名前まだ怒ってるかなぁ。…もう怒ってないって言ってたけどちょっと怒ってるよなぁ。
キスマーク見えるとこに付けたのってそんなに怒ること?スーツ着てワイシャツ着てたら見えないのに?…あ、恵に見られたのが嫌だったのか。…何で?恵に見られるとなんかマズい?…やっぱり名前、恵に気があるんじゃ…

「五条先生」
「……は」
「何で無視なんですか」
「…いや、別に」

職員室のふかふか高級マイチェアでぼんやり名前のことを考えながら天を仰いでいると、恵に目隠しを掴まれてずらされた。
あ、いたんだ。いや、いるなとは思ってたけど僕に話しかけてたんだ。聞いてなかった。

「寝てた。…何?」
「…昨日ありがとうございました。判子と署名、名前さん対応してくださって助かりました」
「ああ」

なんだ、そのことか。恵は補助監督に用があったらしいけど、僕を見かけたから一応お礼を言いに来たらしい。律儀だね。
そう言えば名前、今日はここにいないんだったな。学長のとこで書類整理の手伝いだったか。

「いいよ別に。名前には僕の代わりにこれから事務系のことやってもらうことも増えると思うし」
「……」
「僕に気遣ってすぐ帰ったんだろ?エライエライ」

恵にずらされたままの目隠しをそのまま押し上げて笑いながら見上げると、恵はいつもの仏頂面だった。

「…そうしないと、名前さんが可哀想なんで」
「どういう意味だよ」
「だってアンタ、名前さんのこと虐めてるでしょ」
「は?虐めてないし」

何それ、どういう意味?
恵の何か言いたげな表情に僕はイラっときた。なんか恵が名前のことわかったように言うのムカつくなぁ。どうせあれでしょ、そうだよ、キスマークのことでしょ。そういや恵が首元隠せとかなんとか名前に言ったんだっけ。あ、そのせいで僕名前に怒られたんじゃん、じゃあ恵が悪いな。

「名前と僕は相思相愛だよ、ちゃんと仲良しだもん。…恵も見たんでしょ」

わざと煽るようにそう言って、背もたれに腕を乗せて椅子に深く腰掛ける。恵はすぐに思い当たったのか、僕を見下ろして一瞬目を細めた。あー、アレ童貞には刺激強すぎたかな?

「…あんまりしつこくすると嫌われますよ」
「へ」
「じゃ、俺はこれで。失礼します」

ぺこ、と形だけ頭を下げると、恵はさっさと職員室から出て行ってしまった。
はー?何なのそれ。うっぜー、お前僕と名前のラブラブライフのこと何も知らないだろ。こちとら毎日おかえりなさいのチューしてもらってんだよ?任務が早く終わった日は必ずセックスもするし、休みの日も時間が取れたら勿論するし。名前がどんなに可愛いか、僕を何度好きだと言ってくれるか、何も知らないだろ。

「…嫌われる?僕が?」

ポケットからスマホを取り出して地図のアイコンをタップする。名前の位置情報がすぐに表示された。うん、まだ学長室にいるな。なんか昔の資料がどうだとか行ってたから、夜蛾さんにパシられて探してるんだろう。
ちょっかいかけに行こうか。…でも昨日の今日だし怒るかな。んー、どうしよう。
そんなことを考えながら伸びをしてスマホをポケットに仕舞う。タイミング良く伊地知が車の鍵を片手に声をかけてきたので、僕にしては珍しくちょっかいをかけるのはやめておくことにした。









「お疲れ様でした。ご無事で」
「当然、誰に言ってんの」

当てがわれた祓除任務を一瞬で終わらせてまた伊地知の運転する車に乗り込む。
思ってたより遅くなってしまった。近いからって5件もぶち込むんじゃねーよ、と思いつつスマホをまた確認。名前につけているGPSで位置を確認する。うん、家に帰ってるね。早く会いたいな。
 
「伊地知、飛ばして」
「これでも結構飛ばしてる方なんですが…」
「名前に早く会いたいからもっと飛ばせ」
「スピード違反で捕まります…」

怯える伊地知を内心笑いながらスマホでまた名前の位置情報の履歴を確認する。
家に帰る前に近所のスーパーとベーカリーに寄ってる。帰宅時間は17時ごろか。そこからずっと家にいるな。…特に気になる点なし。

「で、名前はどう?」
「どう、とは」
「仕事の話。伊地知と新田に任せてるでしょ。お利口に頑張ってる?」
「ああ、それでしたら勿論。寧ろ覚えが良くて気が回るので助かってます。彼女一度教えたことは忘れないですし、理解も早いので」
「…ふーん」

なんだ、仕事ちゃんと出来てるんだ。…まあ当然と言えば当然か。
上手くできなくて早く辞めたーいと言わせたかった僕としては何とも言えない気分だった。新田も伊地知も人が良いし、名前が僕の妻だと知っているから優しく接しているだろうしな。
目隠しをズラして後部座席から高速道路の景色を何となく眺めながら僕は黙った。白いクーペを追い越して、首都高を駆け抜ける。赤く光るテールライトの群れがぼんやりと視界に映る。

「な、何か問題ありましたか…?」
「ん?…いや別に。それなら良かった。さすが僕の奥さん、仕事も優秀ってことだね」

メッセージ画面を開いて名前に連絡を送る。「任務終わったとこ、これから帰るね」と送ると、すぐに既読がついた。「お疲れ様でした。待ってます、お気をつけて」とすぐに来た返事ににやりと頬が緩むのがわかった。待ってます、だって。可愛いな。早くキスしたい。早く名前に触れたい。

「伊地知さぁ」
「はい?」
「名前のこと可愛いって思う?」
「へ…」
「…僕はすごく可愛いし誰にも触らせたくないって思う。だから正直、高専で今みたいにバイトさせるのもすごく嫌。お前のこと信用してるから任せてるけど、正直お前がいなかったら名前は高専で働かせてない」
「そ、そうですか…」
「だから名前に変なことする男とか…まあ女でもだけど、妙なことする奴がいたらすぐに僕に教えてよ」

僕がそう言ってバックミラー越しに伊地知を見ると、伊地知は少し困った様子で頷いた。

「名前さんは基本的に内勤ですし、任務や外出もないように…主に私と新田さんの事務仕事のサポートという形で働いてもらうので、そういった心配はないと思いますが…」
「…ならいいけど。僕のいないタイミングが多いし、名前はあれでも実力的には2級くらいの術師と同等なんだよね」
「え、そうなんですか?」
「そうだよ。弱いし心配だから何もしなくていいって言い聞かせてるけど、名前の身内や僕の身内、あと他にも知ってる奴は知ってるハズだから。何か罷り間違って任務とか行く流れは絶対にやめてよ」

そう。
名前は自覚してないけど、多分2級呪霊なら容易に祓えるくらいの実力はある。三年前、一方的な婚約を結んだ時に僕が徹底して呪術師という立場から彼女を遠ざけるように根回ししていたから、等級はついてない。何も出来ない弱い女の子、それでいてくれたら良かった。僕のものになるなら、強くなんかなくていいんだから。









「おかえりなさい」
「ただいま名前♡」

報告書を伊地知に丸投げして高専から自宅まで飛んだ。マンションのエントランスを抜けて高層階用のエレベーターに乗り、内廊下を抜けて玄関を開ける。
部屋に入ると名前がパタパタと駆けてくる音がして僕は目隠しをずらした。
いつもと同じおかえりのキスをして靴を脱ぐと名前が僕の上着を手に取る。

「遅くまでお疲れ様です」
「んー、なんて事ないよ。それより名前に早く会いたかった。名前も仕事お疲れ」
「私の方こそ、悟さんと比べたらなんて事ないですよ」

ふふ、と微笑んでハンガーに僕の上着をかける名前が可愛い。はー…わかるかなこの新妻感?ん?新妻ってなんかエロいな…良い響きだな。
名前は既に寝間着にエプロンという姿だった。お風呂もう入ったんだろうな。あーあ、たまには一緒にお風呂入りたいなぁ。次の休みお風呂で洗いっこしながらしたいなぁ……休み…次休みいつだっけ?つーか休みって言っても結局急遽の任務や実家の会合やらで潰れるしさぁ、マジで丸一日休み取らせろよ。奥さんともっとイチャイチャさせろよ。新婚なのに。

「悟さん、エビフライ何個くらい食べますか?」
「10個くらい」
「わかりました」

へえ、今日の夕食はエビフライか。揚げ物もたまにはいいな、なんて思いながら洗面所で手洗いうがいを済ませ、目隠しを洗濯籠に放り投げてサングラスに付け替えた。ダイニングに戻ると美味しそうな揚げ物たちとサラダ、漬け物、味噌汁とご飯が並んでいて思わず口角が上がる。

「美味しそう♡」
「召し上がれ」

にっこり笑いながら名前がエプロンを外して丁寧に畳むと僕の向かいに座った。あー、超幸せ♡
大好きな奥さんと美味しい手料理、新婚って本当最高♡名前と結婚して良かった、なんて思いながら席に着くと、名前が急須に温かいお茶を淹れていた。

「そう言えば」
「ん?」

手を合わせて早速味噌汁を一口飲んでいると、名前から珍しく口を開いたので僕は耳を傾ける。

「…今度、硝子さんとご飯に行こうというお話になったんですが、行ってきてもいいですか?」
「硝子と?二人で?」
「はい」
「…いつ?昼?夜?」
「えっと、今週末のお仕事あがりなので夜なんですけど…」

もじもじしながら名前が僕を見上げる。可愛いな。夜だから僕の夜ご飯のこと気にしてるのかな。それとも夜出歩くことを気にしてる?まあ前者は気にしなくていいけど後者は気にしてほしいね。

「ふーん、別にいいけど…二人で?僕行っちゃダメ?」
「…えっと…ダメというか」
「…」
「女の子同士でしたい話もあるから…」

女の子同士、という言葉に思わず吹き出しそうになる。硝子が女の子、というのが似合わない。まあでも確かに僕お邪魔だろうな、だって多分名前は僕とのことを硝子に相談したいだろうからさ。

「えー、何それ。硝子に僕とのえっちの話でもすんの?週4でするし一回で終わらないので疲れますーとか?」
「ち、違います……」

僕がわざと揶揄うようにそう言うと、名前は途端に頬を赤くして首を振った。何を想像したんだか。

「…良いけど、帰りは迎えに行くからお店の場所また教えて。あとあんまり遅くならないように、未成年だから勿論お酒は飲んじゃダメ」
「わかりました」
「夜ご飯は僕適当に作るか食べて帰るから気にしなくていいよ」

僕がそう言うと名前はまた目をキラキラさせて嬉しそうに頷いた。
…ああ、またそれ。恵の話をする時もそうだった。恵は息子みたいなものって言ってたけど、それならどうしてあんなに嬉しそうだったの?
僕と二人の時はそんな顔しないのに、どうして僕以外の人間や場所にそんなに嬉しそうにするの。…名前は僕と二人でいるのが、嬉しくないの?

「…悟さん?」
「んーん、何でもない。ご飯美味しいよ。いつもありがとうね」
「いいえ、当然のことですから」
「…当然のこと?」
「はい、悟さんの妻として、当然の…」

そこまで名前が言うのを聞いて僕は黙った。
『あんまりしつこくすると嫌われますよ』という恵の言葉が何故か何度も頭に木霊する。
…しつこくなんかしてない。まあ確かにセックスはちょっとしつこい自覚は自分でもあるけど、日常生活のことは何でも許してる。働きたいと言ったから仕事もさせてるし、今だって硝子とご飯に行きたいと言ったから本当は行かせたくないけど許可した。…名前は僕のことを好きだって言ってくれてる。もっと好きになりたいと言ってくれた。だから何も問題はない。
なのに、どうしてこんなに虚しいんだろう。

「…悟さん、どうかしましたか?美味しくなかった?…ごめんなさい、火の通りが甘かったのもしれません」
「違う」
「え?」
「そうじゃない。…違うんだ、ごめん」
「悟さん?」

あれ、僕なんかおかしいな。
何だろう、この腹の奥がぐるぐるする感じ。上手く言えない、名前に何と説明したらいいかわからない。わからないけど、何かめちゃくちゃにしたい。

「…名前」
「はい…?」
「僕のこと好き?」
「…え、」
「前よりももっと好きになってきてる?」

自分が今どんな顔をしているか、何となく想像がついた。でもやめることができなくて、じっと名前をサングラス越しに見つめる。

「はい…好き、です」

名前は困ったような少し怯えたような顔で僕をまっすぐ見上げながら頷いた。
その顔。それ。それが気に入らない。どうしてそんな目で僕を見るの。もっと嬉しそうにしてよ。僕を見て喜んで欲しい。硝子や恵のことを話す時みたいに、僕にもそうやって笑いかけてほしい。

「…悟さん、本当にどうしたんですか」
「…僕も名前が好きだよ」
「はい…」
「ごめん、ご飯せっかく作ってくれたのに。…ベッド行っていい?もう抱きたい」

自分勝手だな、なんて思いながら席を立つと向かいに座る名前の肩を撫でて腰に腕を回して抱き上げた。名前はびっくりしたようで途端に固まったけど、僕のいつもと違う様子に何か思うところがあるのか、抵抗はしない。
代わりに少しだけ悩むように目を伏せた後、こくんと小さく頷いた。
さっきの彼女の目に浮かんだキラキラはもうなくなっていて、それが無性に腹立たしかった。





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