最近は本当に、本当についてない。


彼氏に振られるは、仕事で未だ嘗て起こったことのないイレギュラーなトラブルが発生するは、急な雨が降ったかと思えばすぐ横を走行した憎っくき自動車によってお気に入りの服が泥だらけにされるは…。


人生でこれほどまでに運に見放されていたことはあっただろうか?たぶん、ない。大袈裟かもしれないけど、そう思ってしまうくらい私の心はぺしゃんこだった。


心の休養が必要だ、そう思った私は上司にお願いして1週間ほど連休をもらった。私の最近の仕事ぶりと余裕の無さを理解していた上司と同僚たちは、二つ返事で了承してくれた。そして社員割引を利用して、在住する横浜から列車で行ける距離のこの旅館に予約をとり、今に至る。


夕食に舌鼓をうち、温泉を楽しんだ私は、本来は2人ほど泊まれる広さの部屋から、1人夜空を見上げた。なんだか時間が止まっているように感じる。

何にもないのどかな田舎の風景はささくれ立った私の心を落ち着かせてくれはしたが、癒してはくれなかった。

このままずっと悲しいことや辛いことが続いたらどうしよう…そんな不安ばかりが浮かんでは消える。今は今が人生のドン底のように思えてしまうけど、これ以上下に堕ちることもあるのかな…。


そんなことを考えていた時、ふいに耳が聞き慣れない音を拾った。隕石が堕ちたような、地面が沈むような音。旅館の他の人は聞こえなかったのだろうかと辺りの様子を伺うが、旅館内で騒ぎになっている様子はない。従業員は皆さん高齢だったし、聞こえなかったのかもしれない。この辺は周りも木と畑ばかりで、他に建物もない。

このまま何事もなかったようにして部屋にいるべきかと思ったが、好奇心に負けた私は浴衣から洋服に着替え、旅館を出た。


たしか音はあっちからしたはず…


先ほどの記憶と勘を頼りに駆け足で走る。周囲は電気もなくて真っ暗だ。変質者に会わないことを祈りながら山林を進む。


少しひらけた場所に出たと思ったら、そこには予想外の驚くべき光景が広がっていた。


地面には大小沢山のクレーターがあり、一際大きなクレーターは煙が上がって底がよく見えない。そのクレーターの側には青年と思わしき1つの人影が、そしてクレーターの向こうには何十人という数の人間が地面にめり込むように重なり倒れている。一体ここで何が起こったのか…隕石が落ちたにしては異様な光景だ。


救急車と軍警を呼ぼうと携帯を手に取るが、あいにく圏外だった。旅館まで人を呼びにいかないと…。

しかし、果たして彼らはまだ生きているのだろうか?1番近くにいた横たわる青年に近づく。顔や目に見える肌は血だらけで、激しい闘いの後のような姿だった。小柄な青年だが、恐らく年は自分とそう変わらないと思われる。確認してみると、規則正しく呼吸をしている。

よかった、まだ生きてる。意識を失っている…というより眠ってるようだが、とにかく青年は頭からも出血しているようなので、頭の位置を高くしようと自分の膝の上に彼の頭をのせる。


パチリ


視線が、合った。

頭を動かしたことで目が覚めたのだろう、青年はいかにも状況を飲み込めてないという様子で、パチクリと目を見開いて瞬きをする。正直こちらの方が状況を飲み込めていないのだが。


「あのーーー」


とりあえず怪我は大丈夫か確認しようとした瞬間、青年が上半身を起こす。見た目ほど深刻な怪我ではないのかとほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、青年は信じられない行動に出た。


両肩を、ギュッと押さえ込まれるように掴まれた。突然の行動に反応することも出来なかった私を横目に、青年の顔が首元に近づいていく。そして大きく口を開けたかと思うと、文字通り私の首に噛み付いた。


「いっーーー!?」


痛い、という言葉を飲み込んでしまうほどの衝撃。鋭い針ーーーいや、牙が自分の首に刺さる感覚。その痛みに思わず目を瞑ると、血を啜るような音が耳に響いた。血を、吸われている。

あまりの出来事にパニックになった私は青年から離れようと身をよじるが、怪我人とは思えない強い力で両肩を掴まれていて、全く離れることが出来ない。


逃げることが叶わず、ひたすら吸血行為に震えながら耐える。

不思議と痛みは最初に牙が刺さった時だけだった。段々と、身体の奥が熱くなってくる。人は血を吸われると発熱するのだろうか、と人ごとのように考えた後、すぐに違うことを悟る。


(違う、この、感覚はーーー、)


まさか、と思う。しかし身体の奥が、ゾクゾクと震えるような感覚に支配される。


(まさかーーーそんな、嘘)


信じられない、信じたくない。

でも身体は、その感覚を知っている。


「あっーーんん、ン、ふぁっ…」


ついに声が抑えられなくなって、恥ずかしい声が漏れる。一体何がどうなっているのか。混乱する私を余所に、青年はなお血を啜っていた。身体の熱が更に上がっていく。


(どうして私、血を、吸われて、感じてるのーーー?)


誰も答えてはくれない、けれど、どんどん快楽の海に沈んでいくのがわかる。首から血を吸われているのに、お腹の下がきゅうっと切なく締まる。


「ふぁ、ッあ、やめ、やめてぇっ…も、おねがっ……ぁ、あ、ああーーーッ」


青年に肩を掴まれたまま、背を反らせてビクビクと身体を震わせる。ーーー達して、しまった。とろりと触れられてもいない場所が愛液で濡れるのを感じる。あまりのことに視界が滲み、涙が溢れる。


恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいーーーこん、な、なんで…っ


羞恥で真っ赤になりながら震える私の首元から、漸く青年が顔を上げた。ギラギラとした、興奮した獣のような瞳と視線が絡み合う。亜麻色の髪と、いつの間にか私が握りしめていた彼のシャツとベストは乱れてしまっていた。


聞きたいことは山ほどあったが、言葉が出ない。頭がぼんやり、クラクラする。これは、貧血?


「随分と上等な血じゃねぇかーーー気に入ったぜ」


意識を失う直前、そんな彼の言葉が耳に入った。彼の方へ倒れてしまう身体から見上げた、彼の表情。

人のものとは到底思えない牙が見え、血で深紅に濡れた舌が、満足そうに唇を舐めていた。




ーーーああ、本当に、今日は人生最悪の日かもしれない。