2018年10月26日
20:08 京都府立呪術高専 霊安室
「名字」
「東堂、迷惑かけてごめんね。でもすぐに動いてくれて助かった。……本当にありがとう」
「一向に構わん。俺とお前は
親友だ。互いが苦しい時に鼓舞しあうのは当然、時に助け合い、時に苦しみを分かち合う。…だが今回の件は本当に残念だった。悔やみきれん」
線香に手を合わせた私が目をゆっくり開くと、珍しく心配そうな東堂葵の声が背中にかけられた。霊安室の壁にもたれて腕を組む東堂に、私は小さく頷いた。別に
親友ではないのだが、それを除けば東堂にしてはまともなことを言う。いつもなら鬱陶しいとかキモいとか思うけれど、今回ばかりは彼の存在に救われていた。頼りになるんだよ、こう見えて。
京都校の霊安室には二名の遺体が既に運び込まれていて、私はその二名に手を合わせていたところだった。とは言え顔面が潰れていて、実感はそこまで湧かない。
「……顔面の修復には時間を要するらしい。葬儀までには間に合うように医療班が手を尽くす気ではいるらしいが」
「気持ちだけで十分だけどね。この後どうせ火葬するんだし」
結論から言うと私の嫌な予感は全て当たった。
今朝、東堂が私の指示を聞いてすぐに実家に行って確認したところ、使用人は全員おらず私の父母が頭を潰されて死んでいたそうだ。血の匂いは父母の部屋からしただけで、他はもぬけの空といった様相だったらしい。争った形跡もなかったから、就寝中に襲われたのではないかと考えられる。
恐らく使用人は改造人間にされてツギハギがストックとして持ち歩いているのではないかと思う。
父母の潰された頭のそばにはご丁寧に相伝の書物がベッタリと血を含んで置かれていたそうで、肝心のページは綺麗に破り取られていたらしい。
その隣室には私の叔父が一人、部屋の布団に寝かされていたらしいが脳をイジられたのか譫言のように「名前、名前」と私の名前を呼ぶことしかできなくなっていたと。流石に特級呪霊、本当に趣味の悪いことをする。
「東京に帰るよ」
「…葬儀には立ち会わないのか」
東堂はいつもより一段と低い声で静かに尋ねてくるので私は首を振った。そんな時間はない。戻って首謀者を追わなければ。
霊安室は嫌い。寒くて冷たくて、死の匂いがするから。
振り向いて私を案ずる巨漢に視線を合わせると、出来るだけ自然に微笑んでみる。
「んー……でも、私は呪術師だから」
「……」
「……泣いても死んだ人間は帰ってこないし、縋っても呪霊は私を助けてくれない。だから、今の私がやることなんて一つしかないと思う」
「だが今は……」
「もしかして慰めてくれてんの?」
ふ、と笑って東堂を見上げると深いため息を吐かれた。
「肉親が死んだんだろう。涙一つくらい流してみたらどうだ」
東堂の言葉にもう一度首を横に振ると私は霊安室を出た。薄暗くひんやりとしたあの部屋が嘘のように、廊下はしっかりと温かみのある照明が付いている。いつもの日常のひと風景といった様子で安心するのと同時に、霊安室に戻るのが怖かった。
廊下には心配そうな顔をした恵と歌姫先生が待っていた。
「名前さん、大丈夫ですか」
「…まあね。ごめんね、こんなとこまでついてきてもらっちゃって」
「いえ…それは別に構わないんですが」
「歌姫先生もありがとう、心配してくれて」
「…当然よ。生意気言ってても名前はまだ子どもなんだから」
「あ、そう?」
片目を閉じて歌姫先生に笑いかける。歌姫先生は口を一文字に閉じて私を見下ろすとそっと肩を抱いてくれた。
「大丈夫だよ。全然強がりとかじゃない。本当に大丈夫」
「…ばかね、ホントに。……五条のせいだわ。…あんた強くなりすぎてんのよ、頭のネジ外れ過ぎてんの」
「もう、なんで歌姫先生が泣くわけー?」
「アンタこそ何で、泣かないわけぇっ……」
歌姫先生の手を握って首を傾げて見つめると、彼女はそれ以上何も言わなかった。代わりにじわりと目に涙が浮かんでいる。
「私は大丈夫。それに涙っていうのは本当に泣きたい時には自然と出てくるものでしょう。そのうち泣けると思う。ありがと、歌姫先生」
そんな一連の様子を黙って見ていた恵がようやく口を開いた時には、私ではなく何故か歌姫先生がぽろぽろと涙をこぼして泣いていて、私がハンカチで拭ってあげているのだった。
ぎゅっと歌姫先生を抱きしめてハンカチを押し付ける。
「…ツギハギの意趣返しですよね」
「多分ね。自分の手に負えないからってあの時私から尻尾巻いて逃げたくせに、どうせ気がおさまらなかったんだろう。半分嫌がらせだよ。…あのマヌケ」
「……」
歌姫先生に軽く手を振って頭を下げると、廊下を恵と並んで歩く。
京都校に来るのは百鬼夜行の云々があって以来だった。ちなみに私の今回の京都行きに恵を同行させたのは悟くんの判断で、それは正直有り難かった。自分でも両親の遺体を見てどうなるか…どんな風に取り乱すかわからなかったから。
しかし頭を潰されていたことと、両親との関係性が控えめに言っても険悪だったせいもあってか実感がそこまで湧かなかった。現に今も私の目からは涙一粒出ないし、頭の中は酷く冷静で。歌姫先生はあんなに泣いてくれているというのに。
「…葬儀は母の親戚に任せてるから、私達は東京に戻ろうか」
「あの」
「ん?」
この後の段取りを考えながら廊下を抜けて昇降口まで来ると、恵が思い詰めたような顔で私を見ていた。
「どうしたの?」
「本当に、大丈夫ですか」
私より恵の方が余程動揺していて、何だかそれが不思議だったし、申し訳なくすら感じる。
「…あー…まあ別に…。……まあ、世の中にはいろんな親子関係があるってことだよ」
父親も母親もいない恵には、多分想像もつかないだろう。私と私の親の関係なんて。普通の親子とは倫理観もパワーバランスも天と地ほども違う関係性だし。
何より呪術師として生きる以上、死は常に隣り合わせだからこういう死に方も仕方ない、とは思う。ツギハギは私の泣き喚く姿でも想像したのかもしれないけど、現実は違う。
…ただ一つだけ思うのは、
「…まあでも、私が星漿体として天元様と同化していれば両親は今頃まだ生きてたのかもしれないね」
「…それは……」
「私の代わりに死んでくれたんだよ。…感謝しなくちゃ。それ以外に今思うことは特にないかな」
私はそう言って微笑むに留めた。これ以上言うときっと恵が責任を感じるだろうから。
「こらこら、そんな顔しないの。…てか親死んだし、財産全部私のモンじゃん?不動産でも買い占めようかな?今マンションの価格が上昇傾向なんだってよ?今年の初詣で引いたおみくじ、確か建築は"踏み込んで買うが良し"だったし。恵も一緒にどう?」
「…強がりなら、笑えないです」
「強がりじゃないよ。マジで頭イカれてるだけ」
「……」
「じゃないと呪術師出来ないって。それに、恵だってこんな私も好きでしょ?」
「………好きです」
そう言って私を見下ろした恵の目に、少しだけ涙が溜まっているように見えた。よく知りもしない私の親のために泣けるなんて、恵は本当に優しくて良い子だ。でもその涙を流すほどの価値は、あの二人にはないよ。
何だか居た堪れなくて、私はその場で恵にぎゅうっと抱きついて、肩に顔を埋めた。恵はすぐに私の背中に腕を回してくれた。胸いっぱいに恵の香りが広がって安心する。こうすれば泣けるかな、と思ったけど、やっぱり涙は一粒も出なかった。
「泣けそうな時に泣いてください。…俺がいます」
「…心強いよ」
思えば、この時にもっと泣いておくべきだったと思う。
この出来事があってすぐに、私も恵も泣く暇もないほどの大きな事件に巻き込まれていくことになるなんて、夢にも思っていなかった。
恵があんなことになるなんて、誰が想像しただろうか。
同日
21:15 京都駅 東京行12番線ホーム
「今回の、多分私への意趣返しだけじゃない」
京都高専を出て京都の楽巌寺学長の計らいで補助監督に駅まで送ってもらった私と恵は、いつかのように京都駅の新幹線のホームに立っていた。
「…名前さんの術式の攻略のためですよね。天元様が恐れるような術式ですから」
「多分ね」
「あのフードの術師は何者なんでしょうか」
「……わからん。残穢も残さないし。でも五条悟だけ弾く帳や五条悟だけ閉じ込める帳をアイツが運用してるなら相当な手練れだとは思う。結界術で右に出る者は天元様を除いていないかもね」
「五条先生より強いってことですか?」
「フィジカルとか術式含めた純粋な術師としての強さで言うと悟くんの方がもちろん上だと思う。でも単純な結界術のレベルだけで言えばそいつも良い勝負するんじゃないかな。知らないけど」
私は何度も帳を目にしてるからわかるけど、あんな無茶苦茶な条件付きの帳や結界はそもそも成り立たせること自体が難しい。概念系…縛りや条件を合わせることができても、実際問題そんなものを展開して成り立たせるのは別の話だし。しかも交流会の時は術者本人ではなく他人を使って帳を展開させているわけだし?
何を企んでるのか知らないけど、絶対に警戒すべきだ。
「…天元様も躍起になるわけだ。あんなのずっと野放しにしてるの、気が気じゃないだろうな」
「それなんですけど」
「ん」
「その割に、天元様は名前さんにあの件以来お咎め無しでしたよね」
「……そうだねぇ」
恵の言葉に小さく頷く。
私の同化失敗を天元様はもっと怒るか嘆くかと思っていたけれど、実際のところ「やっぱり無理だったかぁ」という反応だったらしい。やっぱり、ということは何となくだがうまくいかないとあの方自身が理解していたということになる。それが何故なのかはわからないけれど。
「名前さんはあの後、天元様に会いましたか?」
「会ってないよ。もう"招かれざる人間"になったからね、天元様が私に会いたいと思わない限り会うことは今後ないと思う」
「……」
招かれざる人間、というワードに恵は首を傾げた。
天元様は基本的に現には干渉しない。あの人のいる薨星宮へ行くことが許されたのは私が星漿体だったからで、今はもう違うから接することも許されない。私は最早"現"になったのだから。
「言っとくけど、別に天元様と喧嘩してるわけじゃないから」
「でも俺はあの方に喧嘩を吹っ掛けたわけですよ」
「…お互いお咎めなしなんだからいいじゃない」
「それが妙なんです」
「……」
「……」
「……え?いや、それはないと思うよ、さすがに」
恵が黙り込んだのを察して私は慌てて手を振って制した。恵が考えていることはわかる。
今回の私の両親が殺された事件、裏で天元様が繋がっているのではないかという話だ。有り得なくはないけど。…いや、でもさすがに、それはないと……思うけど。
そんなことを話していると、京都駅のホームに新幹線が到着して私達はすぐに乗り込んだ。東京行きの終電だ。
指定席に座って窓から外を眺めると真っ暗だ。当たり前だ、夜だし。高専に帰る頃には日付が変わっているだろう。……今日はとても疲れた。少しだけ休もう。
目を閉じると私はすぐに意識を手放したのだった。
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