優柔不断な僕の恋



「いらっしゃい」
「こんにちは」


「こんにちは蛍くん」


最近、僕が経営する喫茶店に良く来てくれている蛍くんは烏野高校に通うバレー部の子らしい。らしいっていうのは僕の店の前を通り過ぎたのをたまたま見たから。本人には聞いてないし。


「コーヒーください」
「はい、かしこまりました」


カウンター席に座った蛍くんがいつものように本を開いて僕のコーヒーが出てくるのを待っている。
僕の好みで作られたこの喫茶店は静かに過ごしたいという人達に気に入ってもらっているみたいで、穏やかな音楽をBGMにしながらのんびりと僕も仕事をしている。


「お待たせしました。コーヒーです」


いつもの手順でコーヒーを入れて、時計を確認する。後少しで閉店時間だ。お客さんは蛍くん以外にはいないし外に出している物を片付けてこよう。カウンター内から外に出て、看板を片付けて札をCLOSEに裏返してから店に戻る。


「うわっ、けいく、んっん!」


店のドアを閉めて顔を上げると目の前に蛍くんが立っていて、思わず後退りしそうになって蛍くんの腕が腰に回って後頭部に回された。文句を言うよりも早く唇が重なって目を閉じる。


「んっ、ふ……ぁ……はぁっ、ん…」
「このまましても良いですか?」


「ここで?」
「良いよね?」


「だ、だめだって…ここ……うわっ!」


蛍くんが僕の腕を引いてカウンターのテーブルに座らせる。下から覗いてきた蛍くんがまたキスをしてきて、少しの抵抗もする気が起きなかった。


「名前さん」
「な、にっ……んっぁ…」


「好きです」
「ありがとう……だけど駄目」


いつもの言葉を返して微笑む。まだ未成年の学生である蛍くんの恋をこんなおっさんと恋人になるだなんて事で終わらせたくない。本人は気にしないというけれど、蛍くんのお兄さんや両親だって許さないだろう。


蛍くんの表情が歪んで僕の手をとった。そこにはめられていた指輪が無くなっている事に気付いた蛍くんが僕の顔を見てくる。


「離婚しちゃった」
「え……」


「理由は貴方が一番わかってるでしょって言われちゃった」
「……そうですか」


「蛍くん、今日はもう遅いし家に帰ったらどうかな」
「分かりました」


本を片付けて蛍くんは僕から離れた。何も言わずに店から出て行って、僕はテーブルから降りて乱れた服を直す。理由も良く分からずに涙が出てきて、それを拭いながら店の鍵を締めようとしたらドアが開いた。


「えっ……けいくん」


焦った様子で入ってきた蛍くんに瞬きを繰り返したまま、呆然としていると両手で包むように顔を掴まれた。


「何で泣いてんの?泣きたいのは僕の方なんだけど」
「僕だって何で涙が出てきたのか分かんなかった」


「名前さんって馬鹿なの?」
「蛍くんと同じクラスに所属してたから馬鹿じゃない」


「何それ、初めて聞いた」
「初めて言った。あんまり僕のこと話さない方が良いかなと思ってたし」


蛍くんが背中に腕を回してきて強く抱き締めてくる。次々に浴びせられる照れ隠しのような言葉と共に蛍くんは、僕のことを幾つも聞いてきた。
高校生の時は何部だったとか
好きな物とか
嫌いな物とか
身長とか
バレーは好きかとか


「バレー部だったとか聞いてないんだけど」
「リベロだったよ」


この間、ずっと蛍くんは俺を抱き締めたまま全く動かないから少し体が痛くなってきた。蛍くんの背中を優しくあやすように叩くと、体が離れた。


「名前さん、もう何か色々どうでも良いんで。僕と付き合ってください」
「どうでも良いって!」


吹き出すようにして笑ってしまって、しばらくそれがおさまらずお腹まで痛くなってきた。蛍くんは少し機嫌の悪そうな表情になって俺の頬を引っ張った。


「いはいっ!」
「名前さんが悪い」


「僕は何もしてないよ」
「してる」


「蛍くんはモテるんだからさ」
「だから何?」


僕のその一言がいけなかったのか蛍くんの声のトーンが下がる。静かになった慣れている筈の自分の仕事場の空間が居心地が悪い。僕の体に触れていた細くて長い指が離れていく。
自分で決めた事じゃないか。自分から蛍くんを突き放すと決めたんだ。


「名前さん」
「も、もう何もしない!蛍くんは…」


「っ……嘘でも良いから好きって言って」


絞り出すように僕に掛けられた言葉は蛍くんには似合わない程に震えている。何でもスマートにこなして他の男子学生に紛れていても少しだけ一人大人に感じる事が多い蛍くんとは全く違う雰囲気で、僕にその言葉を言ってきている。


「僕、蛍くんのこと絶対に幸せに出来ないよ」
「名前さんには何も期待してないから」


「それはそれで酷いなぁ、もう」
「名前さん。僕は名前さんがおっさんな事もバツイチな事もそんなにモテない事も知ってるから、そんな名前さんをもらってくれるなんて僕以外にはいないと思うけど」


真顔でそんな言葉を言ってきた蛍くんに苦笑いしながらも、頷いた。


「そうだね、そうかもしれないね……でも蛍くん。何かあったらすぐに言ってね」
「別れないから大丈夫」


僕の言いたい事を察したのか先にそんな言葉を掛けられて、額にキスをしてくれる。


「ごめんね、よろしくね。蛍くん」