2018年10月31日
22:59 西武渋谷前

「ねえ、聞いてんだけど。質問に答えろよ〜」

煽るように私を見下ろす特級呪霊を前に、私はどうするべきか考えていた。考えろ。考えろ。考えろ考えろ。さっき術式結構無理して使ったから呪力カラカラだ。何より反転術式を使い過ぎて頭が痛い。いやそれより。……さっき吹っ飛ばされた時、私コイツに触られた?

「お父さんとお母さんは元気?」
「……あの世でよろしくやってんじゃない」
「ははは!!そりゃいいや!オレのおかげでしょ?感謝してよ」

ガラ、と崩れる瓦礫に背中を預けながら、それでもどうすべきか思案する。左足を上げると履いていたローファーにのっかった瓦礫がぱらぱらと落ちて乾いた音を立てた。
……もし触れられていたのなら、真人はこのお喋りの後に私の身体を変形させて殺すはず。……どうする。その前に祓えるか。
つーかうちの実家潰してまだ私に執着するって、以前私の領域内で祓われかけたことをまだ相当根に持ってるな。さすが人の負の感情から生まれた呪霊なだけはある。

「あーあ、鼻血出ちゃってるよ。ちょっと頑張りすぎなんじゃないのー?」

クククと下卑た表情で笑う真人に私は顔を顰める。鼻の下を拭うと確かに血が付いていた。……嘘、全然気付かなかったんだけど。やばいな。反転術式を使い過ぎたかも。
……恵は逃げ切れたんだろうか。真人は虎杖くんのことを狙っているらしいし、ここで私が食い止めないと、

「でも思ってたよりメンタル丈夫?元気そうでガッカリ。強がりなの?それとも人の心がないのかなぁ?」
「……」
「さっきから一緒にいたもう一人の男のことをずっと気にしてるよね。そんな余裕ぶってて大丈夫?……俺、今日はマジでお前のこと殺すよ」

真人はそう言って一歩私に近付いた。一つの疑問、引っかかりが私の疲れた脳みそで警鐘を鳴らす。
何で?コイツはさっき私に触れたはず。……触れたはずだ。なのに何故私を殺さない?

「無理」
「あぁ?」

ポケットを探って非常用に持ち歩いていたのど飴があったので、包装を破いて口に放り込んだ。
そんな私に苛立った様子を見せる真人に、私は敢えて瓦礫の上で寝そべったままだらけた姿勢で手を広げる。

「だから無理だって。君、私より弱いもん」

こうなれば一か八かだ。口に含んだのど飴をガリ、と噛んでゆっくり立ち上がった。うん、痛い。でも大丈夫、全然まだ動ける。

「だってさぁ、この前私に祓われそうになって尻尾巻いて逃げてたじゃん。……やーい、マヌケ!」

そう言った瞬間、ぎゅんと伸びた真人の腕らしきものが飛んでくる。即座に避けてビルの壁を駆け上がって窓ガラスを割ってビル内に侵入した。ここは何のビルだ?オフィスビル?

「マヌケはどっちだよアバズレ!」

はあ、アバズレっすか。失礼なこと言う呪霊だな本当。私別に誰とでも寝るわけじゃないんですけど。

真人の腕が伸びてくるのが見えてまた避ける。その瞬間別の窓ガラスから何か突き刺さって飛んできた。変形した人のような形をしたそれ。「タスケテ、タスケテ…!」と言葉を発するそれらを避けると、さらに変形して人とも呪霊ともつかぬ姿になる。
 
「……改造人間か」

恐らくだが真人によって変形させられた改造人間だった。きっとあの趣味の悪い呪霊のことだから、ウチの使用人だろう。ごめんね、と内心謝りながら呪力を使わずに側にあったパイプ椅子で殴り飛ばした。呻き声と助けを求める声が響く。本当に趣味が悪いな。

「お前さぁ、あの時オレが尻尾巻いて逃げたって本気で思ってんの?」

改造人間5体を破壊した瞬間、真人が窓から姿を現した。私は身構えて退路を確保する。このままこいつと削り合いしていても先に進めない。やはり祓うしかないか。
確か報告書によると真人は領域展開が出来る。それも即死系の術式だったはず。…押し合いになったら領域の保ち時間的に多分私が負ける。さっきの伏黒甚爾を倒すのに結構呪力を使ってしまったから万全じゃない。
いや、いやいや待て。それより今気になるのは真人が私に術式を使わなかったこと。吹き飛ばされた時確実に触られたはず。なのに私の身体を変形させない。どうして?
可能性その1、あえて変形させてない。その2、何か理由があって"変形させることができない"。
その1の可能性は低い。何故なら真人は今私に不必要な攻撃を仕掛けていることになるから。いたぶって殺したいって感じでもない。普通に殴ってきてるし。であればその2が濃厚。何かタネがあるに違いない。……となると、今は触られることをそこまで怖がらなくてもいいか?
 
「仕方ないよ。あれはああいうプランだった。お前が死んだら困るってうるさかったんだよ、宿儺も、夏油も!」
「……」
「あの時はまだ夏油の目があったしこのテロも計画途中だったからさ。今は宿儺がもう出て来てるし?夏油の目的も一先ずは達成された。オレはオレの好きにやらせてもらう!」
「なるほどね」

夏油傑は昨年の百鬼夜行で死んだはず。……恵も首謀者は夏油傑だって言ってたけど、やっぱりまだ生きてるってこと…?でも、どうして?悟くんが殺したはずじゃ……
 
「いいんだいいんだ、全部今から死ぬお前が知る必要とかないから、気にすんな!!!」

おえ、と真人が口から何か吐き出した。瞬時に大きく変形するそれはまた改造人間らしく、私は退路を走る。作戦はあった。その作戦で勝てる可能性も。
ビルの廊下を駆け抜けて別の部屋に入る。会議室らしいそこに踏み込んだ瞬間、窓を蹴破って外に出た。呪具の鎖を傍の電信柱に巻き付けて衝撃を緩和して着地する。
真人も私も、互いに相手に直接触れなければ術式を発動出来ない。何のタネがあるのかわからないけど、さっき触れられたのに私の身体は変形されていない。でもどうせ結局最後は近接戦闘のド突き合いになる。広い場所に出た方がいいだろう。

「この前俺に効かせた術式、時間経過で外れる系?それとも自分でコントロールしきれてない系?」

この前、というのは真人が私に直接触れて魂の形を変えたときのことだろう。あの時、私も術式を使って真人に触れていた。その名の通り、"支配"を。

「一度でも触れたら支配が半永久的に続くならヤバいなーと思ってたけど、どうやらそうじゃないらしいね?」

本当によく喋る呪霊だな。
 
私は存外冷静な人間である。というか1級以上の術師はみんなそうだ。多少のことには動じない。自分に与えられた使命を全うする。その自信がある。

「喋ってばかりだと舌噛むよ」
「やってみろよ」

……恵はもう撤退、してるよね。さすがに。大丈夫だよね?
位置を確認すると少しずつ元いた場所に戻れてきている。ツギハギの攻撃を躱しながら道玄坂近くまで戻った時だった。
 
――嫌な予感がしていた。私の言う通り、恵はきっと撤退したはず。大きな怪我もしていないし、呪力さえ回復すればすぐに動けるくらいだった。大丈夫、だからこの予感は外れる。きっと私が心配しすぎてるだけ。
そう自分に言い聞かせて真人の攻撃を躱したその時だった。

「歴代十種影法術師の中にコイツを調伏できた奴は一人もいない」

ぞく、と背筋に悪寒が走る。聞いたことのある声。よく知ってる声。今絶対ここにいないで欲しい男の声。

「布瑠部由良由良」

私は存外冷静な人間である。というか1級以上の術師はみんなそうだ。多少のことには動じない。自分に与えられた使命を全うする。その自信がある。でも、

「それは悪手でしょ……?」

恵は何故か血塗れだった。制服の上からでもわかるくらいはっきり出血していて、その出血量から傷がかなり深いということだけはわかる。
あんなに血を流して、立っているのも辛いはずなのに。たった数分、私が離れた隙にあんな深傷を負っていたなんて。私は止血は簡単にできるようになったけど、恵は反転術式を使えない。私も自分以外の他人に反転術式は使えない。……どうしよう、早く、硝子ちゃんのところに連れて行かないと、いや、でも、今、

「八握剣 異戒神将 魔虚羅」

呪術師である以上、死はいつも隣り合わせ。
わかっていたはずなのに、どうして私は動けないんだろう。あの日足を踏み入れて感じた霊安室の寒さと薄暗さが、目の前の恵に迫っているのがわかる。
心のどこかできっと大丈夫だって思ってた。私がいれば恵は死なないって過信してた。だって私は強いし、恵もけして弱くはない。それに恵はこれからもっともっと強くなるし、私を超えていく男だと信じている。それだけの才能に彼は恵まれている。
でも今の渋谷は魔境。何が起こるかわからない。気を抜くと死ぬ。抜かなくても運が悪いと死ぬ。
わかってる、何もかもわかってるはずだったのに。

「……はは、あれはヤバいね」

立ち尽くして動けないでいる私の背中に、真人の声が掛けられる。
動けない恵が、恐らく最期の力を振り絞って召喚したそれ。姿を表した瞬間にそれは――魔虚羅は異常な速さで恵に飛び掛かった。
――どうしよう、でも動けない。私が、助けないといけないのに。身体が動かない。――怖い。

「やめて、まって、」

情け無い私の声は砂塵の向こうに消えた。魔虚羅が恵に殴りかかった瞬間、ビルの壁に大きくヒビが入る。刹那、ぐったりと倒れる恵の姿を見て、喉がからからと渇いていくのがわかった。
息をしていない。
恵が息をしていない。

――恵が、死んでいる。

「…アレ、死んだよ」
「……」
「ショックで声も出ない?」
「……」
「あ、ヤッバ、俺も殺される?逃ーげよ」

私の背後で真人が何か言っているのがわかるが、言葉は意味を持たず理解にまで及ばなかった。
恵は誰を巻き込むために調伏の儀を始めたんだろう。恵が死んでも魔虚羅が消えない。他にこの儀式に巻き込まれた術師がいる。まだ調伏の儀は終わってない。それならまだ助かる、んだろうか。でも私が、あの怪物を一人で倒すなんて、そんなの出来るわけない。……ああ、天逆鉾をどうして持ってこなかったんだろう。
どうしよう。このままじゃ、恵が死ぬ。本当に恵が死んでしまう。恵が死んだら、私、

「おい、しっかりしろ小娘。何がどうなってる」
「……」
「戯けが」
「っ!!!」

呆然として魔虚羅と恵を見つめて固まっていると、身体が突然宙に浮く感覚がして、誰かに抱えられたのがわかった。しまった、真人は……と思った時、私の目の前には息をしていない青白い顔の恵が項垂れて座っていて、頭が真っ白になる。どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……!!
そこで思い切り頭を殴られて私は我に帰った。殴ったのは虎杖くん……否、多分これは虎杖悠仁の身体の主導権を乗っ取った両面宿儺である。

「……え、え?」
「伏黒恵はまだ死んでいない。正気に戻って状況を説明しろ、小娘」
「……あ、……」
「その口は飾りか?喋らんのなら殺すぞ」
「……恵が、誰かを巻き添えにするために魔虚羅を使って調伏の儀を始めた。……たぶ、ん……私も今来たとこで、ちょっとよく、わかんな……」

私の腰を軽々と小脇に抱えた宿儺が苛立った様子でそう言い放ったので、何とか口を開く。

「泣くな鬱陶しい。それ以上泣いたら殺す。……俺が奴を倒す。小娘、貴様はまだ動けるな」
「え」
「味見といこう。恩を仇で返すなよ。アレを俺が倒すまで、貴様は伏黒恵とこのゴミを見ていろ」
「え、あ、はい」

そこまで言われて私は自分が泣いていることに気付いた。慌てて涙を拭うと、呆れ顔の宿儺が私をどしんとその場に落としたので尻餅をつく。宿儺が「ゴミ」と呼んだそれは金髪にサイドテールで半裸の華奢な男の子だった。彼も宿儺に抱えられていたらしいが、そいつも私の目の前にどしんと落とされた。…呪詛師だろうか。
宿儺は息をしていない恵の胸に手を添える。ぽう、とその手が光ったのを見て私は驚いた。硝子ちゃんと憂太くん以外に他人に反転術式を使える者を初めて見たから。
恵の血色が少しずつ戻っていくのがわかる。

……治して、くれてるんだ。恵の傷、宿儺が治してくれてる。
ほっとしてまた涙が出そうになるのを堪えて、びくびくと震える金髪の呪詛師の首根っこを私は掴んだ。恵がこいつを巻き込んで調伏の儀を始めたのなら、こいつは敵だが殺してはいけない。とは言え手に持っていた奇妙な刀を踏んで蹴り飛ばす。金髪の呪詛師に「滅多なことをしたら殺すぞ」と私が凄むと怯えた様子で鼻を垂らしている。

「ねえ……どうして、いつも助けてくれるの」

しゃがみ込んだまま、真っ直ぐ宿儺を見上げる。ずっと前から思っていたことだった。以前私の命を助けたのも、結果として宿儺だった。
そして今回恵の命を救ったのは、やはり目の前の両面宿儺なのである。

「助ける?俺が?……つくづく、めでたい頭だ」

私を見下ろして吐き捨てるようにそう言うと、宿儺の姿が消えた。魔虚羅の元へ飛んだのだと思う。私は金髪サイドテールの男の首根っこを掴んだまま恵の胸に手を当てる。
……うん、人肌程度の温もりは感じる。心臓も今は動いているし浅いけど呼吸もしている。大丈夫、恵は生きてる。

宿儺の言葉から理解するに、多分恵はこの金髪の男の子を道連れにするために調伏の儀を始めたんだ。
こんな、弱っちい、私でも今すぐに殺せそうな、呪詛師一人殺すためだけに。

「……ばか」

まだ意識を落としたまま、長いまつ毛が伏せった恵の顔を見つめてから私は金髪の男の子と恵の肩を抱いて身を寄せた。念の為に簡易的な結界を張る。軽い攻撃ならガードできる程度の、本当に簡単なものだけど。
宿儺なら、あの最強の式神にすら勝てるのかな。……今の宿儺は指何本分なんだろう。……もしかして、虎杖くんは指を追加でたくさん飲んだりしたのだろうか。
さっき宿儺の指の気配がしたから、虎杖くんの身体の主導権を宿儺が握っているのはそれの関係かもしれない。それなら、まだ誰も倒したことのないアレを倒してくれるのかもしれない。
そんなふうに思うと同時に、私はその"結果"に行き着いた自分の思考が恐ろしくて青褪めた。
宿儺がそんな力を取り戻したら、一体この世界はどうなってしまうんだろう?……悟くんは、本当に宿儺に勝てる?






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