「パンダちゃん?」

立体駐車場の制圧自体はさほど難しくなかった。事前のパンダ先輩の情報を頼りに作戦を練り、虎杖がモニタールームに足を踏み入れた途端に俺とパンダ先輩で監視を制圧していく流れだったのだが、一つ手違いが発生。モニタールーム前の屋上で、パンダ先輩と無事落ち合った瞬間に、綺羅羅さんとも鉢合わせてしまったことだ。迂闊だった。てっきり綺羅羅さんはモニタールームにずっといると思っていたから。
そして綺羅羅さんの目には俺が映ってしまった。俺とパンダ先輩が繋がっているということは、俺が高専の人間だとバレたってこと。俺が高専の人間だってバレたってことは、虎杖も高専の人間だと勘付かれた。
まずい事態になった。反射的に俺は渾を出して綺羅羅さんに攻撃を仕掛ける。この状況、何としても秤さんにバレたくねぇ。いや、もう気付いたか……?!

「……っ!」

だがどうしたことか、渾は綺羅羅さんに触れる前に弾かれたように俺のところに吹っ飛んできた。体勢を整えて屈む。玉犬が吹っ飛ばされるようなパワーはなかった。むしろ触れてすらいなかったのに?……これがパンダ先輩の言う"近づけない"ってことか。

「いやー、なんかぁ、さっきモニター見た時に変だなと思ってたんだよね。監視の人たちが全然映らないし、タバコ休憩は必ず交代でって話は前に聞いてたから」

そう思った時だった。パリン、とモニタールームの窓ガラスが内側から蹴破られて俺もパンダ先輩も、綺羅羅さんも反射的にそちらを見る。すたんと音を立てて四人目の人物が屋上に降り立った。そこにいたのは、

「やっぱ恵か」
「名前さん……!」
「各フロアの監視は?殺してないよね?」
「気絶させてるだけです」
「そう、じゃあいいや。……てか何でここにいんの?」

名前さんが俺を見上げていた。
サイズのあっていない大きめのワイシャツにスキニーにショートブーツという出立ちだった。久しぶりの彼女の姿に胸の奥がじわじわと温かくなるのを感じた。……良かった、生きてた。何より出てきてくれた。これなら秤さんとも名前さんとも話が出来るかもしれない……!

「名前、戻って!私は大丈夫だから金ちゃんのとこにいて!」
「……何で?」
「今は出てきちゃダメ!この子もパンダちゃんも名前のことを殺しに来たんじゃないの?!だって高専の子だよ!悠ちゃんもそうだったんだよ!やっぱりみんな嘘つきなの!」
「……へー……そうなんだ」
「っ、違います!」

どうでも良さそうにポケットに手を突っ込んで名前さんは綺羅羅さんに返す。名前さんは少しだけ顔色が悪かった。白くなってしまった髪のせいもあるが、それよりもどこか覇気がなく、いつものように元気で明るい雰囲気とはかけ離れている。
綺羅羅さんの言葉を慌てて俺が否定すると名前さんは少しだけ悩むような表情を見せた後、ゆっくりと歩いて俺とパンダ先輩を見比べる。コツコツとヒールの音が響く。

「……何が違うわけ?」

次の瞬間、名前さんが俺の背後を取っていて思わず反応に遅れる。手刀を入れられそうになったのを腕でガードしたが、すぐに腹に膝蹴りを入れられて背後に蹌踉ける。くそ、調子悪そうなのに動けるじゃねーか、この人。

「どーせ怪我してるから動けないだろって思ってた?」
「……っ」
「ナメられてんなぁ」

名前さんが気怠そうに髪をかきあげる。それを見た渾が名前さんに噛みつこうとしたのを制すると、名前さんはそれを良いことに渾の頭を呪力を込めて思い切り殴った。めり、と音がしたと思った瞬間、今度は俺が肩を掴まれてどんと押し倒される。名前さんが馬乗りになって俺に拳を振り上げるのがわかる。

「名前やめろ!」

パンダ先輩が叫ぶが名前さんは無視。
玉犬が綺羅羅さんの術式のせいで俺にくっついているが名前さんに噛み付くのだけ再度やめるように合図をした。悪い、殴られてんのに。

「話を聞いてください!」
「もう帰りな。ここは恵が来ていいところじゃない。……帰らないなら、」

名前さんは冷たい視線で俺を見下ろしていた。拳に溜まる呪力と感じる殺意は本物で俺は唇を噛んだ。何で、どうしてこんなことになるんだ。……俺はただ貴方を助けて……貴方に助けてもらいたいだけなのに。

「……そんなに、俺のこと信用できませんか」
「……」
「なら俺のことは、ここで殺してください」

言う気のなかった本音がこぼれ出る。名前さんはやはり拳を振り上げたまま固まっている。

「それで気が済むならそうしてください。けど、名前さんは生きて高専に行ってください。名前さんの力が必要です。そのお願いをするために俺はここに来ました」
「……」
「俺を置いて黙っていなくなって連絡全部無視したってことは、もう俺を信じられないってことですよね。それはいいです。けど、もう一度言うが俺はアンタを殺しに来たわけじゃない。高専の上層部に言われてきたわけでもない。俺は俺の意思でここに来ました。…………前にも言ったでしょ、俺はもう名前さんのものです。信じられないなら信じられるまで俺のこと好きにすればいい」

俺がそこまで言って降参の意を込めて両手を上げると名前さんは目を細めた。そして思い切り、俺の頬を打ったのである。
ばちん、と鈍い音がしてパンダ先輩と綺羅羅さんが振り向く。綺羅羅さんは「うわ」と顔に出ているし、パンダ先輩も驚愕の表情だった。
じわりとした痛みと共に口の中に血の味が広がるが心配はない、少し口の中を切っただけだ。だが思い切り名前さんにビンタされたのは初めてで流石に面食らった。
反射的に彼女を見上げると、名前さんは唇を噛んで俺を睨んでいる。
――何だよ。そっちのが相当参ってるじゃねぇか。

気になるのはやはり顔色が悪いこと。さっきの綺羅羅さんの口ぶりだと名前さんはまだ点滴を打っていたはずだ。渋谷でも酷い怪我をしていたと虎杖から聞いている。彼女は真希さんや虎杖みたいなフィジカルお化けではない。身体は回復しきっていないのだとしたら、多分力ずくでやれば今の俺でも何とかできる。だがそれだけはしたくない。

「その証拠に、俺は今から何をされても名前さんを攻撃しません」
「……」
「もう一度言います、俺達は今高専側ではありません。現状東京がどうなっているかは名前さんも綺羅羅さんも知ってますよね?各地で発生してる結界も無関係じゃない」

名前さんは俺を信用することも今は出来ないんだろう。揺らぐ彼女の思考にもう一押しと俺が声を上げると、綺羅羅さんがちらりと名前さんを見た。名前さんは否定も肯定もせずにビンタした自分の掌を見つめて黙っている。

「いやいや……アンタらは五条悟にいくらでもケツ拭いてもらえるじゃん。私らに頼る意味がわかんない」
「悟くんは封印された。ウチら負けたんだよ。それで私もここに逃げてきた」
「え……マジ?何それどういうこと?」
「負けたら北に向かうのは世の常ってこと」
「いや何言ってるかわかんないんだけど」

綺羅羅さんは五条先生が封印されたことを知らなかったらしい。てっきり名前さんの口から既にある程度話があったと思っていた俺は驚いた。名前さんは見つめていた掌をそっと下ろす。

「津美紀のことも、悟くんのことも、全部私が何とかするつもりだった。……だから恵はこんなとこに来なくてよかったの」
「そんなわけにいかないです」
「……会いたくなかった。……私は恵に会いたくなかったよ」

名前さんはぼそりと小さな声でそう言うと眉を下げた。悲しそうな、泣く一歩手前の表情に戸惑う。どうしてそんなことを言うんですか。俺は貴方が心配で、会いたくて堪らなかったのに。

「こうなるから会いたくなかったのに」
「名前さん、俺、」
「会いたくないのに、もう私とは会ったらダメなのに、どうして私のとこに来ちゃうのかな。……恵って賢いのに、たまに本当に馬鹿になるよね」

声を震わせてそう言う彼女に戸惑う。
名前さんに手を伸ばして俺が起きあがろうとした時だった。どん、とまた胸を押し返されて俺は床に伸びる。俺の胸に手を触れたまま名前さんは口を開いた。

「"動くな"」
「……!」
「綺羅羅、パンダと……この子に何かされた?」
「何もされてないよ」
「……そう」
「名前、やっぱり部屋に戻って休んで。この子達は私が何とかするし、名前のことは私と金ちゃんが守るから」
「……」
「えーと……じゃあ話もちゃんと聞いてあげるから、金ちゃんにも口添えするし。ねえ、それでいいでしょ?」

綺羅羅さんが懇願するように名前さんに声をかける。
俺は名前さんの術式に従うことにした。"動くな"と言われたので、名前さんが術式を解除するまで俺は彼女の許可なく動くことができない。誠意と言う意味ではこれが一番彼女に効くのではないかとも思う。……最悪パンダ先輩に抱えて運んでもらうしかないか。だが話もちゃんと聞いてあげる、という綺羅羅さんの言葉に安堵した。どうにか交渉の余地はありそうだ。
そう思った時だった。

モニタールームの扉が勢いよく開いて、おそらく秤さんに殴られたのであろう虎杖が飛び出してくる。
名前さんは俺の上に乗っかったままモニタールームの扉の方を見つめる。俺も吹っ飛ばされた虎杖に声をかけた。

「虎杖!」
「……金ちゃん」

名前さんの視線の先には恐らく秤さんがいる。

「伏黒、パンダ先輩、手ェ出すなよ」
「ナメるじゃねぇか」

秤さんの拳がモロに虎杖の顔面に入る。さすがにまずいのでは、と思ったが、名前さんは俺に跨ったまま二人を見つめているだけだった。術式が解除されてないから俺は動けない。くそ、どうする。

「名前さん、虎杖が」
「虎杖くんが何?恵は私の言うこと聞くんでしょ?」
「……っ」

がん、と顔の横に名前さんの踵が振ってきて俺は固まる。上に乗っかられて脚で押さえつけられるような姿勢だ。名前さんは俺には目もくれずに虎杖と秤先輩を見て薄く笑う。

「ちゃんと自分のことに集中して。……私まだ術式解除してないよ」
「!」
「まあ別に何もしないけど。とりあえず虎杖くんが金ちゃんを熱くさせるまで、私達はこのまま」

虎杖くんだってそう言ってたよ?と名前さんは俺の胸ぐらを掴んで小さくそう言うと、また俺に跨って一方的に秤先輩に殴られる虎杖に目を向けた。まだ動くな、と俺は彼女に命令されている。

「……だって恵は私のものなんだもんね?私の気が済むまで、好きにさせてよ」

俺を見下ろしてにやりと笑う名前さんの目には動けない自分の姿が写っていた。……俺の知ってる名前さんは、こんな風に笑う人だっただろうか?











「名前、針刺すよ?適当でいい?」
「……適当にしか出来ないでしょ。禁忌箇所だけは避けてよね」

名前さんはぐったりした様子でソファに腰掛けると綺羅羅さんが持ってきた点滴のセットを一瞥して左腕を出した。俺が黙って見ていると、名前さんは目を伏せる。やはり顔色が良くない。

「……内臓の損傷って聞きました」
「うん、反転術式でずっと治してるけどね。思ったより上手くいかない。……黄疸が出て、流石にまずいっていうんで点滴してるだけ。じゃないと糖分足りなくて呪力も回んないから……っ痛!もう、下手くそー!」
「あーもう、名前が動くから」
「動いてないし、綺羅羅が刺すの下手なんだよ」
「だって適当でいいって言ったじゃん」
「……だからそれは適当にしか出来ないからでしょうが」

点滴の針を綺羅羅さんが名前さんの腕に刺していた。絶対この人その辺りの知識も免許も資格もないだろ、と思ったけど綺羅羅さんからすれば名前さんの身体にちゃんと点滴が入ればそれでいいんだろう。ああ言えばこう言う堂々巡りの名前さんと綺羅羅さんの会話に俺が黙ると、秤先輩がぱんと一つ手を叩いた。鶴の一声とばかりにその場にいた全員が秤先輩を見る。文字通り、秤さんをその気にさせることができた虎杖のおかげで、俺と虎杖とパンダ先輩は三年の先輩達と共にモニタールームにいた。

「つーかよ、五条さんが封印されたのってマジなの?」
「マジ」
「です」
「名前!そういうことは早く言えや」
「そんなタイミングなかったじゃん。ここに着いてから私の目が覚めたの、金ちゃんが虎杖くんド突き始めた時だし。いつ言うのよ」

名前さんは隣に座る秤先輩に口を尖らせてそう言うとまた背もたれに背を預けて自分の少し伸びた爪を眺める。点滴の処置をどうにか終えたらしい綺羅羅さんが名前さんのそばの肘置きに腰掛けて頷いた。

「名前はね、ここに着いた時にほとんど意識がない状態だったの。金ちゃんに連絡あってたまたま私が見つけて、本当に今さっき目が覚めたとこなんだよ。だから私達、名前からは何も話は聞いてないんだよね」
「……私の話はいいから」
「彼氏クンが心配してんじゃん、親切で教えてあげてんのにぃ?」

綺羅羅さんはそう言って俺にウインクすると名前さんを肘で小突いた。名前さんは不貞腐れながらそっぽを向く。そんな彼女の様子も気にせずに「あんな熱烈に押し倒してるの見たらさすがにわかるでしょ♡」と綺羅羅さんは俺に笑いかけてくるので困る。熱烈に?押し倒す?どこが?……殺そうとしてたの間違いだと思うが。

「言われてみたーい♡俺は名前さんのものです、好きにしていいです♡とかさ。好きにしちゃう?好きにしちゃう?」
「前言ってた彼氏ってこのウニ頭くん?名前ってこういうの趣味だったか?」
「……」
「じゃあもしかしてこの前挟んでヤったのって、」

秤先輩が何か言いかけた瞬間、物凄い速さで名前さんが秤先輩を殴りつける。がっつり頬にクリーンヒットしたにも関わらず「痛ェな」くらいで済んでいるのでこの人は本当に怖い。
……挟んでヤる、に心当たりはあるが多分今反応したら負けだ。綺羅羅さんと秤先輩に揶揄われている、と頭で理解しながらもどう反応していいか分からず(機嫌を損ねられたりするとめんどくさいし)俺が気まずい思いで黙っていると、名前さんがひとつ深いため息を吐く。俺の隣に座っていたパンダ先輩がぽんと俺の肩を叩いて良い笑顔を向けてくるのも反応に困る。虎杖は何のことか知らないので不思議そうな顔をしていた。知らなくていい。

「恵、この二人殴っていいよ。なんかムカつくし」
「ちょっとぉ、この子達の話を聞くって流れだったでしょ?」

名前さんは片目を閉じると、小突いてくる綺羅羅さんと肩を組んでくる秤さんの手を払いのけて俺にそう言った。いや殴れないですよ、というか殴らせてもらえるわけないでしょ、とも言えずに戯れ合う姿をまた黙って見つめる。三年は本当に仲が良いらしい。




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