私が煙草を吸うようになったのは、間違いなく同期の家入硝子がきっかけである。
私らの代は男二人女二人の四名しかおらず、たった一人の女性の同級生である硝子と私が仲良くなるのは必然だった。

硝子が入学してすぐに喫煙をしていることを知ったけど、彼女が別にそういうことをしていても私は特に驚かなかった。寧ろ彼女に興味が湧いて、「どんな味なの?」と尋ねたら「試してみるか?」と一本貰ったことが始まりと言える。

しかも私達の代は優秀で、男二人の同期こと五条と夏油はバカ強い特級術師、硝子は反転術式の使い手で他人にまで反転術式を使える才能がある。私はまあ、この三人に比べればやや劣るが、それでも次の査定が通れば準1級術師に昇級する予定だから通例よりは優秀と言えるだろう。

硝子が煙草を吸うきっかけが何だったのかは知らない。でも私が喫煙をするのははっきり言って、この優秀な代だからこそ感じるプレッシャーやストレスが原因だ。
五条はアホだけどめちゃくちゃ強いし、夏油は真面目で正義感が強く、術師ということに誇りを持っていてめちゃくちゃ強い。
この二人と任務に行くと楽と言えば楽だが、敵うわけもない実力の差を突き付けられて何とも言えない気持ちになることがあるのも事実だった。比べる相手を間違えてると言えばそれはそうだけど。

「…はぁー」

硝子は珍しく五条と何かやらかしたらしく、反省文を書かされている。
任務から戻った私は一人で寮の裏手に屈んで紫煙を燻らせていた。手に持っていた100円ライターを指先で弄びながらふっと息を吐く。

「不良少女発見」
「……」

人の気配がして目を上げると、見慣れた好青年(ただし前髪が変)が私を見下ろしていた。
げ、と声を出す前に私の隣に夏油はヤンキー座りをした。

「何か用ー?」
「不良少女がいつまで煙草続けるのかちょっと心配でね」
「私のことが心配?」
「少し。ヘビースモーカーになってないか」

夏油は私と硝子が煙草を吸っていることを知ってる。というか五条も含めてみんな知ってる。多分夜蛾センも知ってるし、でもみんな見てみぬふりをしている。
ストレスの吐口は必要だ。普通の高校生と違う私達にとって、そういうものが必要であることを知っているから、大人は目に余る時以外、知らないふりをしてくれている。
でも夏油だけは何故だか、私がひとりで一服している時に限ってやってきては話しかけてくるのだった。

「別にヘビーではない。ちょっと口が寂しいってだけだよ」
「へえ」
「吸ってる量で言えば硝子の方がエグいし」

夏油はまあそれもそうか、と頬杖をつくと私の顔を覗き込む。私はそれがだるくて、夏油の顔を忌々しく見上げて彼向かって少しだけ煙草の煙を吐いた。咽せもせずに笑って手でその煙を払う彼の姿から、私は目を逸らした。
にも関わらず、こともあろうに夏油は私に手を伸ばして来たのだ。

「…何」
「一本頂戴。興味があるんだ。私も試してみたい」
「……」

まあいいか。ポケットから煙草を取り出して蓋をあけて夏油に黙って突き出すと、夏油の大きな手が伸びてくる。彼は太くそれでいてどこか繊細な指で一本煙草を取った。私のピアニッシモは、彼の手の中にいるとより細く感じられて何だか少し滑稽だった。
火、と言われて手で弄んでいた100円ライターをぽいと投げるとすかさずキャッチされる。カチ、と何回かヤスリを擦るが、火がつかない。夏油が下手とかではなくオイルの残量が少ないからだろうな、と思って私は黙ってそれを見つめた。
フリント式の安物ライターの寿命なんて知れている。

「ライター、他にないの?」
「今それしか持ってない」

夏油がやや不満げに目を細める。何を思ったのか、ため息を吐くと夏油は火のついていない煙草を咥えて私の顎を掬った。
突然のことに私は煙草を咥えたまま固まる。
何するの、と言う前に夏油は私に顔を近付けると、煙草の先をぴたっと私の煙草の先につけた。
これ、シガーキスってやつじゃないの。

「吸って」
「……」
「…そう、ゆっくり」

言われるまま、私が煙草を少し吸うと夏油も少しだけ煙草を吸った。夏油が真っ直ぐ私を見つめているのがわかり、どうにも気恥ずかしい気持ちになりながら私も見つめ返してみる。まるでキスされる直前をずっと味わされているような距離と視線。

「うん。…上手」

夏油はモテる。とても。
高身長で頭も良く、物腰柔らかで言葉も丁寧。女性に優しく、後輩にも優しく、そして一見真面目で穏やか。なのに近接戦闘も強く、がっしりした体格で任務ではあの五条にも引けを取らない。
前髪がやや変なこと以外は100点満点の男。
彼のそばにいて彼に惚れない女は硝子くらいだろう。……かくいう私も。

そんな夏油とシガーキスとか……と居た堪れなくなって目を逸らした。でも煙草の先が触れているし、夏油に顎を掬われているせいで顔を離すことは出来ない。
時間が経つのをひたすら待っていると、夏油の煙草の先がちら、と赤く熱を持ち、煙が出始める。時間にして多分ほんの数秒のことなのに、夏油の煙草に火が移るまで随分と長く感じた。
どうやらしっかり着火したらしく、夏油が顔を離した。煙草を指で挟んで口から離すとふっと息を吐いたその横顔に目が離せなくなる。

「で、どう?」
「何が」
「シガーキス」

…夏油、絶対煙草吸ったことあるじゃん。
私は顎から離れた彼の指の感触を思い出しながら、自分もふっと息を吐いてまた紫煙を燻らせた。夏油はいつもの掴めない微笑みを浮かべたまま、私を見下ろしている。
なんだ、私を揶揄っているのか、と呆れて目を伏せた。…そうだ、彼が私にそういう感情を持ち合わせているわけない。

「ま、悪くないかな」
「それは良かった。やってみたかったんだ」
「あっそ。他の女にやると本気にするだろうから、遊びでやるのやめなよ」

平静を装うことに努める。
前述したことを端的に纏めると、夏油は完璧にかっこいい。真面目で正義感が強いくせに、悪いこともよく知っている男。だからこそ硝子は夏油のことをクズ呼ばわりしている。それはつまり、女に対してもそうだから、である。

私が呆れ顔でそう言うと、夏油は黙った。
少しは反省しろよ、と思ってだらりと空を見上げてみる。すると隣にいたはずの夏油が私の正面に立ってポケットに手を突っ込んで私を見下ろしていた。

「名前は?」
「…は…?」
「本気にしなかったの?」

笑ってない。
夏油は咥えていたまだ残りの長い煙草を指で挟んで口から離すと、ふっと私の顔に煙を吹きかける。
思わず顔を逸らすと、彼がぽいと煙草を投げ捨ててぐしゃっと踏み潰して火を消したのがわかった。あ、もったいな…と私が口にする前に、夏油が私の正面に屈み込んで私の口に咥えていた煙草を奪い取る。

「…何すん……」
「これだけ誘って無関心って、逆に傷つくんだけど」
「え」

また顎を掬われて視線がかち合う。
さっきのシガーキスよりも、ずっと近い距離にお互いの顔があって私は少し焦った。

「なに、なになに」
「口が寂しくて煙草吸ってるなら、私とキスでもしてみるかい?そしたら出来るかもよ、禁煙」

いやだから何言ってんの?
頭に「?」が浮かびまくる私を嘲笑うかのように夏油はまた顔を近づけた。あと数センチで唇が触れてしまう。
視線を少し逸らすと、夏油が没収した私の煙草がまだ灰を散らしながら燃えていた。彼の指に挟まれたそれからだらしなく漏れる煙を眺めて、私は今一度この状況をどうすべきか悩む。

「何で」
「…何でだと思う?」
「そういうの冷める。はっきり言って」

つまるところ私は夏油のことが好きだ。
入学してからずっと好きだった。でもフラれたり、付き合うにしても別れるリスクを考えると一歩踏み出せなかった。せっかくの少人数の同期の仲がそれで拗れるのも嫌だった。だからまあ、仲の良い友達でいれたらいいか、くらいの淡い恋心でいただけ。
なのにこいつはその葛藤を飛び越えて、私の心に土足で踏み込んできたのである。
ならば男らしくそちらが責任を果たせ、責任を。

「名前のことが好きなんだ。…私の彼女になってほしい」
「…うん」
「…どうしても君が良い。君も私を好きだと言ってくれ」

何その告白、と思わず笑いそうになる。夏油は私の返事を待たずに顔をもう一度近づけた。ゼロ距離になる互いの唇が触れ合う。
お互い目を開けたまま、様子のおかしいキスに私はとうとう笑ってしまった。

「…ふふ」
「笑うなんて酷いな」
「夏油の必死な告白、可愛かったから」

そう言って彼の手を取ってまだ燃えている煙草に口をつけようとすると、その煙草はそばにあった灰皿に押し付けられた。あ、と私がそれを忌々しげにまた見ていると、夏油も少しだけ笑った。

「いつも紳士で余裕たっぷりの夏油がそんな告白するなんてさ」
「好きな子に対していつでも余裕でいられるほど、私は紳士じゃないんだ」
「へぇ…」

なんだか意外、と口から出た言葉に夏油は目を細めた。
力でも勉強でも術師としての等級ももちろん敵わない夏油が、余裕がなくなるほど私を好いてくれているらしい。妙なことが起こるものだな、と薄ら笑うと夏油はもう一度私に顔を近づけた。切れ長の美しい目が私を熱っぽく見ている。
最強の片翼にもこんな一面があるなんて。

「返事は?」
「そりゃもちろん、」









「硝子が傑の代わりに反省文とかどういう風の吹き回し?」
「煙草1カートンで打診された」
「吸いすぎだろ」
「まあもう見てて焦ったいし了承しただけ、私は」
「何が?」
「何も気付いてないの?お前ほんとバカだな」
「はー?うるせぇよ、俺テストの成績は良い方だろ」
「だからそういうとこ。…夏油は今頃イチャイチャしてんだよ多分」
「は?何が?誰と?」
「あーもう五月蝿い、五条と二人とかホントだるい。さっさと書けよ反省文」







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