兄はいない孤爪弟と木兎
「兄貴?いや、いないけど」
「弟?いないよ」
俺達兄弟は、二人揃って誰かに聞かれたらそう答えるようにしている。まぁ弧爪なんて名字…あまり無いから否定しても疑われたままなんだけど。兄ちゃんでも兄貴でも嫌だと言うから、今は研磨と呼んでいる。別に兄弟仲は悪くない。ただ研磨が目立ちたくないというからそういう事になっている。
「なぁなぁなぁなぁ!兄ちゃんいるんだろ?」
「しっつこいっすね、ほんと」
一週間くらい前からずっと同じ質問をしてきている先輩。木兎光太郎
今日はお供として三年のバレー部の人が一人増えている。
「そんだけ聞いてくるって事は答えもう分かってんだから良いじゃないっすか。俺、今忙しいんで」
「待てよ!俺はお前の口から聞きてぇの!」
「誰が言っても一緒だろ、面倒くさいっすねほんと」
「うっわー、ほんと口悪いね」
すっかり落ち込んでしょぼくれてしまった木兎さんを放っておいたら、隣にいた男の人が苦笑いしながら声を上げた。
「バレー部の人ですか?」
「あー、うん。三年の木葉」
「じゃあ研磨の性格知ってますよね。あんまり目立ちたくないんっすよ。俺は別にどうでも良いっすけど、兄弟仲は良好の方が何かと便利なんで」
「その事は分かったけどさ、お前…これどうやって治すんだよ。しょぼくれてんじゃん」
木兎さんを指差しながら言う木葉さん
それをスルーしようとしたら頭を軽く叩かれた。
「治せ」
「二年の赤葦さんって人に治してもらったら良いじゃないっすか。その方が早いし確実ですよ」
「競泳部の期待の新人君よ、俺達のエースを救っちゃくれねぇか?」
「何すか、その面倒くさい言い方」
表情が思わず歪む。俺の前の席に座って、顔を伏せたままの木兎さんの肩を揺らす。顔が少しだけ見えて視線が俺の方を向いたのが分かった。
「バレー部のエースはこんな事で落ち込むようなへなちょこなんすね」
「おいっ!」
木葉さんが焦ったような声を上げる。それを無視して言葉を続けた。未だに木兎さんはしょぼくれたままだ。
「鉄達のバレー見飽きたからこっち来たけど、こんな感じなら音駒に行っとけば良かったー」
「ちょ、弧爪…」
「お前っ!さっきから聞いてればぁっ!音駒より俺達のが強えんだからな!」
突然、立ち上がった木兎さんが俺に指を突き付けて大声で言い放った。何なんだこの人は…本当に面倒くさい。面倒くさい事にはなったが何とかしょぼくれモードから元に戻すことは出来たからこれで何も言われないだろう。
「帰ってくれないんすか?もう用事無いでしょ、いい加減鬱陶しいんすけど」
「ほら、木兎……もう帰るぞ」
「予選見に来いよ!」
興奮しきった様子で教室から出ていった二人を見送って机に伏せた。帰ったら研磨に愚痴聞いてもらお。
全ての授業が終わりロッカーに突っ込んである自分の鞄を取って、のんびりとした足取りで教室を出る。部活は楽しいけれど、ウォーミングアップが面倒くさい。やらないと危険なのは分かってはいるけれど。
「あ……」
そんな声が聞こえたけれど俺の事じゃないだろうと、プールに向かって足を動かす。その時俺の腕を誰かが掴んだ。振り返るとそこにはいつも木兎さんの口から出る人物だ。
「赤葦さん」
「今日、また木兎さんが迷惑掛けたみたいで…ごめん」
「いえ、気にしてないんで」
「待って」
俺の頭に触れた赤葦さんは髪についていた糸屑を取ってくれた。
「あ、すいませ……」
「赤葦っ!」
俺と赤葦さんの間に割って入るようにして木兎さんが現れた。何かめっちゃ怒った表情をしている。俺は何かした覚えは無いし、木兎さんの視線は赤葦さんに向かっているから赤葦さんに対して怒っているんだろう。
「それじゃ」
「えっ!?」
さっさと二人から離れてプールに向かう。
「木兎さん、何に怒ってるんですか?」
「赤葦、名前とキスしてただろっ!」
「は?」
「だからっ!名前とキス!」
顔を真っ赤にして怒っている目の前の木兎に赤葦は思わずそんな声が出た。
「キスなんてしてませんよ。髪についてた糸屑取っただけです」
「えっ!?……なんだぁ…そっか、良かったぁ!」
心底安心したように座り込んだ木兎に赤葦はすぐに現在の状況を理解して、そして木兎の想いも知ってしまった。
「俺は応援してますから。頑張ってくださいね、木兎さん」
「えっ、何が?良く分かんねぇけど、うん!」
目の前の年上の野生児は恋というものを知らなかった。