「宿儺が伏黒で何か企んでる。……渋谷でアイツに肉体を取られたのは、多分一度に指を10本食わされたからだ。俺の中に今指は15本。残り5本全部一度に食わされても肉体は乗っとられないと、思う。それでももし次俺が宿儺と代わったら迷わず殺してくれ。先輩ならできると思う」
虎杖の言葉に乙骨先輩が頷くのを確認して俺は虎杖をもう一度見つめた。乙骨先輩は宣言通り、虎杖を一度殺して生き返らせることで処刑の縛りを達成したらしい。……無茶をやる。この人にしか出来ない荒技だなと冷や汗をかいたが、肝心の虎杖は冷静に俺と乙骨先輩の話に耳を傾けてくれている。
乙骨先輩が廃ビルに虎杖を匿ったと聞いて俺も言われた場所にかけつけると、思いの外元気そうな虎杖の姿に安堵した。ここまでは計画通りだ。
「……あの、伏黒」
「何だ」
「その、名前さんのことなんだけど」
虎杖の口から名前さんの名前が出たことに俺は一瞬動揺した。今この瞬間は彼女のことを考えないように努めていたからだ。
虎杖を保護したら、死滅回游への対応と獄門疆の封印の解き方を聞くために天元様の元へ行くと乙骨先輩と話をしていた。その段取りも事前に九十九さんと話していたし、やはり今は津美紀のことを最優先に考えるべきだ。――そう思っていたのに。
「大丈夫なのか?」
「……大丈夫って、何が」
はっきりしない虎杖の態度に俺が眉間に皺を寄せると、虎杖は唇を一文字に結んで俯いた。
「渋谷で俺が名前さんと最後に会った時、すげー怪我しててさ」
「……は?」
「でもそんなの気にならないって感じで、賀茂……だっけ、五条先生を連れ去ったやつになんかめちゃくちゃな術式を使ってて……」
「……おい待て、何だその話」
「え?会ってねーの?酷い怪我だっただろ?」
……何?虎杖は何を言ってる?何だその話?……俺は何も聞いてない。
「会ってない、そんなの誰からも聞いてもいない」
「……虎杖くん、名前ちゃ……彼女も君と同じで、今は追われている身なんだ」
「え?そうなの?何で?」
虎杖が頓狂な声を上げて首を傾げる。手短に乙骨先輩が虎杖に説明するが、俺は自分の喉がからからと乾いていくのを感じた。――酷い怪我?そんなの聞いていない。誰も俺にそんな話しなかった。乙骨先輩はすれ違いで名前さんとは直接会っていないから知らなかったのはわかるが、九十九さんも真希さんも名前さんが高専を離れる前に会っていたはずだ。……あの二人は俺に何も言わなかった。
「それで虎杖くん、名前さんの怪我ってどんなレベルの怪我だったの?」
「……脇腹を呪霊に食い破られて、腕も折れてたと思う。……出血はそんなに酷くなかったけど、俺に会う前に東堂を安全な場所に運んだりそれまでも結構戦ったりしてたみたいだから、身体は疲れてたみたいだったし……いつもみたいに自力で怪我を治さなかったんだよあの人」
「……治さなかったんじゃなくて、消耗しすぎてて治せなかったってこと?」
「多分」
だとしたら家入さんの治療ですぐに完治できるレベルの怪我じゃない。冷や汗が額を伝うのを感じて俺は黙った。名前さんは反転術式が使えるが、内臓の損傷と骨折を同時に治癒しながら逃亡しているのなら状況は良くないはずだ。あの人のことだから病院には行かないと思う。……というか、そんな状態で放っておくなんて、
「伏黒?」
「……乙骨先輩、俺」
「ダメだよ」
俺が口走りかけた言葉は乙骨先輩の冷静な一言で音にならずに喉の奥に押し込められた。
はっとして乙骨先輩を見ると、瓦礫に腰かけたまま乙骨先輩は鋭い目で焚き火を見つめている。俺はごくんと喉奥に押し込めた言葉と一緒に、口の中に溜まった唾液を飲み込んだ。……俺は今、何を言おうとしていた?
「……伏黒くん、気持ちはわかるけどダメだ。キミの軸がブレると計画もブレる。今の最優先事項は獄門疆の封印を解いて五条先生を解放すること、そして津美紀さんの安全の確保。そこにさらに名前さんの保護は僕たちの手に余る。優先事項と優先順位は揺らいではいけない」
「……はい」
「厳しいことを言うけど、虎杖くんをこうして助けられたのも半分は運が良かったからなんだ。もし先に直哉さんに狙われたら危なかった。それを忘れないでね。今この状況下で君が彼女の元へ向かうことを、悪いけど僕は認めない」
乙骨先輩は抑揚のない声でそう言い放つと目を伏せた。――乙骨先輩の意見は尤もだ。今俺が名前さんを追って栃木に向かうのは悪手。やはり計画通りに虎杖を高専に連れ帰って、天元様に今後の助言を貰うのがベストな選択だろう。とにかくこちらには時間がない。
天元様は信用ならない。名前さんの過去のいざこざはそもそも天元様から始まったことだ。天元様は必ずしも俺にとって味方ではない。……それ以外に打つ手なしなのも揺るぎない事実。
「伏黒、俺は何をすればいい。乙骨先輩はああ言ってるけど、俺はお前に従うよ」
「……いや、いい。乙骨先輩の言ってることが全て正しい。先輩の言う通り、まずは天元様に接触する」
「名前さんが重傷だって俺に黙ってましたね」
虎杖を無事に説得し、乙骨先輩と虎杖の自称兄(脹相と言うらしい)の四人で高専に戻ると、九十九さんと真希さんに出迎えられた。段取り通り、薨星宮へ向かう昇降機に乗り込んでたまたま隣に並んだ九十九さんにそう言うと彼女はニヤリと笑った。
「君が聞かなかったんじゃないか」
「……」
「自分が瀕死だったくせに、彼女が怪我してないっていうのは勝手な君の思い込みだろう?」
昇降機の中の空気が凍りつく。ただ一人、名前さんを知らない虎杖の自称兄が、「名前って誰だ?」と空気を読まずに虎杖に話しかけていたが、「今静かにしといて」と虎杖に嗜められてやっと黙り込んだ。
「でも意外だった、君がすんなり天元に会うなんて」
「背に腹は変えられません」
俺の返答に九十九さんはふうんと言ってまた少し笑う。この人は敵ではないが、食えない性格をしてる。九十九さんに促されるまま乙骨先輩に引き続いて昇降機を降りる。本殿はこの先らしいが、その空間は不自然に真っさらで文字通り何もなかった。まるで何かの結界の中のようだ。九十九さんがクソ、と舌打ちをする。
「何もねぇな」
「……これが本殿?」
「いや、私達を拒絶してるのさ」
拒絶、という言葉に俺は九十九さんを見つめる。
それって、"俺"を拒絶してるんじゃ……
「私の見通しが甘かった。……天元は現に干渉しないが六眼を封印された今なら接触が可能だと踏んでいたんだが……」
「……俺を拒絶してるんじゃないですか。以前俺は天元様の同化を阻止しました」
「可能性はあるね。……或いは、私か」
だとしたら天元様は当てにならない。津美紀には時間がない。引き返して他の方法を探すか、と全員が踵を返した瞬間だった。
「帰るのか?」
凄まじい威圧感と違和感を覚えてその場にいた全員が一斉に振り返る。そこには四つの目を持つ、人とも化け物ともつかない何かが仁王立ちしていた。
「天元様は何でそんな感じなの?」
九十九さんと天元様がシリアスな空気で話し始めたのに、虎杖がいつものとぼけた感じで話に割って入るので俺は目を細めた。……こいつよくこのタイミングでこの空気感で話に入っていこうと出来るな。
だが虎杖の疑問は尤もで、人とも化け物ともつかぬその見た目と何千年と生きているという事実から天元様事態については俺も気にはなっていた。そしてこの天元様と名前さんの"同化"のイメージが結び付かないのも。
「私は不死であって不老ではない。君も500年老いればこうなるよ」
「マジか」
「11年前に星漿体との同化失敗、さらにはほんの少し前に候補に上がっていた名字名前との同化の失敗。これらの影響によって、老化は加速し私の個としての自我は完全に消えた。天地そのものが私の自我となったんだ」
名前さんの名前が出たことに俺が顔を上げると、天元様も俺を見つめる。
「天晴れだったね、伏黒恵。あれをやられたらとうとう私は彼女に手を出せない」
「……すみません」
「謝らなくていい、だがあの件ではっきりわかった。私と六眼と星漿体の因果はもうとうに切れている」
「……因果」
責められているわけではないのだろうが、形だけでも謝るべきかと思って口走った俺の謝罪を天元様はあっさりと笑って流した。もっと俺に対して憤っているだろうと思ったのに、拒絶するどころかそこは大した問題でもないと言いたげな様子だ。
それよりも天元様の因果という言葉に九十九さんは明らかに反応していた。この人は俺に対しては不遜な態度をとるが、一貫して名前さんの肩を持つというスタンスに揺るぎがない。それも天元様絡みなのか。……いや、今はそれはどうでもいい。その件は一旦解決した、はずだ。
「なら早速本題に入らせてください。俺達は死滅回游を始めた羂索の目的と、獄門疆の解き方を聞きに来ました。知っていることを話してもらえませんか」
「勿論……と言いたいところだが、その前に二つ、条件を出させてもらう。一つ目は乙骨憂太、九十九由基、呪胎九相図、3人のうち2人はここに残り、私の護衛をしてもらう」
「……フェアじゃないな。護衛の期間も理由も明かさないのか?」
「二つ目は、最優先事項として名字名前をこちら側の戦力として引き入れること」
「……は?」
天元様は人差し指と中指を立ててそう言うと俺達を見渡した。
「……何で名前さんが」
「では羂索について語ろうか。あの子の目論見は日本全土を対象とした人類への進化の"強制"。手段としては人類と天元――即ち私――との同化だ」
「?!」
おい待て、何で同化の話が今出てくる?
「あれ、でも同化って」
「星漿体にしかできないハズですよね。だから天元様は名前さんとの同化を無理に進めようと……」
虎杖の疑問に俺が言葉を添える。だがそこまで口にして俺は息を呑んだ。そうだ、11年前に同化を失敗して、なぜ天元様はあのタイミングで名前さんと同化しようとしていたんだ?それまでにもそうするタイミングはあったし、恐らくだが11年前の時点で名前さんが星漿体であることは六眼―星漿体―そして天元様の三者相違なく認知していたはずだ。事実、渋谷に至るまで五条先生も健在だった。だったら天元様と六眼と星漿体の因果は切れていなかったんじゃ……
「私があのタイミングで名字名前と同化していれば、恐らく私の進化は止まっていた。私の個としての自我を保つことで辛うじて人としてこの世にとどまることができたかもしれなかった。つまりあの時が私が人として形を保てた最後のリミットだった」
「……」
「しかし名字名前との同化は伏黒恵、そして宿儺の器に阻まれ失敗。彼女は特級呪霊・真人の能力で現となってしまった。他の適合者もその時点でなし。結果として私の進化は止まらず、今の私は星漿体以外との同化もできなくもない状態になった。――進化した私の魂は至る場所にある。天地そのものが私の自我だ。私には結界術があったから今も形と理性を保てているが、人類が進化し、そのうちの一人でも暴走を始めたら世界は終わりだ」
「……こうなることを見越して名前さんと同化しようとしてたんですか」
「私に予知能力はない。だが自分のことは自分が一番よく分かっている。真人という呪霊の術式、あれを結界から見た時から嫌な予感がしていてね」
天元様はそこまで言うと少しだけ含みを持たせるように黙った。そして続きを促すような沈黙にようやくまた口を開く。
「今の私は組成としては人間より呪霊に近い。――私は呪霊操術師の術式対象だ」
「!!!」
それはつまり、羂索が天元様を取り込んだら俺たちの負けってことだ。
だから天元様は薨星宮で全てを拒絶していたのか。いや、それより。天元様と名前さんの同化を止めるために、羂索や宿儺が絡んできたのを思い出して俺は唇を噛んだ。……全部掌で良いように転がされてたってことか?俺すらも?
「名字名前の話は一旦置いておこう。死滅回游というのは即ち、同化前の慣らしだ。要するに儀式。この国の人間を彼岸へと渡すためのね」
天元様曰く、死滅回游のゲームマスターは羂索ではないらしい。それが羂索が死滅回游を成り立たせるために自らに課した縛りの一つ。今の総則を読む限り泳者が全員死ぬか、泳者が全員参加を拒否して死ぬまで死滅回游は終わらない。それが死滅回游の総則にある永続性という名の保険らしかった。そうなると、死滅回游に新たに総則を追加して津美紀が回遊を抜けるルールを追加するしか方法がない。それに並行して五条先生の解放……更には天元様の言う名前さんをこちら側の戦力として引き入れる、というタスクもある。限られた時間でこれら全てを達成するのは正直厳しいが、やる以外の選択肢はなかった。
話がまとまり始めたところで天元様の護衛には九十九さんと脹相が名乗りを上げた。
「五条先生を解放するための方法を教えてください」
「いいだろう。これが」
そう言って天元様は突然何もない空間に手を伸ばした。ずず、と俺の術式のように影の中に手を突っ込んで天元様は掌サイズの四角い箱を手に取る。
「五条悟の解放のために必要な、獄門疆"裏"だ」
← top