癒えた傷はない
幼い頃から俺は父にだけは愛されなかったと思う。物心ついた頃には学校から帰るとリビングで良く母と、知らない男がセックスしているのを父が楽しそうに見ていた姿を良く目にしていた。母の泣き叫ぶ声と男二人の楽しそうな声だけが俺の耳に今も残っている。
母はとても綺麗な人で、父も顔だけは整っていた。俺は母親似だった。中学生になる頃には告白されたり付き合ったりした事もあった。でも決まってキスやセックスをすると吐きそうになったし、勃ちもしなかった。その行為に意味を見出だせなかったし、まだ愛なんて物は俺には良く分からなかったのかもしれない。
審神者の部屋を加州と共に片付けていると、空の色が少し明るくなったような気がする。
「うえっ!……ちょ、ほんと嫌だ」
「どうした?」
眉を寄せて加州が汚い物を摘まむように二本の指で摘まんで持ち上げたのは、玩具だった。長く使っていたのか汚れている所がまた気持ち悪い。
「全部捨てろ」
「分かってる」
「俺にいちいち見せなくて良い」
「…………分かった」
加州が俺の顔を見た気がしたがそれを無視して、手を動かす。体の中を掻き回されるような不快感が襲ってきて口を押さえる。外のまだマシになった空気を吸おうと部屋を出ようとしたら、加州が声を掛けてきた。
「どうしたの?体調、悪いの?」
「大丈夫だから、大丈夫」
「大丈夫じゃない!」
大きな声を出した加州が俺の背中を擦りながら、外に出る。少し臭いが和らいだ本丸の空気を吸って俺の隣に座る加州の肩に頭を預けた。
「ごめんな、迷惑掛けて」
「良いよ別に。主には長生きしてもらわないといけないんだから」
加州清光。新撰組の一人が握っていたと確か聞いた気がする。俺はあまり歴史には詳しくないがその人は病により亡くなってしまったらしい。だからこんなにも過敏になってしまっていたのか。
「大丈夫だ。俺は体は頑丈な方だから」
「ふーん…」
「加州、少しお願いがあるんだ」
「何?」
「この部屋を掃除していてくれ。俺は少しこの建物の中を見て回りたい」
「そんなの言うこと聞ける訳ないじゃん」
加州が俺の頭に腕を回して、自分の膝に寝かせた。下から見る加州の顔はとても整っていて、何故か怒っている。
「何が起きるか分かんないのに」
「でもいずれはきちんとした本丸として、やり直さないといけないだろ?」
それでも納得いかないのか加州は唇を尖らせている。思わず笑ってしまうと加州は俺から視線を逸らした。
「加州」
「……何かあったらすぐ呼びなよ」
「うん、分かった。ありがとう」
加州の頭を撫でてから起き上がる。廊下を歩き、とりあえず一番奥から確認していこうと足音を立てないようにする。一番奥の部屋の障子を開けると布団が敷かれていてそこで誰かが眠っている。その部屋には他に刀剣がいる気配は無い。
「…………おい、大丈夫か?」
布団に近づいてみると眉を寄せて時々、呻いているが目が開くことはない。もうそんな力も残されていないという事か。布団で眠っている粟田口の兄のような存在、一期一振は人の気配に気づいたのかようやくゆっくりと目を開けた。
「や、げん……?」
掠れたその声に俺は何も答えずに彼を見つめる。しばらく黙ったまま俺の顔を見つめていたが、俺が薬研藤四郎ではない事が分かったからなのか体を無理矢理に起こそうとした。
「やめろ、そのままじっとしてろ。俺はここに来た新しい審神者だ」
「また……」
小さな声で何の覇気もなく呟かれた言葉に俺は黙ったまま、彼の体に触れた。目を閉じて集中して彼を治す事だけを考えていたら、低い声が聞こえてきたと同時に俺の顔の真横に刀があった。
「動くんじゃねえよ」
「動かないと彼の手入れが出来ない」
「手入れだぁ?お前がそいつを痛めつけるように出陣ばっかりさせてたんだろうが!」
「俺はここにいた審神者じゃない。新しくこの本丸の審神者となった男だ。お前達が何をされてきたのか何て聞こうとも思わない。大して興味もない。ただこれから色々な本丸での作業を行っていくなかで、お前達の助けが必要だ。その為に俺は手入れをしているにすぎない」
終わりが見えない長い仕事。それを行うには加州と二人じゃ無理がある。俺もそれなりに戦えるとはいえ、元は銃で戦ってきた人間だ。刀や剣は使いなれない。
「信用ならねぇな。俺達だって馬鹿じゃねぇんだよ」
「信用なんてしてくれなくて結構だ」
舌打ちをする音が聞こえて刀が俺から離れる。振り返るとそこにいたのは真っ黒のジャージを着た青年−打刀の同田貫正国だ。彼もまたそのジャージを赤く染めていた。
「手入れをするから邪魔するなよ」
「…………」
「ん……」
乱藤四郎は体に何の痛みもなく目を覚ました。体の芯から温かい心地がして、気持ちが良い。今までに感じた事のなかった感覚だ。辺りを見回すとごちゃごちゃしていた審神者の部屋は片付けられていて、そこに一人の青年が立っている。
「あ、あの……」
「あぁ、起きたんだ。あんたの主はもういないよ」
「どうして?」
「俺の主が来たから。今頃、誰か手入れでもしてんじゃないの」
手入れという言葉の意味も忘れてしまいそうになる程にそんな行為は無かった。黙ったままでいると涙が溜まっていく。目を必死に擦って拭う。
「腫れるから」
「ありがとう」
綺麗な真っ白な布を差し出されて、それを受け取る。
「前の奴のこと……」
「っ!」
自然と体が跳ねて、たくさんの記憶が蘇る。何度も何度も止めてと言っても続けられたその行為…いつかは兄や薬研の事を手入れしてくれるかもしれないと僅かな祈りのような気持ちを持って、裏切られる。それを何度も繰り返された。
「別に話さなくても良いけど。俺も興味無いし。だけど前のと一緒の扱いしたら俺、許さないから」
加州は自身が目の前の小さな少女のような見た目をした彼に酷な事を言っているのは理解している。それでもあんな事をした前の審神者と自身の主が同等に扱われる事だけは許せなかった。