「……もしかして、私って可愛くない女?」

充電の切れたスマホを眺めながら、私は深くため息を吐いた。
正直、ここからどうすればいいのかよくわからない。何より回復しきっていない身体に鞭打って走ってきたせいで、結構キツイ。
もー、私どうなんのよぉと悪態の一つも吐きたくなるけれど、それを聞いて頷いてくれる相手がいるわけでもなし。宇都宮駅周辺を見渡しても、土地勘がないせいでいまいちよくわかんない。

私が栃木に入ったのは今朝。渋谷の一件から自分の身の振る舞いを常々考えていた私が、最終的に選んだ場所はやはり栃木だった。
高専から上野まで実質自分の足と借りパクしたチャリで走ってきたせいで足がパンパンである。ムカつく。電車ほとんど死んでるの何なの?
上野から宇都宮まではなんとか電車が動いていたものの、問題はそこからだった。渋谷の一件が大きなニュースとしてワールドワイドに取り上げられる中、東京都内へ出向いて仕事に行く人は少ない。自転車で上野まで出た時も上野のパンダもびっくりするくらい人がいなくて、代わりに呪霊の数が増えていた。私が乗った電車もガラガラだったし、そもそも東京は都市としての機能を失っているに等しい。
宇都宮駅まで来ると流石に活気はあるし、地方都市として栄えている感じはあるけど、やっぱり通行人はみんななんとなく渋谷の荒れ果てた姿をテレビで見て暗い表情をしている。……私が、私たち呪術師が負けたせいだ。

羂索が呪霊を解き放ち、獄門疆を持ち去った後に、私は九十九さんと共に一度高専に帰還した。……酷い有様だった。悟くんのいない高専は最早以前のそれとは大きく変わっていたし、何より負傷者の数の多いこと。
私も呪力の使いすぎと反転術式により無理に回復させて動かしていた身体は正直限界でだった。高専で硝子ちゃんの治療を受けてどうにか動けるレベルだったけど、"敵"も時間も私たちを待ってくれない。死滅回游の話は聞いていたし、津美紀が目を覚ましたことも伊地知さんから聞いて知っていたけれど私があのまま高専にいるのは危険だった。殺されるのは時間の問題だ。――もうあの場所には戻れない。
つまり私は、悟くんと私の予想通りになった高専の状況を察して、夜蛾学長に宣言した通りに"高専を去る"という道を選んだのである。

なんか喉乾いた、ちょっと小腹も空いてきたしコンビニでも寄るか、と思って背負ってきた鞄を探る。

「いらっしゃーせー」

コンビニはなんでも揃っている。私はコンビニの店舗で目についた地元ガイドブック(地図付き)と梅おにぎりと温かいペットボトルのお茶を手に取ってすぐに店を出た。
とりあえず今日中には金ちゃんがやってるガチンコファイトクラブに到着したいなぁなんて呑気に考えながらフラフラ歩いていると、バスロータリーのベンチに腰掛ける。

私が高専から逃亡して丸1日くらいだろうか。
幸い、今のところ追っ手は来ていないけれど、いつ誰と鉢合わせて処刑が始まるかは時間の問題ではあった。高専サイドは逃げた私をけして生かしてはおかないと思う。多分虎杖くんも私と同じで、渋谷には虎杖くんの処刑人が派遣されるはずだ。お互い辛いねぇ。

梅おにぎりを齧りながら財布の中の残金を確認して、携帯充電器をスマホに挿してメッセージを確認する。……恵から20件くらいの着信が入ってる。メッセージも、恵と憂太くんからだった。

『どこですか』
『生きてますか』
『返事ください』

恵からの連絡はシンプルで、それだけだった。これを送って私から返事がないなら、もうこの手段は使えないと踏んだんだろう。恵らしいなと思いながらも恵はちゃんと目が覚めたんだ、良かったと胸を撫で下ろす。恵の目が覚める前に私は高専を出たので、渋谷以来まともに話していない。でもこの分だとまた恵から着信は入りそうだから、GPSの痕跡とか残さないためにもスマホの電源は切っておいた方がいいだろう。
次は憂太くんからのメッセージ。

『僕が渋谷に虎杖くんを回収しにいく。死滅回游の話は聞いてるよね。僕が何とかするから、それまで耐えてほしい。学生は信用して大丈夫だけど、高専の大人は日下部先生と九十九さん以外今は信用しないで。すぐ力になれなくてゴメン。返信不要です』
『それともしパンダくんに会ったらよろしく!』

……あー、本当頼もしくなったなぁ、昨年まではナヨナヨしてたのに。百鬼夜行からすごくしっかりしたよなぁ、憂太くん。
パンダは多分私が逃亡したタイミングで夜蛾学長の処刑が重なり幽閉されていたはずだ。誰かが助けているなら、こっちに来てる可能性もあるか。栃木に金ちゃんいるって、何でパンダが知ってんのって感じだけど。夜蛾さんもしかして知ってたのかな?

ぱり、とおにぎりの海苔を齧りながら私は目を細めた。脇腹のあたりがじわりと痛い。思わずおにぎりを口から離して蹲る。着ていた服の裾を捲ると包帯にじわじわと血が滲んでいた。……まずいな、傷口が開いてきた。

「あー……痛っい」

おにぎりを全部飲み込むと、舌打ちを一つして脇腹を撫でる。……内臓の損傷を甘く見ていた。渋谷で伏黒甚爾と真人、さらには羂索との連戦が続いて私の身体は扱いたての反転術式では回復しきれないくらい消耗している。その証拠がこの出血。……でも病院で診てもらう余裕なんてない。
硝子ちゃんにも手当を受けた時に動いたらだめ、とは言われたけどそうも言っていられない。

どうにか反転術式を使って傷を塞ぐと、深く息を吐いた。ゴールは金ちゃんのとこ。多分そう遠くはないと思うんだけど、前行った時は結局タクシーで行ったから道とか覚えてないんだよね。でも持ち合わせ少ないし……やっぱりバス乗って行くしかないかな。あー参った本当、どうしようか。
ふーふーと息を吸って吐いてを繰り返して痛みをやり過ごす。戦闘中って興奮してるからあんまり痛みを感じないけど、こういう何でもないタイミングってすごく痛く感じる。おまけに結構孤独だ。心細くないと言ったら嘘になる。
さっき買ったばかりの地図を見てそんなことを思っていると、人の気配を感じて私は身構えた。

「名字名前だな」
「……」
「いや確認しなくても知ってるけどね、お前のこと」

自分の腕に鳥肌が立つのがわかる。慌ててベンチから立ち上がると、ぽんと肩に手が置かれて固まる。やば、

「おーい、逃げんのか」

いつからいた?どこからついてきてた?

「あ、領域は使うなよ。俺死んじゃうから」
「……いや、日下部先生にそれは効かないでしょ。逃げますよそりゃ」
「こんな目立つ場所で白昼堂々殺すわけねーだろ。ましてや学生相手だぞ。俺がお縄だわ」

棒付きキャンディを咥えた気怠げな長身の男。私は持っていた鞄も地図もそのままに距離を取る。じわ、とまた脇腹の傷が開いた感じがして舌打ちをする。
日下部篤也。1級呪術師。今の2年の担任の先生。……で、私の元担任。私より全然強い人。……てか何でここにいんの。

「……私を殺しに来たんだろ」
「い・やー、元とは言え自分が見てた学生の処刑を言い渡すって、上もエグいことやるよな」

棒付きキャンディを舐めながらスプリングコートをはためかせて頭を掻く姿はもはや見慣れたものだった。この人そう言えば渋谷にも来てたな。忘れてたわ。

「ま、なんだ?相変わらず話が早くて助かるね。順当っちゃ順当だよな。五条いねーし、お前優秀だし、乙骨は虎杖殺しに行ったし」
「……」
「お前の処刑ができる術師が今俺しかいねーんだよ」

本当寝覚め悪いわ、と言いながら日下部先生が何故か私の隣に座る。促されるまま私もベンチに座らせられて俯いた。じわ、と額から汗が伝う。いやもう、既にこの人の間合いじゃん。
やばい。やばいやばい。マジでやばい。今この人と1対1はマズイ。死ぬ。カスカスの呪力で効率悪く反転術式を回すのがやっとな私にとって、戦闘はなんとしても避けたいところだった。

「……しんどそうだな、名前」

私の顔色を見て日下部先生は眉を顰めた。
日下部先生は強い。特級術師を除いた1級術師の中で一番強い人って誰、と聞かれたら私は間違いなく日下部先生と即答する。それくらい強い。悟くんの強さは理屈じゃない桁違いのパワーだけど、日下部先生のそれは理詰めと努力で裏付けされた絶対的な能力だ。

――今の私に勝てるわけない。

「そんなビビんなくてもいいぞ」
「いやビビるわ」
「まあそうか、今から殺すって言われてんのにビビらない方が無理か。確かに俺でもビビるわ。いやでもよくここまで来れたな、上野まで電車全部停まってたろ?俺チャリで来たけどお前も?」

言葉の呑気さとは裏腹に日下部先生の視線は鋭く、そして呪力はしっかりと手持ちの刀に立ち昇っていた。てかあんたもチャリで上野まで走ってたんかい。

「いきなり斬ったりしねぇから安心しろ。いくつか聞きたいことがある」
「……」
「お前、パンダには会ったか」
「会ってないよ」

素直にそう答えると、日下部先生は深く息を吐いて私の肩から手を離した。ぞわ、とまた鳥肌が立つ。

「パンダに秤の居場所を教えた。多分あいつもそっちに向かってる」
「え、金ちゃんの居場所、知って……?」
「一応な。面倒くさいから好きにさせてたけど、お前も秤んとこ行く気だろ」
「……」

はいともいいえとも言えずに黙ると、日下部先生は足を組み直してバスロータリーの向こうに佇む弱そうな呪霊を見つめていた。
私も釣られてそちらを見る。

「夜蛾さんが死んだ」
「…………そっか」
「お前は昨日のタイミングで逃げて正解だった。おかげで俺が処刑人に選ばれたわけだ」
「どういうこと?」
「さっき言ったろ。乙骨が渋谷に虎杖を殺しに行ってる。あのままお前が高専にいたら、お前はその前に乙骨に殺されてた」

"僕が渋谷に虎杖くんを回収しにいく。"

ああ、それってやっぱそういう意味だったんだ。
さっきの憂太くんからのメッセージを思い出しながら私は一度瞬きをした。いや、待って。でも憂太くんは、日下部先生と九十九さんのことだけは信じて大丈夫だって、連絡くれたよね……?

「それで?」
「面倒くさいからはっきり言うが、俺はお前を殺したくない」
「……!」
「腐っても先生なモンでね。それと死滅回游、あれが厄介。何らかの形で終わらせなきゃならん、巻き込まれてる一般人も大勢いるし。でも俺アレ参加したくないんだわ。死ぬのヤだし」

相変わらずの怠惰っぷりに私は絶句してしまう。それでも教師か?と問いただしたくなるのを我慢して、私は日下部先生の次の言葉を待った。

「だから俺の代わりにお前が死滅回游に参加しろ」
「……へ?」
「それを約束してくれるんなら、今回は見逃してやる。本当に嫌なんだわ俺、ああいうデスゲームみたいなの。何が楽しいワケ?ネトフリの見過ぎだろ」

はあ、と日下部先生は深くため息を吐いた。……参加するように上から言われてるのかな。確かに総則読む限り平和主義の怠惰人間である日下部先生には全く向いていない内容ではあると思う。というか私だって別に参加はしたくないよ。……でも、確か津美紀が巻き込まれているんだよね。

「伏黒津美紀」
「……」
「伏黒恵の姉貴。目を覚ましただろ」
「津美紀が何?」
「弟の方が動いてる。まあ好きにやれ。俺からは以上」

そう言うと、日下部先生はベンチから立ち上がった。刀から立ち昇っていた呪力は消えている。

「……見逃すの?」
「そう言ったろ。だから俺の代わりに死滅回游参加しろよ。絶対参加しろよ。頼むぞマジで」
「いや、それはするけど」
「んじゃそういうことで」

ええええ!?まじで?!この感じで帰るの?!
上野までチャリ漕いで宇都宮まできたのに?!
日下部先生は相変わらずやる気なさげな顔で頭を掻くと「餃子食って帰るわ」と宣って歩いて行ってしまった。相変わらず、相変わらずである。悟くんも大概だけど、日下部先生も大概だ。私は暫くベンチに座ったまま動けなかった。

――見逃してくれたんだよね?
そう思うとじわ、と急に目頭が熱くなって俯いた。日下部先生は人を励ましたり褒めたりあんまりしない。でも必ず人がピンチの時に助けに来て、ビビりのくせにちゃんと守ってくれる。あの人はそういう大人だ。
高専を出てからここまで、正直なところ孤独で不安だった。
恵に何か言い残したり書き置きなんかしたら、気持ちが揺らいでしまいそうだった。縋ってしまいそうだった。助けてって言ったら、恵は助けに来てくれる。一緒にいてって言ったら、一緒にいてくれる。でもそれじゃ駄目だ。恵には私以外のものも大切にしてほしい。それは津美紀だったり、友達だったり、或いは彼自身だったり。
私は今、恵に甘えるわけにはいかない。これは私が選んだ道だ。

だから何も言わずに出てきた。

「……行くか」

ゆっくり立ち上がって痛む脇腹を押さえる。
自分がどこまで進めるかはわからない。でも、もう後戻りは出来ないところまで来ている。





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