先の見えなかった僕ら
久しぶりに地元に帰って来て、駅を出るとそこには劇団員に見える男の子が演技をしているのが見えた。その中に見覚えのある顔があって、思わず視線を逸らした。古市左京…以前、俺がここに住んでいた頃、親しくしていたヤクザだ。彼の紹介で仕事をもらった事が何度かある。
刺青を入れる仕事をしている俺は自分には入れていない。客には良く笑われるけど、人に入れるのと誰か他人に入れてもらうのとでは、勝手が違う。
ここにいるという事は初恋の人とは結ばれる事が出来たんだろうか。
「まぁ…もう関係ないけど」
つい独り言が漏れて、ストリートアクトをしている彼らの横を通りゆったりとした足取りで道を歩く。俺自身は演技をした事は無いけれど、劇団員の衣装や装飾品、大道具、音楽などを担当した事もある。あの時は楽しかったけれどそれじゃいつまでも生活出来ないと思って、古市に別れを告げた時と同じ時期にこの町を離れた。
「名前さん?」
聞き覚えのある声が聞こえて、思わず振り返るとそこには古市をアニキと呼んで慕う迫田がいた。俺が振り返って顔を確認したからか嬉しそうに笑った迫田が俺の腕を掴む。まさか…と思った時、迫田がデカい声で古市を呼んだ。
「アニキ!探してた名前さんってこの人…あっ!」
迫田の腕を何とか振り払い、走ってその場を離れる。懐かしい喫茶店や本屋を楽しむ余裕すら無くなってしまった。まさか迫田があんなにいつも古市の傍にいるなんて、思ってもいなかった。後ろを振り返ると誰かが追い掛けてくる様子は無い。安堵の息を吐いてポケットに手を入れて、携帯を取ろうとしたところでそれが無い事に気付いた。
「マジかよ…」
迫田が俺を止めておくために盗った訳では無いだろう。なら逃げている最中にどこかに落としてしまったんだろう。あの携帯には古市からもらったブレスレットが付いている。自分から別れを告げたのに、未練がましくまだそんな物をつけていたと知られてしまったら何を言われるか分からない。
早く探して自分の店に帰ろう。やっぱりまだ来るべき場所じゃなかった。古市を見ただけで、あっさりと気持ちが揺れてしまうんだから。
「あの…携帯、落としましたか?」
可愛らしい声が背後から掛かって、振り返るとそこには制服を着た桃色の髪の少年が立っている。その男の子の手には俺が落とした携帯があった。しっかりとそこには古市にもらったブレスレットもついている。安心してそれを受け取る。
「ありがとう、探してたんだ」
「いえ…」
「向坂!そいつを捕まえとけ!」
「えっ!?はい!」
「は?」
突然、古市の声が聞こえて目の前の…向坂くん?は俺の腕を両手で掴んだ。咄嗟に掴んでいるのに力は強くて、振りほどけない。正面から古市と迫田がやって来る。どこか責めるように俺を見る古市は俺には何も言わないまま、向坂くんに礼を言っている。向坂くんはすぐにどこかに歩いていく。
「今までどこで何してた?」
「古市には関係ないだろ。お前とはもう…ただの知り合い…だし」
「ほう…」
古市から視線を逸らし、持っていた携帯を隠すようにポケットに突っ込む。これから古市から何とか逃げたいけれど、向坂くんに代わって今度は痛いくらいに古市が俺の手首を握っているから簡単には逃げられそうにない。
「……何で俺を探してたんだよ?」
「俺は別れたとは思っていない」
「別れてくれって言っただろ。それに初恋の女の子と結ばれてんじゃねぇの?」
「何でいづみが…………迫田、今日はもういい」
元気よく返事を返した迫田が頭を下げてから、走ってどこかに帰っていく。俺の邪魔をする奴が一人減ったことに安堵して俺より少し上にある古市の顔を睨みつける。呆れた様に溜息を吐いた古市が俺の耳についているピアスに触れた。
「まだ付けていたんだな」
「別に…デザインが気に入ってるだけだ」
「お前を探していたのは…俺が所属している劇団の装飾品類を作ってもらいたいからだ」
「……へぇ、じゃあ古市は夢を叶えたんだな」
古市の手を優しく離すと、警戒したような態度で古市が俺を見てくる。
「もう逃げねぇよ。で?どこの劇団に所属してるんだ?」
「MANKAIカンパニーだ」
「あぁ…そういえば新生されたって聞いたな」
「そこの秋組に所属してる」
そういえば、駅の中で見た劇団のポスターは冬組と書いてあった気がする。という事は古市の所属する組の公演はもう終わったのか。少し残念だ。
古市が俺の少し前を歩くようにしながら案内してくれている。こんな外で手を繋いだ事は無かったけれど、もう隣に並んで歩けないのは少し寂しい。自分が決めた事だから古市には何も言えないけれど。
「ここだ」
アパートのような…でもアパートにしては少し施設が立派なように見えるその建物はどうやら所属している劇団員と監督、支配人が暮らしている寮らしい。
「行くぞ」
「は?いや、俺は部外者だし…勝手に入っちゃマズいだろ」
「監督さんに紹介しないといけねぇだろうが。早くしろ」
乱暴に手招きをしてくる古市にもうここまで来たらその監督さんに会って帰らないと古市は納得しないんだろうと思って、後を着いて行く。劇団員の集まるリビングのような所に連れて来られたが、そこには誰もいなかった。監督を呼んでくると言って離れた古市を見送り、近くにあった椅子に座った。
「あんた誰?」
ドアの方から声を掛けられて、振り返るとそこにはさっき見た向坂くんと同じ制服を着ている男の子がいる。
「この劇団の装飾品類を作ってくれって言われたんだよ。古市に」
「あぁ…あんたが。銭ゲバヤクザが連れてくる人だから、人相悪いかと思ってたけどそうでも無いね」
「銭ゲバヤクザ?」
「そ。俺、衣装係なんだけど…俺は良い物を作りたいから金も掛けたいんだけど、最初の予算で認めてくれた事一回も無いんだよね」
「それは…劇団の事を考えての事だろ」
「そうだけど…」
不満そうにしている目の前の男の子は口が悪いけれど、顔は整っている。この男の子も劇団員の一人なんだろうか。そんな事を考えていたら古市の声が聞こえてきてそこには、女性が立っていた。興奮した様子で俺の目の前に立った女性は俺の手を握りしめる。
「初めまして、MANKAIカンパニーで監督をやっている立花いづみです」
「初めまして、苗字名前です。普段は店で刺青彫ったりしてます。古市とは同い年なんだ」
「そうなんですね!じゃあうちの寮に住むのは難しいですか?」
「そうだな。店で寝泊まりしたりする事が多いし、飛び入りで来る人とかがいるからむず…」
「こいつは俺の部屋で暮らす」
俺と監督さんの話を遮るように古市がそんな言葉を言って、目の前にいる監督さんが穏やかに微笑む。嫌な予感がする。
「じゃあそういう事で荷物はいつでも良いので」
「は!?ちょっ…」
「左京さん、後はお任せしても良いですか?私は夕飯のカレーの準備をするので!」
「あぁ、分かった」
「は?おいっ!だから俺は店があるって言ってんだろ!」
「移転させれば良いだろ」
古市らしくない何も考えていないように簡単に言ってのける姿に俺は混乱していて、古市が俺の手を引っ張る。
「部屋を案内するから着いて来い」
「だから俺は納得してないって!」
「納得しろ。ほら、ここだ」
部屋のドアが開くとシンプルで物が少ない。何年か前に入った古市の部屋と同じ印象だった。てっきり迫田も一緒に住んでいるかと思っていたけど、この部屋に迫田はいない。一体、どこに住んでるんだ…本当に。呼んだらすぐに来るところといい、謎だ。
「名前」
「え…」
何年かぶりに感じた古市の温もりに思わず、俺も古市の…左京の背中に手を回してしまった。
「ふるいち?」
「名前で呼んでくれ」
「………左京」
「好きだ。お前から別れを告げられてからも忘れられなかった」
俺の髪に触れて体が離れると、何も言わないでいる俺のポケットに入っている携帯を取った。ブレスレットについている石が当たって小さな音が鳴る。
「もう俺の事は好きじゃなくなったか?」
「……そんな訳、ねぇだろ」
「俺はこの劇団に入って少し変われた。お前を全部受け止めてやるのだって簡単に出来る。俺と一緒にこの劇団の為に働いてくれるか?」
「分かった。でもちゃんと引っ越し作業手伝えよ」
「あぁ、分かってる」