初めての本丸



昔から父は俺をあまり好きではなかった。それなのに母が先に亡くなってしまったから俺と父は二人で暮らしていくことになるのかと思っていた。だけれど、父はその頃から軍の仕事が忙しくなり家には帰ってこなくなった。
俺も父がいなくて寂しいなんて思わなかったし、父もきっと俺に会いたくないからわざと仕事を詰め込んでいたんだろうと思う。


そんな父が俺に何も話さないまま、審神者と呼ばれる職業の適正検査に俺の名前をねじ込んだ。父のコネで軍に所属し、情報関連の仕事をしていた俺は上層部からの命令に逆らう事も出来ず、同僚に惜しまれながら審神者になった。


「この中から一振りをお選びください」


真っ白な空間に机が置かれ、そこに日本刀が並んでいる。室内に響いたその声の指示に従うようにして俺は適当に一振りを掴んだ。


「……名前さん、これは貴方のお父様からです。本来、こういった物を持って行くことは許されてはいませんが…私も貴方が心配なのです」


酷く寂しそうに微笑んだ男性は俺の頭を撫でた。無理矢理に握らされた刀は脇差だった。現代で作られた物らしい。
俺はもうこの場所には戻ってこられない。急かされるようにしてこの場所に来た時に職場のデスクにあるネックレスを何とか掴めたのは幸運だった。母が亡くなる前日に俺に渡してくれた誕生日プレゼント。まだ一ヶ月も先の事だったのに母はきっと、自分がもう長くない事は分かっていたんだろうと思う。


「っ、名前!」


本丸がある場所に通じる門を潜ろうとした時、焦ったような声が聞こえてきた。思わず振り返ったけれどそこには軍の人間に腕を掴まれて、それでも俺の方へ何かを伝えようとしている父の泣き顔があった。


「父さん!」


思わず久しぶりに父の事をそんな風に呼んだけれど俺がそう呼んだ時には既に、新しい地へと足を踏み入れていたし隣には俺の初期刀である加州清光がいる。


「何か様子がおかしくない?」
「……あぁ、そうだな」


足を取られるような地面に雲は暗く重く空を覆い、僅かに吹く生温い風が俺の髪を揺らし同時にこの本丸の血生臭い香りが鼻を刺激した。


「何で本丸からこんな臭いがするんだ」


刀に手を掛けながらゆっくりと足を動かしていく。静かな本丸の敷地内に一歩足を踏み入れた時だった。頭上にある木が風もなく揺れた。加州の手を掴んで、横に体を動かすとそこに短刀を握った白衣を着た少年−刀剣男士の薬研藤四郎が降りてきた。


「おい、大丈夫か?」
「触るな!」


近づこうと手を伸ばした時、短刀を振って薬研は俺から距離を取る。その目は濁っていて、白衣には幾つもの血痕がついている。多分、薬研の物だろう事はすぐに分かった。薬研は腹を抑えながら俺を睨み付け、足早に本丸の中へ帰って行った。


「ねぇ、主…ここさ普通の本丸じゃないんじゃないの?」
「そうだな。そもそもこんなボロボロな建物じゃない。警戒しながら行くぞ、加州」

「うん…」


一歩一歩、本丸の建物に近づいて行く度に体が何故か重たくなっていく。加州もさっきまでは小さな声で文句を言っていたがそんな言葉も聞こえなくなった。


「加州、大丈夫か?」
「そっちこそ、大丈夫な訳?」

「俺は平気だ」


ようやく辿り着いた本丸の建物に足を踏み入れると、床が軋む音が本丸内に響く。こればかりはどれだけ静かに歩いたとしても消せないような気がするので、しょうがない。


「何だ!お前は!?」
「は?」


障子が開いたかと思ったら半裸の男が出てきた。だらけきった体を見る限り、ただの俺と同じ人間だ。さすがに俺はこんな体型では無いけれど。自然と視線が部屋の中に向くとそこには、全裸で横になっている男がいた。


「お前!政府の人間か!」
「………その見苦しい格好をどうにかしろ」


「……主、あれ…乱藤四郎っていう刀剣」
「そうか、分かった」


生臭い部屋に入ると男が背後から怒鳴り散らしてくる。耳障りでしょうがない。


「加州、悪いけどその男をどこか離れた所に」
「りょーかい」


加州が微笑んで男の腕を掴み、廃れた日本庭園に出た。俺はそれを確認してから部屋の中に入った。近くに寄って彼を見ると、男が出した精液や汗で濡れている。


「乱、だいじょ……っ!」


突然起き上がった乱は細い体からは考えられないような力で、俺を押し倒した。乱の目はさっき見た薬研のように暗く淀んでいる。


「いちにいを…手入れしてよ」
「っ、おいっ!やめろ!」


俺の服の上から厭らしい手つきで体に触れる。首筋に這う舌に全身に悪寒が走る。変わらない目つきのまま俺の体に触れていく乱の顔を両手で掴んだ。


「乱藤四郎!」
「っ!」


俺が大声で彼を呼ぶと体が大きく震えた。苦しそうに眉を寄せて俺を見つめている。俺が今までの審神者とは違う事に気付いていないようで、今度は目から大粒の涙が溢れる。


「ぼ、ぼく……なんでもっ……ひ、っ…な、な、……んでも…しますからっ!」
「お前は何もしなくて良い」


乱の顔に触れている間、少しずつ自分の霊力を乱に注いでいく。体にあった幾つもの傷跡や精液が消えた。乱は驚いたように俺を見た後、意識を飛ばして俺にもたれかかるようにして目を閉じた。その場に優しく寝かせて、傍にあった布団を掛けた。
ここは審神者の部屋のようで机には書類や政府と連絡を取る為のタブレット端末が置かれている。それを起動させて政府と連絡を取った。


「名前くんだね?」
「……よっぽど父は俺を殺したいようですね。必死に何かを訴えるようにしていたから、心配でもしているのかと思ったらただの勘違いだったみたいです」

「名前くん、それはっ……」
「報告を行います。本丸に訪れると血痕を白衣につけた薬研藤四郎の襲撃に合いましたが、追い払いました。それから審神者の部屋に訪れると審神者が乱藤四郎を犯していました」

「は?」
「乱藤四郎が精液まみれになって倒れていました。どうやら一期一振の手入れと引き換えにそのような事を強要されていたみたいです」


俺の言葉が信じられないのか何度も聞き返してくる政府の人間
父の知り合いであるこの人は戸惑いながらも俺の話を最後まで聞いてくれた。


「わかりました。では、早急に対応いたします。後の事はよろしくお願いいたします」


それだけを言って回線が切られた。真っ暗になった画面をしばらく見てから、庭に向かうとさっきまでそこにいて加州によって説教を受けていた男は消えていた。


「あ、主……何か突然、消えたんだけど」
「政府に報告したからな。あいつは多分、審神者としての資格を永久に剥奪され現代で罪人として暮らす事になるだろ」

「そうなんだ…」