2018年10月31日 
22:28 井の頭線 渋谷駅アベニュー口

「は?」

名前さんに死なないでください、と言ったことを後悔しているし、その発言を今は酷く恥じている。実際問題として領域展開直後で呪力切れを起こしかけている俺の方が、"そちら"に近い状況に陥っていたからだ。

七海さんや真希さん達が敵の特級呪霊の領域に引き摺り込まれているのを察して、俺はそこに乱入した。不完全な俺の領域は完全に閉じることが出来ない。というか必中範囲を固定して閉じれるほど、まだ結界術を使い熟せない。名前さんや五条先生ほど俺は結界術に長けていない。寧ろあの2人が異常なだけで、俺はそもそも苦手なんだよ。

『結界術のコツってありますか』
『コツ?……そんなん範囲を決めて閉じるだけじゃん』
『だからそれのコツですよ』
『言葉通りだけど?え?わかんない?』
『遠回しにセンスないって言うのやめてください』
『言ってない言ってない。…イメージのしやすさで言うならプログラミングに近いかも。基点に対してどの距離でどの形でどの範囲で何をどのくらいの時間適用するかっていうのを頭で考えて計算して、そこに実際の条件と呪力を乗せて適用させるイメージ』
『……』
『……ん?私そんな難しいこと言ってる?普通にこれは結界とか帳張るのと同じだけど』

名前さんから一度だけ得たアドバイスはこれだ。
言っている意味もやり方もなんとなくはわかるが、それを実際やるのは難しい。特に"範囲を指定して結界を閉じる"というのが俺はどうにも苦手だ。空間を三次元で捉えて領域を閉じることに一度も成功したことがない。

とは言え領域には領域で押し合うのがセオリー、一応コツを掴みつつあるのも事実で、ダメ元で俺の領域での押し合い(に見せかけた領域からの脱出の計画)をしたが、予期せぬ侵入者によって状況は一変した。

恐らく真希さんの完成形であるその"予期せぬ侵入者"は真希さんの手から游雲を奪った後、特級呪霊を刺し殺して祓うと、領域を解除させた。俺の計画は頓挫したものの、結果として呪霊は祓われたわけだから一旦は事なきを得た状況だ。
しかし男は目にも止まらぬスピードで俺を突き飛ばし、アベニュー口のガラス張りの壁から地上へと俺を放り投げた。どうにか反射的に着地したので大きな外傷はないが、この一連の流れを汲んで理解できたのは、この男は俺の動体視力で追える相手ではないということだ。
速すぎて何も見えなかった。一体何が起きているのかもわからなかった。
ただ俺一人がこの男に狙われているのだという事実、そして呪力を一切感じないフィジカルギフテッドの完成形の恐ろしさを肌で感じる。

「…マジで渋谷はどうなってんだよ」

目で動きが追えない。動きについていけない。気配に気付いた時は既に攻撃されていて、受け身を取るので精一杯。距離を詰められると間違いなく終わる。こっちは領域展開直後でまともに動けねぇ。いや、そうでなくても多分動けてない。…だから笑えねぇんだよ、マジで。どうする…?
 
交差点の前に着地した瞬間、その男は俺を誘うように、威嚇するようにとんでもない速さで向かってきた。何とか避けるが、本当にタイミングを合わせて勘で流すことしかできない。まともに相対したら絶対に殺される。

「死ぬと思ったら退くんだよ」という名前さんの言葉が頭を過ぎる。仮に俺が逃げたとして、コイツの相手は誰がすんだよ。こいつを止めないと他の術師の命に危険が及ぶ。……そうだ、わかってる。やっぱり俺が一番何も背負ってない。だから俺がこいつを止めるしかない。

というかそもそも一時退避すら難しい。逃げられない。なら俺がやることは逃げることじゃない。
頭を使え、今俺に出来ることをやるしかない。馬鹿正直に殴り合うな、隙をつく、それしか俺には、

「!!」

男が尖らせた游雲を片手に再び向かってくる。速すぎて見えねぇ、ヤバい、そう思ってとりあえず退避する為に駆け出した瞬間、背中を思い切り突き飛ばされた。だがあの男のパワーとは違う。受け身を取りながら転がるように歩道に着地して振り向くと、見慣れた白髪の女性が男の腕を掴んで立っていた。

「名前さん!」
「あーあ、もう少しでスカイラブハリケーンが出来そうだったのに……ただしこの場合横向きになるけど」

名前さんは退避させるために俺を思い切り蹴飛ばしたらしい。お陰で男からの直接の打撃は喰らわずに済んだものの、名前さんのパワーも大概なので普通に痛ぇ。つーか前より力強くなってないか、この人。

「…珍しい人がいるね」
「……」

名前さんはちらりと俺を一瞥すると、掴んでいた男の腕をさらに強く握る。男が一瞬動揺したように彼女を見たのがわかる。名前さんはと言えば随分と落ち着いた様子で男を捉えているように見えた。
名前さん、もしかしてこいつと面識あんのか?

男はすぐにまた名前さんに尖らせた游雲の先を構える。正直俺は立ち上がって走るので精一杯だ。名前さんのヘルプは助かる。だがこの男がこの人ひとりの手に負えるとは思えない。
いくら彼女がノッていたとしても。

「知らねぇな、お前みたいな女」
「………亡霊はさっさと消えなよ」

男が口を開いた。名前さんは首を傾げて楽しげにほくそ笑む。チラリと尖った犬歯が覗いた。名前さんの頭上に振り下ろされたであろう游雲は凄まじい勢いで地面に突き刺さる。

「危・なー」

名前さんはクックッと喉で笑いながら男の背後に立っていた。何だかその笑い方が、封印されたとある最強を髣髴とさせて俺は顔を顰めてしまう。
それはさておき、名前さんはこの男を知っているが男は名前さんを知らないらしい。…こちらのアドバンテージが僅かにだが増えた。

今の俺が出せるのはせいぜい式神数体といったところだろう。領域展開で焼き切れた術式も時間の経過で多少は回復したが、特級を領域内であっさり祓ったこの男にしてみたら俺の式神なんかそもそも瞬殺だ。無理して式神を使っても破壊されるなら意味がない。俺だってこれ以上手持ちを減らしたくはない。
何より呪力切れを起こしかけてて呪力もうまく練れねぇ。だが名前さんに全て任せるのも…。

どうする、と焦りながら頭を無理やり回していると、名前さんが何故か俺に向かってもの凄い勢いで走ってきた。いやなんでこっち来るんだよ!

「?!」
「さっき領域展開してたよね。まだ動ける?」
「っ、……一応」
「あの人、マジで化け物だから。私ひとりじゃ流石にキツいから援護してほしい」
「はい、でも、」

二人で並走しながら話していると、男が恐るべき脚力で俺たちを追いかけてきた。喋ってる余裕ねぇ、追いつかれる…!

「合わせて」

名前さんの言葉に頷いたその時、俺と名前さんの間に游雲を突き立てるように男が割って入ってきて即座に互いに反対方向に避ける。男が名前さんに裏拳をかました。どうやら俺ではなく名前さんにターゲットを絞ったらしい。

「…良いね」

名前さんは男の拳を避けて(何で視えてるのかわからん)、そのまま男の手首を掴んで足を引っ掛けて体勢を入れ替える。名前さんが上、男が下になる形で地面に押さえつけたように見えた。
…やっぱり名前さんの身体能力が俺の知ってるレベルよりもかなり飛躍している。この人こんな感じだったか?

「…今の私、結構強いよ」

男にそう語りかける名前さんはやはりまだ余裕があるのか笑顔だ。彼女は男の腹を踏みつけて立っているが、次の瞬間には二人はその場にいなかった。……もう俺は目で追えない。殴り合いを始めると何をやってるのかさっぱりわからない。感覚だけで彼女の言うタイミングを伺う他ないらしい。
せめて足を引っ張らないようにと鵺でビルの屋上まで飛び乗ると、二人の様子を見て並走する。

「…自意識過剰な女」
「そうかな」

男の足が名前さんの首を狙って思い切り蹴り上げられたが、彼女はその動きがきちんと"感じられて"いるらしく、小手で受けていた。

「たしかに重いね。……頑丈なのは肉と女をいっぱい食べてたから?」

ばき、と嫌な音が手首から聞こえたが、反転術式で即座に骨を治しているらしくその表情からも大きなダメージが入っているようには見えない。

「頑丈なのは生まれつきだ」
「聞こえてんじゃん!」

名前さんは男の拳を避けて走り出した。俺もビルの屋上を並走する。合わせて、と言われた。二人なら何とかできるかもしれない。そう思った時、一瞬名前さんが俺を見上げて少しだけ笑ったのがわかった。手招きする名前さんに向かって掌印を結ぶ。

「鵺」











「要点だけ話す。あいつに領域は効かない。でも私の術式は多分効く、だからそれで潰す」
「どうしますか」

鵺に飛び乗って俺のもとへあっさりとやってきた名前さんはそのまま俺に並んで走り始めた。
 
「フィジギフは超近接タイプだから近付かないと攻撃出来な……あっ」

ひゅんと何かが背後から投擲されて俺も名前さんも瞬時に頭を下げて避ける。何かが頭上を掠めた瞬間、すぐさま金属の衝突音が前方から聞こえる。どこで拾ったのか男が鉄のパイプを俺たちの背後から投げてきたらしく、それは現在向かいのビルの壁面にブッ刺さってあり得ない形でひしゃげている。…化け物かよ。てかもうのぼってきたのか?

「…ごめん今の間違い、中距離もいけるらしいわ」
「言ってる場合ですか」
「奴が私に近付いてきたタイミングに合わせて恵の影で足を引っ掛けて欲しい。1秒でもいい、隙を作りたい。狭くて影のある場所にあの男を誘いたい。出来る?」
「やります」

俺が頷くと名前さんもこくんと首を縦に振った。

「降りましょう」
「同意見」

俺が再度鵺を出すと名前さんも掴まって二人で屋上から勢いよく飛び降りた。体勢を立てにくく影も少ない高所は俺達にとって不利だ。影が多く狭い場所なら地上、或いは建物の中が最低限の選択肢。

ちらりと背後を振り返ると、先ほどの男が俺達を見てビルから飛び降りたのが見えた。…オイ、嘘だろ、このビル7階建だぞ。ゾッとする俺とは対照的に名前さんは男の動きを追うことに集中しているらしく特に驚く様子もない。

「…名前さん、何か無茶してませんか」
「へ?」
「何であの男の動きについていけてんのかって話」
「そりゃこんな状況だもん、無茶はするでしょ」
 
名前さんはそう言って俺の頬をつついて笑った。笑ってる場合かよ。俺の指摘は外れていないらしく、名前さんはどうやらそれなりに無茶をして今戦っているらしい。それがどういうレベルの無茶で、彼女にとってどれくらいのリスクがあるのか。何らかの縛りなのか、それとも術式なのか。いずれにせよ彼女はそれを俺に開示する気はないらしかった。……命に関わることでないなら、いいんだが。

「もー……そんな心配そうな顔しないで。私は大丈夫だから」

名前さんは眉を下げて困った顔で少しだけ笑う。
つまるところ、今近接戦闘は名前さんに全て任せてこの作戦に集中すべきなんだろう。俺は名前さんと共に、道路を挟んで向かいのビルに窓ガラスを割って突入した。ちょうど良く電気の消えたオフィスビルだったからだ。

窓ガラスの破片を防ごうと手を翳すと、その向こうに名前さんの横顔が見える。真っ直ぐ前を見る彼女の眼差しに、月と星の光がガラスを通して反射して綺麗だった。……ああ本当に、こんな時の彼女は怖いくらい綺麗だ。
パリンと派手に窓を割って入った室内は暗く、何らかの事務所のようでデスクや複合機、衝立の向こうには商談スペースがあるのがわかる。

「いいね、時間稼げそう。でもアレとド突き合いするにはちょい狭」
「先導します」
「頼むよ」

俺が先に廊下へと走ると背後でまた窓ガラスが割れる音が聞こえた。あの男も俺たち同様に窓から侵入したらしい。だが振り向かない。俺には俺の役割がある。彼女には彼女の役割があるように。
と言っても、惚れた女の心配をしない男なんているわけない。例に漏れず俺もそうだ。

「……くそ」

やっと追いつけそうだと思ったらまた遠ざかっていく。
名前さんはいつも俺よりもずっと先を見てずっと先を歩いている。
……いつになればあの人に追いつけるんだ、俺は。





top