遥か彼方



「…………」
「昨日の残りのおかずでごめんね」


「いえ……いただきます」
「はい、どうぞ」


厨に行って米を炊く機械にたくさん米が入っていたから、何か適当な皿に入れて食べようかと思っていたらそれを燭台切に見つかった。どうやら材料や米の管理は一部の料理が出来る刀剣達に一任されているらしい。その中にはあの国行が入っているというから、何かの間違いなんじゃないかと思った。


俺が黙って食べている間にも燭台切はてきぱきと何か作業をしていて、それを盗み見ていると俺が座って食事をしている机の上に次々と小鉢が置かれていく。


「昨日の夕飯の処理をしておくのを忘れちゃったんだよね。食べてくれて助かるよ」
「……美味しいです」


何故か俺の正面の椅子に座ってきた燭台切が俺を見つめてくるから、このおかずの感想を言うと嬉しそうに微笑んだ。


「…………」
「ごちそうさまでした。自分で片付けますので…後は俺がやります」


「良いよ、明日の朝食の用意があるから」
「そうですか、分かりました。じゃあよろしくお願いします」


頭を下げてから厨を出ようとしたら、大倶利伽羅の言葉を思い出した。変な時に思い出してしまった。俺に背を向けて食器を片付けている燭台切に声を掛けようとするが何と声を掛けて良いのか分からない。


「何か食べてたのか?」
「あ……」


「鶴さん。名前くんがお腹が空いてたみたいだから昨日の残り物を食べてもらったんだよ」
「光坊の飯は美味いだろ?」


俺の肩に腕を回してきた鶴丸は俺の態度なんて気にせずに話しかけてくる。


「そうだな、美味かった」
「それで…名前は光坊とまだ普通に話出来ないのか?」


「別に。話くらい出来ている」
「敬語じゃなく普通に会話出来てるのか?って聞いてるんだよ。俺と同じ感じでさ」


真っ直ぐに俺を見てくる燭台切は何も言わない。鶴丸の腕を肩から離して、席を立つ。


「大倶利伽羅と話をしているのは……そう、大倶利伽羅に命令されたからですよ」
「えっ……」


「他に何の理由も無い。鶴丸は……政宗様の傍にいたような記憶があまりない。だから違和感も無く喋れているだけだ。食事……用意してくれてありがとうございました」


今度こそ背を向けて厨を出る。廊下を歩き始めてすぐに大倶利伽羅と擦れ違ったが、横に避けて自室へと向かう。


「…………」


庭を眺めながら自室に向かって歩いていると、国俊と蛍丸が他の短刀達と混じって遊んでいた。楽しそうにしている。俺は部屋に帰ってから自分用に用意された棚の奥の方を探って、日本号の部屋から借りてきた酒を取り出した。


「次郎に見つかる前に飲みきるか」
「酒ですか?」


聞き慣れない声が聞こえてきて振り返ると、そこにはこの本丸に来たばかりの数珠丸恒次がいた。


「あぁ。…………えっと…数珠丸さん」
「呼び捨てで構いませんよ。名前」


「じゃあ、数珠丸……良かったら一緒に飲むか?」
「良いのでしょうか?まだ日の照っているうちから…」


「大丈夫だろう。この本丸は広いから誰も俺達なんて見ていない」
「そうですね」


畳に座り、用意したお猪口を数珠丸に渡して酒を注ぐ。俺も自分の物に注いで軽く音を立てるようにして、乾杯した。


「美味しいです…ね」
「えっ、おい!数珠丸?」


みるみるうちに頬が赤くなり、目が潤んでいく。そんなに酔いやすい酒では無かった気がするのに。数珠丸からお猪口を離して様子を見ようと顔を近づける。


「名前……」
「っ!……じゅ、数珠丸?」


「人間という物はとても扱いにくいものですね」


伏し目がちに開いた目が俺を見て、心臓が大きく鳴った気がした。また見惚れてしまっている。乱にそう言われてから妙に意識してしまってかなわない。


「名前」
「何だよ?……あ、水でも持って来る」


立ち上がりかけたその時に数珠丸に強く腕を引かれた。バランスを崩して畳に膝をついて数珠丸に抱きつくような体勢になってしまった。数珠丸からは、何だか落ち着く香のような匂いがしてすぐに避けようと思っていたのにそっちに気が向いてしまった。


「数珠丸、何だか良い香りがするな」
「……青江にもらった香の匂いでしょう」


「酒の匂いより数珠丸にはこっちの匂いの方があってるな」
「名前も私と同じ匂いになりますか?」


「え?」


指を絡ませるようにして手を握られて優しく畳に押し倒された。数珠丸の顔が近づいてきて首筋に唇が触れた。


「冗談ですよ」
「質の悪い冗談は止めろ」


「お酒が回ってきたのかもしれませんね」
「知るか」


穏やかに笑った数珠丸は酔っているのは本当なのか赤い顔をしている。


「大人しくそこで待ってろ」
「分かりました」


部屋から出てまた厨に戻るともうそこには誰もいなかった。水を入れて数珠丸のいる部屋まで戻る。


「ほら、ゆっくり飲めよ」
「ありがとうございます」


「俺だから別に良いが、大将にはあんな事するなよ」
「あんな事とは?」


とぼけたように首を傾げる数珠丸に思わず溜め息を吐く。


「さっき押し倒してきただろ」
「ただの冗談ですよ」


「大将には大層焼きもち妬きな恋人がいるみたいだからなぁ」
「そうなんですか、可愛らしいですね」


穏やかに笑う数珠丸だが何を考えているか分からない。でも黙ったままでいたら天下五剣らしく美しく、何も言えないくらいに見惚れてしまうのに少しおしい気もする。


「貴方にもいらっしゃるんですか?」
「え?」


「恋仲の方ですよ」


口の中に含んだ酒を飲んで、数珠丸を見つめる。相変わらず頬は赤くなっていて、耳まで染まっている。さっき少しだけ開いていた目も今は閉じられていて俺の事はどう見えているのか気になった。


数珠丸が言う恋仲という物に関心を持った事は一つもない。ただ夫婦になった片倉様を見た時には、とても幸せそうに見えて大切な者が増えるのは良い事なんだと思ったくらいだ。


「そんなものいない」
「私達は……戦わなければならない身ですからね」


「でも大切な人を持ったらその人を守りたいと思って、強くなるんじゃないか?」
「……そうでしょうか」