柔道部の彼



一ヶ月前の席替えで隣になった苗字くんは今まで会話もした事がなくて、最初に挨拶をした時も素っ気なかった。


「………………」


今までそんなタイプの人に会ったこともなかったし、俺から話しかけないと話してこない人なんていなかったから少し新鮮だ。


「苗字くん」
「…………何?」


読書中にわざと声を掛けたら少しだけ低い声で不機嫌そうな声
お菓子をちらつかせながら声を掛けたら少しだけ表情が和らぐ
意外とスポーツが得意


この一ヶ月、バレーの次といっていいくらいに苗字くんの観察が楽しくなってきた。そんな事にも気付かずに苗字くんはのんきに学校生活を送っている。


「ねぇ、苗字くん」
「…………なぁ何で最近、そんなに話しかけてくるんだよ?今までそんな事無かっただろ。鬱陶しい」


「ひどっ!だってせっかく隣の席になったんだから、仲良くしたいじゃん」
「及川と仲良くしたら女子に話しかけられて嫌だ」


持っていた本を鞄に入れてくれたから俺と話をしてくれるつもりみたいだ。体を俺の方に向けて肘をついて無言で話を促してくる。


「今日、部活見に来ない?」
「及川がキャアキャア言われてるの見ろって?」


「苗字くんに応援されたいだけ」
「別に試合でもなんでもないんだろ?」


呆れたような表情でそう言ってきて、少し寂しくなる。確かに練習だけだけど女の子に声を掛けてもらったらそれなりに頑張ろうとか思えるから、苗字くんに応援してもらったら頑張れると思ったんだけどなぁ。


「そういえば苗字くんは部活入ってないの?」
「柔道部」


「え?」


聞き返すと眉を寄せた苗字くんが俺から視線を逸らしてしまった。これは変な反応をしちゃったみたいだ。


「苗字くんは柔道で全国行ってるんだよ」
「えっ!?」


話を聞いていたのか、俺の正面に座っていた女子が振り返って本人には聞こえないような小さな声で教えてくれた。


「どうせお前もこんな細い奴が柔道なんてって思ってんだろ」
「そんなこと思ってないよ」


立ち上がった苗字くんが教室を出ていく。俺も急いでその後を追いかける。足はそれなりに速いつもりだったのに苗字くんがどこにいるのかすぐに分からなくなってしまった。


「苗字くーん」


辺りを走って探し回って見たけれど、苗字くんが日頃からいる場所なんて知らないから色々な場所に視線を向けながら探す。何でこんなに必死になって彼を探しているのか俺には分からないけど、チャイムも鳴ったのに探すのを止めなかった。


「及川、何やってんだよ」
「はー、もうやっと見つけた!」


屋上へ向かう階段の途中で携帯を触っていた苗字くんを見つけた。不思議そうに俺を見る苗字くんは手元にあったタオルを俺に投げてきた。


「何、そんなに必死に俺のこと探してたの?」


苗字くんが俺を見て鼻で笑ってきて、それに少しだけ苛ついた俺は借りたタオルで汗を拭ってから苗字くんのシャツの襟を掴んで引き寄せた。


「うわっ!」
「この及川さんがわざわざ汗までかいて探してあげたんだから、何かくれても良いよね?」


「はぁ?」
「そうだなぁ、ここにしようかな」


最近、気になって気になって苗字くんの事がもっとたくさん知りたくてしょうがなくて…
いなくなったら馬鹿みたいに焦って探し回って
そこにあった穏やかで少しだけ優しくしてくれる苗字くんに興味を持った。


「及川さんの唇は高いよ?」
「は?何いっ……んっ!」


触れた唇は少し乾燥していて後で俺のリップクリームでも貸してあげようかな……なんて思った。