いちわ

店を開いてそろそろ、ニ年が経つ。

初めこそ、一日十人も満たない客数だった日もある。癪やけど…ツムがどっかで「旨いおにぎり屋知ったんで」と言った事から女性客が増えた。そこから、徐々にご近所さんやサラリーマン、OLの姉ちゃん達、足を運んでくれる人が増えた。今じゃ、客数を数える暇なんてない程、繁盛しとる。バイトも雇えるほどや。

ホンマに、嬉しいことに、色んな客が増えた。



閉店まで後一時間。

終電も終わり、近所に住んでいる人達がシメに茶漬け食いに寄ってくれたりするから、週末はいつもより少しだけ長く店を開けとる。今日は、座敷にこの辺で住んでるおっちゃんが二人、若いカップル、んで、カウンター席にドンっと座った同じ顔のツム。


「お前、週末のたびに来んのなんなん?暇なんか?」
「はぁ?暇ちゃうわ!こっちは、プロやぞ!イケメンプロバレーボーラーやぞ!」
「俺からしたら、彼女も居らん可哀想な男だけどな?」
「ぁ?お前だって居らんやろ!」
「…俺は、仕事がしたいから作らんだけや」
「俺かて、そうや」
「きっしょ」


俺らは、モテへん訳じゃない。

付き合おうと思ったら、彼女の一人や二人、作れる。けど、今はホンマにこの仕事が出来るようになったのが嬉しくて、美味しいって俺の飯を食ってくれる客さんを大事にしたい。だから、彼女が出来ても何もしてあげれん。俺は、人に優しくしたい、ツムみたいにはなりたない。もっと俺に余裕が持てへんと誰かと付き合ったりするんのは出来ん。

終電車も終わった時間に、おにぎりももぐもぐと小動物みたいに小さな口でちょこっとずつ食べて、頬が緩めて、ニコニコしてもらえるのはええよなぁ…こっちまで嬉しくなんねん。彼女居らんでも、俺の作ったもん食って笑ってくれる人が居れば幸せやねん。


「お前、人のもんに手出したらあかんで?」

視線の先に気づいた、人でなしのツムがキュウリ喰いながら、そんなもんも知らんの?と言わんばかりの顔で言い寄った。ホっっっンマ、お前だけには言われたない。
今、着とるそのパーカー俺が実家に居る時に、小遣い貯めて買ったやつやろ?引っ越しの時、見当たらんと思ったら…お前が持っていきよったんか!なんて、言いたい事は山ほどある。どれも言わんかった。一つ言ったらキリないし、今店はツムだけじゃない。俺はお前と違うやんや、ちゃんと大人な対応…無視をした。


「まぁ、かわええよな、あの子。彼氏すきすき〜ってオーラーがこっちまで伝わってくるわ〜…失恋やな、サム」

俺の大人に対応を肯定と捉えて上に、俺が失恋した事に嬉しそうに微笑みよって、ほっんま腹立つ。



でも、ツムの言う通りや。


彼氏の顔は、背中向けとるから良お見えへんけど、彼氏に向ける女の子の顔は、心から嬉しそうや。顔だけじゃなくて、あの子自身から幸せってオーラが溢れ出とる。


楽しい、嬉しい、幸せって顔しとる人と居るとこっちまで、楽しい、嬉しい、幸せって感情が移るのは嫌やない。嫌な人そんな居らんやろ?それから、あの子が来店してくれるのが嬉しいと思うようになった。

これは好意じゃない。

ただ、一人の客として、また来てくれたって言うそうゆう嬉しいさ。隣に毎回彼氏が居るからとか無理矢理感情を抑え込んでるわけちゃうからな?



「いっらっしゃいませ。あ、すまん、今、座敷空いてへんから、こっちでもええ?」

平日の夕食時に、顔を見せたあのカップル。
いつも座っとる座敷は、今は家族連れが座っとって空いてないからカウンター席を勧めると彼氏が「ええですよ」と二人並んで座った。


「すまんなぁ、生と烏龍茶でよかったあ?」
「はい、よろしくお願いします」


あんまり、彼氏の顔見た事なかったけど、ええ顔しとんな…そりゃ、こんな可愛い子捕まられるわ。いつも通りに彼氏の前に生ビール、彼女に前に烏龍茶を出すと「覚えてくれてるね」と彼氏の服をクイっと軽く引き寄せて、小さい声で嬉しいに彼氏へ微笑んだ。


こんなん、店持ってるなら当たり前やろ?たったそんなだけの事に嬉しそうに微笑む彼女をみて、あぁホンマ、この子かわええなぁと思いを込めておにぎりを握った。

カウンター席に座るのは一人の客が多い。けど、今日はこのカップル以外座ってない…変に話しかけたら二人の邪魔になるから喋れんようにしとると自然と二人の会話が聞こえてくる。

彼氏の仕事は、現場仕事らしくて上司の手際が悪いだの、彼氏の友人が彼女じゃない女を家に泊めただの、彼氏の方の話ばっかり喋ってるだけなのに、彼女はそうなんや、うんうん、とどの話にもちゃんと相槌打ってちゃんと話を聞いとった。

「泊めちゃったら浮気だよね?」
「んー、人によるやろ?あ、生追加してもええ?」
「飲み過ぎてない…?」
「平気や、平気!店長、生追加お願いします」
「はーい、ちょっと、待ってな」
「ゆっくりで、ええですよ」

そう言った後、着信音が店内に響いた。スマホを持って「ごめん」と席を立った彼氏を目で追う彼女は「ええよ」と言う顔はしとらんかった。なんや苦しそうで、電話するだけでも離れて欲しくないんやなぁ…本当に、彼氏が大好きな子なんやなぁと思いながらビールを注いだ。


「なかなか、帰ってこんな?」

ごめんと、席を外してから十分が経とうとしている。その間、彼女は追加に何か頼む事なく、鞄からスマホを取り出して触っていたが、それも辞めて、今何もせず彼氏の帰りを今か今かと忠犬のように待っていた。耳を垂らして寂しいと言いたげな小型犬のようで、思わず声をかけてしまった。

すると、「今日は、長いですね」と言葉とは裏腹に彼女の表情は酷く悲しい微笑みで、いつもの嬉しそうに微笑む顔ではなかった。あの顔を見せてもらえるの彼氏だけなんやなぁ。

「寂しいん?」
「…ふふ、はい」
「ラブラブ、やな?」
「そう見てるなら嬉しいです!ありがとうございます」
「付き合ってどのぐらいなん?」
「んー、もうすぐ計五年…?です」
「そりゃ長いなぁ、結婚とか考えとる?」
「まずは同棲からやなって感じです」
「おぉ、そりゃ良かったな」

はい、と微笑む彼女は寂しげな顔ではなくなっていてほっと安心した。この子にはあんな顔似合わん。なんて、考えとるとお待ちかねの彼氏が戻ってくると「おかえり」と尻尾振っているように見えた。

「ごめん、ゆり。俺もう行かないかんねん」


けど、一瞬で、また尻尾も耳も垂れてしまった。
こんな素直な子にいやや!とか、行かんで?って言われたら断れなさそうやな…多分、こんだけ表情が素直なら、きっと甘えるの上手いやろうなぁ〜。服引っ張るアレは男からしたら意中の人にされて嬉しい事上位とちゃうかな?アレを自然に出来るこの子がどんな風に甘えるのかちょっと見てみたい。と、洗い物しながら横目で見とった。


「そっか!なら、また今後やね」
「おぅ、本当すまん!」
「ええよ」
「んじ、ちょっと外で吸って待っとる」
「…はぁーい」

んで、ご馳走さんと、俺に挨拶して、彼女よりも先に店を出て行った。それを追うかのように彼女は急いで身支度を始めて、小さな鞄から桜色の長財布を出して、「お願いします」と折れていない綺麗なお札を会計台に置いてあるトレイに乗せた。

バイトの子がお釣りを渡して、受け取ったお金をしまった後に「ご馳走様でした」と会釈を残して店を出て行った。


俺は、アホになってしまったようで、何とかは盲目という言葉が過ってしまった。攻めるタイミングを逃したらあかんってツムが良お言っとる意味が逃してから良お分かったわ。

二週間後の夜、あの彼氏は友人と、彼女じゃない女二人連れて来店しよった。

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