなくても大丈夫ですよ。鬼灯様にはこれでも一応良くして頂いてるんです」
「これでもとは何ですか、一応とは」
「いひおうは、いひおうれふー」
「だからそれを止めろって言ってんだよ!」

 白澤様が割って入ってくれたおかげで鬼灯様に摘ままれていた頬が解放され、痛みが和らぐ。
 しかしフォローしたつもりが逆効果になってしまい、白澤様に本気で心配される羽目になってしまった。

「こんな暴力男の下で働く事ないよ! うちへおいで? 雪乃ちゃんなら大歓迎だよ!」

 眉尻を下げながら真剣な眼差しで私の両手を掴み説得してくれる白澤様は、心から鬼灯様との事を懸念して下さっているのだろう。
 対してそれを制するように憮然とした鬼灯様が私を見る。

「雪乃さん、こんな男の言い分に耳を傾ける事はありません。嫌なら嫌とはっきり言ってやりなさい」
「と言われましても……」

 誰彼かまわずな白澤様はたまに傷だけど……基本はとても優しいし、漢方に関しては最高の腕を持っている。上司として見るなら申し分ない。桃太郎さんも(かど)が取れて親しみやすく、良い同僚になれそうだ。
 更に気候は過ごしやすく、のんびりした雰囲気は地獄より私に合っているとすら思う。職場として好ましく、嫌な事は何一つとしてない。

「嫌じゃないですし、お誘いは嬉しいです」
『……………………』

 そう素直に答えれば、白澤様の表情はぱあっと輝き、対照的に鬼灯様の表情はずどんと影が差してしまった。

「ふん、人徳の差だな」
「…………」

 得意気になる白澤様に、普段なら黙っていない鬼灯様が絶対零度のオーラを纏ったまま無言で佇む。
 そんなに白澤様が受け入れられる事が我慢ならないのだろうか?
 嵐の前の静けさと言っても過言ではない様子の鬼灯様に、嫌な予感が押し寄せる。
 取りあえず、このままにしておいたら何が起きるか分からないので、早々に誤解を解こう。

「あの……白澤様」
「ん? なぁに?」

 確かに、普段の鬼灯様は厳しい。目付きも悪いし、すぐ頬を摘まむし。たまにすごく意地悪だ。
 地獄は地獄で年中暑いし、耐え難いものもある。
 ───けれど。

「えーとですね。お誘い自体はとても嬉しいのですが、私はこれでも鬼灯様の秘書ですので」

 鬼灯様も年がら年中、冷酷無比と言う訳では無い。さり気なく気を遣って下さるし、きちんと仕事をこなせば褒めても下さる。
 だから……。

「辞退させて頂きますね」

 そうはっきりお断りの意を伝えれば、白澤様は難色を示した。

「こいつに義理立てする事ないんだよ?」
「いえ、そういうのではなくて……でもそうですね。鬼灯様って、1人にしておくと際限なく仕事をしそうで心配っていうのはあります」

 言って困ったように微笑めば、「1人で外を出歩けない雪乃さんには言われたくないです」と鋭いツッコミが入り、ピシリと一瞬凍りつく。
 こちらには返す言葉も無いのでそのまま放置させて頂こう。

「えーと、鬼灯様にクビを言い渡された時にはまた誘って下さい」

 そう冗談めかして告げると、白澤様は満面の笑みを浮かべながら頷いてくれた。とても彼らしい一言を添えて。

「……そっかぁ、残念。でも、うん。じゃあ早く雪乃ちゃんがクビになるのを願ってるね。その時は三食昼寝付き、夜は僕の添い寝付きで雇ってあげる」

 まぁ……本気じゃないとは思うけど。そこまで嬉しそうに言われると、ちょっと釈然としない。
 そんな複雑な思いでいると、隣の鬼上司が口を開いた。

「忠告しても無駄でしょうが貴方いつか奈落へ堕ちますよ。というか堕ちろ」

 何やらいつもの調子が戻ってきたらしく、毒づく鬼灯様。しかし白澤様にはどこ吹く風である。

「それより、金丹の代金5千元……10万円でいいよ」
「金額盛ってんじゃねぇぞ」

 確か今のレートは1元が12円くらいだったはず。日本円にして6万円程……という事は4万円の上乗せという事になる。

「キリは良いですけどねぇ……」
「そういう問題ではありません。むしろキリが良いと言うなら5万にしなさい。と言うか、しろ」
「そんな不遜な値段交渉があるかっ!! 絶対にまけてやんない!!」

 犬猿の仲とは言え、少しは譲歩し合えないのだろうか? 本物の犬と猿のシロくんと柿助くんは仲良しなのに。
 現実逃避に視線を逸らせば、兎に夢中のシロくん達が視界に入り溜め息が零れた。できれば私もそちら側へ行きたい。
 そんな事を思っていると、「……ああ、あと高麗人参もください」と追加注文する鬼灯様の声が耳に届く。

「あ、それはあっち。穫ってくる」

 先程までいがみ合っていたのに白澤様自ら取りに行ってくれるあたり、お人好しである。その辺りが白澤様の人気の所以(ゆえん)なのだろう。

「あっ、雑用は俺が……」
「よいのです、アレに穫りに行かせなさい」
「イヤ、でも一応上司……」

 それまで成り行きを見守っていた桃太郎さんが慌てたように進み出るものの、鬼灯様の制止により踏み留まった。それを確認してから鬼灯様は白い後姿へと声を掛ける。

「白澤さん、ひとつ言います。由緒ある神獣でもバチは当たりますよ」
「当たらないもーん、むしろお前に当たれ」

 まるでその言葉が合図であったかのように。白澤様が一歩踏み出した瞬間、地面がベキッと嫌な音を立て……。

「うわっ」

 ───姿が消えた。

『白澤様ッ!?』

 慌てて近づけば白澤様が居た場所にポッカリと穴が開いている。

「これが本当の奈落の底ってね」

 突如出現した穴に落ちた白澤様に鬼灯様は驚きもせず「ほれ見たことか」と淡々としている。
 更にはその穴に向かい「人がゴミのようだ」と有名な台詞を楽しそうに投げかける始末。その様子を見て、昨夜スコップを手に出かけた鬼灯様を思い出し、まさかと思う。
 もしかして、この穴……。

「イダダダ……昨日こんな穴なかったのに……何コレ怖ッ……」
「私自ら不眠で6時間かけて掘りました」

 やっぱりか……。
 どこからか取り出したスコップを軽々と扱いながら這い上がってきた白澤様を見下す鬼灯様に呆れ、声も出ない。嫌がらせの為に全力を尽くすとか……。

「落ちたことを誇りに思え」
「仕事しろよ!! 馬鹿じゃないのかっ!?」
「貴方が人間ならとっくに大量受苦悩処地獄へ落ちているでしょう……いやぁ、徹夜した甲斐があった」
「薬代払ってとっとと地獄へ帰れ!!」

 静かな桃源郷に白澤様の心の声が響き、私達は極楽満月を後にする。その最中、鬼灯様の部下として呆れながらも進言するも───。

「くだらない事に労力を使う位なら休んで下さい」
「アレが地獄に落ちたら考えます」

 白澤様をいたぶる事に命をかける鬼神に届くはずも無かった。
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