「「あ」」
婦人科へ行った帰りだった。
処方されたピルを受け取って近くのデパートでお惣菜一品だけ買って帰ろう、なんて思いながら歩いていると、向かいから偶然にも見知った顔の男の子がやって来て、私は目を丸くした。
彼もすぐに私に気づいたらしく、一緒に歩いていた同級生らしい男の子と女の子も足を止める。
「……こんにちは」
「こんにちは。恵くん、偶然だね」
「「……恵くん?」」
伏黒恵くん、その人だった。任務の帰りなのかな。私が軽く会釈して挨拶すると、恵くんの両脇にいた男の子と女の子が訝しげに私と恵くんの顔を見比べる。二人とも恵くんと同じ高専の制服を着ているから、恐らく同級生だろう。不思議な呪力を少しだけ感じるから、もしかしてピンク髪の男の子が宿儺の器…?
「お前ら知らないのか?この人。……五条先生の、奥さん」
恵くんはめんどくさそうにそう応えると、え、と二人は顔を見合わせた。
「アイツが結婚してたなんて知らなかったわ」
ちゅう、とストローでコーラを飲みながら目の前の釘崎さんは私を見てやはりまだ感嘆の声をあげていた。アイツ、と言うのは彼女の担任であり、私の夫である五条悟その人のことだ。
虎杖くんと釘崎さんに誘われるがまま、私はハンバーガーショップで任務後の空腹を満たす彼らと共に温かい紅茶を頂いていた。恵くんによって紹介された二人はやはり彼の同級生で、宿儺の器である虎杖悠仁くん、そして釘崎野薔薇さんだった。高専で事務手続きの書類や報告書に記載されたその名前を何度か目にしたことはあるけれど当の本人達に会うのは初めてだった。
釘崎さんの横に並んだ虎杖くんがすごい勢いでハンバーガーを食べている。お腹が空いていたんだな。
「すみません、こいつら無理言って」
「大丈夫だよ。私も用事をさっき終えたところだったから」
「で、何で二人は親しげなのよ。伏黒だけ名前サンの存在を知ってたのもムカつく」
釘崎さんがじとっと私の隣に座る恵くんを睨んだ。恵くんは目を細めて手元の本を閉じると、彼女同様にアイスコーヒーを一口飲む。
「俺だってついこの前タイミングが合って教えてもらったばっかだ」
「ふーん?」
「名前さんめっちゃ若いよね?何歳っすか?」
「えーと、今年で19歳です」
「若…!!」
「アイツってロリコン?犯罪じゃないの?」
「ギリ犯罪ではないだろ」
年齢を聞いてきた虎杖くんに素直に答えると虎杖くんと釘崎さんは目を丸くした。ナチュラルに失礼なことを言う釘崎さんに苦笑いすると、横で恵くんがため息を吐くのがわかる。
「お見合いなんです。…私、週に何度か高専の事務のお手伝いに行っててね、職員室にいますよ」
「え?!そうなん?全然知らなかった、見かけたことないな」
「大体夕方までに帰っちゃうから…。虎杖くん達が報告書持ってくるのって夕方以降でしょう?」
「あー、確かに」
ハンバーガーに齧り付きながら虎杖くんが頷く。年相応の茶目っ気のある可愛らしい男の子だ。明るくてムードメーカーっぽいこの子が宿儺の器だなんて何だか信じられない。
そして釘崎さんもかなり可愛い部類の女子高生だと思う。不機嫌そうな顔と長いまつ毛がアンバランスで美しい。友達にいたら楽しいんだろうな、なんて思いながら私はにこにこと出来るだけ愛想良く振る舞う。なんせ悟さんの教え子だ。
「お見合いって…こんな一回りも歳下の乙女を手篭めにするなんて」
「この界隈じゃ珍しくない話だろ」
「それはそうだけど」
「でも私は不満はないし。…心配してくれてありがとう」
不満はない、と自分で口にした瞬間言い淀んでしまった。不満、そう、大きな不満はない。でも今この場で話すような内容でもないし。
「五条先生って家でどんな感じなん?」
「えっ」
「めっちゃ甘えてそう。あとすぐいやらしいことしそう」
虎杖くんと釘崎さんの言葉に私は黙った。……当たってるからだ。それはそれとして彼が普段教え子達にどんな風に振る舞っているのか知らない私は、これ以上"五条先生"のプライベートを彼らに伝えるのはやや躊躇われた。悟さんにだってプライドもあるだろうし。
どうしたものかとちらりと隣を見ると、恵くんは我関せずと言った風にいつの間にか取り出した本を読んで黙っている。巻き込まれたくない、という姿勢をその様子からありありと感じて私は彼に何も言えなかった。
「そりゃそうさ、めちゃくちゃ甘えてるし、いやらしいこともたくさんしてるよ。だって夫婦だからね」
「……え」
だから私たちの席のすぐ傍に立った人物の登場に、私は目を丸くした。
「五条先生!」
「やあやあ、任務お疲れ様。でも人の奥さんを許可なく連れ出してんのは感心しないなぁ」
「……たまたま任務終わりにすれ違ったから、虎杖と釘崎がメシに誘っただけです」
悟さんは目隠しをしたままにんまりと口に笑みを浮かべている。嫌な予感を察したらしい恵くんが、読みかけの本を閉じながら端的にそう説明するのを聞いて私も小さく頷いた。
誘った人物に彼自身をしっかり除いているのが恵くんなりの保身であるように感じる。
「そう、です」
「あっそう」
私が恵くんに同意して頷くと、そっけなく返される。悟さん、多分ちょっとだけ不機嫌だ。
恵くんを一瞥すると私の鞄と一緒に持っていた小ぶりのレジ袋を勝手に持った。カシャ、と揺れる錠剤の振動に悟さんが一瞬何か思案するようにレジ袋を見たが、特に何も言わずに私に立つように促した。
「帰ろう、送るよ」
「…はい」
「一年生諸君はごゆっくり〜、報告書出来たらまた伊地知に渡しといて」
「わかりました」
「じゃ、名前さんまたねー!」
「嫉妬深い男は嫌われるわよ」
虎杖くんと釘崎さんに手を振られて私も振り返すと、悟さんに連れられて店を出る。まだ夕方だ。この後任務もあるはずなのに、どうしてここに?というかどうやって突き止めたんだろう?
「…体調悪いの?」
「え?」
「昨日随分無理させたからかな。…ごめんね」
ごく自然に手を繋がれて私も握り返すと、悟さんが目隠しを外して心配そうに私を見下ろした。
昨日、と言われて昨日したこと…否、されたことを思い出して思わず耳が熱くなる。
「これ、薬でしょ。病院行ったんじゃないの?大丈夫?どっか具合悪い?」
「あ、はい…えっと、婦人科に…」
「……ピル?」
「はい」
「…そっか。それだけ?痛いとことかない?」
悟さんは本当に心配そうに私にそう言うので、何だかそれが少し嬉しくて私は黙って頷いた。
本当はもっと、昨日の彼の何も答えないスタンスにむくれて怒ってもいいかもしれないのに、私は悟さんに優しくされるとすぐに嬉しくなってしまう。…ばかみたいに、この人に恋してるから。
「なら良かった。…ごめんね、今度はもっと優しくするよ」
"やめる"ではなく"優しくする"なのが悟さんらしくて少し笑いそうになったが、バレないように小さく頷く。私も別に、そうされるのが嫌いではないから。
「……あの」
「ん?」
「この後も、任務ですか?」
「そうだけど、小一時間空きがあるよ」
「じゃあちょっとだけ、」
ちょっとだけ、二人で過ごしませんか。
私がそう問いかけると悟さんは「勿論いいよ」といつもの笑顔で頷いてくれた。
「名前を不安にさせてごめんね」
優しい言葉だった。胸焼けするほど優しくて甘い彼の言葉。それはとてもとても嬉しいけれど。
「名前を都合の良い存在とか、そんな風に思ったこと本当に一度もないよ。僕は名前が好きで、名前が必要なんだ。だからお嫁さんになってもらった。結婚した。それは本当だから信じてくれる?」
ぎゅう、と膝に乗せられて背後から抱き止められる。ソファに腰掛けた悟さんの上に座らされた私は、耳元で囁かれる甘い言葉に頷いた。
自宅まで悟さんの術式で飛んできて、家に入った瞬間一緒にリビングのソファに座りながら抱き止められたのである。
これは昨日の話の続きで、私が自惚れていたと彼に告げた時のことを謝ってくれているのだと思う。それは嬉しい、自惚れじゃなかったのなら良かった。だけど、
「じゃあ、もうひとつだけ教えてください」
「……」
「昨日、硝子さんと話してたことって何?」
抱き止めながら私の頭をよしよしと撫でていた大きな手が、長い指先がぴたりと止まる。突然黙り込む悟さんは、どうすべきか悩んでいるらしかった。
「……教えて」
「……」
「お願い」
「……僕のこと、嫌いにならない?」
「え?」
「…嫌いにならない?僕のことずっと好きって約束してくれる?」
悟さんの指が頭から離れて私の左手の薬指を撫でた。超高級ブランドで買って頂いたハーフエタニティの結婚指輪が煌めいている。それを慈しむように撫でながら、悟さんは私の髪に頬擦りした。甘えるように、怒られるとわかっていて許しを乞う子どものように。
「…悟さん、私に嫌われるようなことしたんですか?」
「…どうだろう。…ねえ、名前」
「何ですか?」
「僕にキスして」
「キスしたら話してくれますか」
悟さんは小さく頷くと、強請るように私の顎に指を這わせた。
お望み通り、振り向いて悟さんの顔を見上げると、ちゅ、と軽く唇を重ねる。物足りなさそうに目を細める悟さんに首を振ると、「ちぇー」とわざといじけた態度を取るところが子供じみていて少し可愛い。
「話してください」
「……わかったよ」
悟さんはバツが悪そうに私の鞄を手に取った。ごそ、と長い指でバッグの底を撫でる悟さん。何だろうと目をそちらに移すと、指先にはとても小さなタグのようなものが摘まれていた。
「何ですか、これ」
「GPS発信機」
「……」
「これで名前の位置情報、確認してた」
「ええ…」
突然の告白に私が狼狽えると、悟さんは困り顔で「嫌だった?」「僕のこと嫌いになった?」と矢継ぎ早に聞いてくるけど、何だかすぐに返事ができない。
GPS発信機?GP…S…。
「名前は僕の奥さんだから、妙な呪詛師や変な奴らに狙われる可能性もなくはないでしょ。人質に取られたりでもしたら大変だし、何かあった時にと思って付けてたんだ」
「……」
「怒った?」
「……本音は?」
「名前がどこで何してるかずっと気になって知りたいから付けた」
……何と返せば良いのだろう。驚きと同時に何とも言えない負の感情がお腹の底を這うようで、私は口を閉じた。
これって、ストーカー行為じゃないのかな。夫婦でもこれはやり過ぎなんじゃないのかな。……いや、でも五条悟の妻ならこれも普通、なのかな。
「悟さん」
「うん?」
発信機を摘む悟さんの手の甲を撫でる。
昨日硝子さんが言ってたのはこれのこと?あの人、確か私の服のボタンからも何か取り除いていたような。……まさか。
「もしかして、服とか他のアクセサリーとかにも付けてたりします?」
「……」
困り顔で黙る悟さんに呆れた。素直なのはよろしいが、さすがにやり過ぎじゃないだろうか。
「でもずっと名前のことを監視してるわけじゃないよ?何か身の危険があった場合に備えての意味合いが強いし」
「……」
「怒った?」
「怒ってはないけど…何だかすごく、嫌な気持ちです」
「ごめんね」
謝ってくれたら許していいのだろうか。
私ってそんなに信用ない?
「名前?」
「お仕事、そろそろ行かないといけませんね」
「え、あ……うん」
「あんまりダラダラして伊地知さんに迷惑かけちゃダメですよ。そろそろ準備してください」
悟さんの返事を待たずに私が彼の膝から降りる。何か言いかけた悟さんを無視して、心を無にして彼の唇に触れるだけの口付けをすると、悟さんはぽかんとして私を見上げていた。
「名前?」
「もうしないでね」
悟さんから貰った服と、アクセサリーと、鞄を全て調べよう。そう決めると、私は作り笑顔を浮かべて彼を送り出した。
どうしよう、私、ちょっと彼を許せそうにないかもしれない。
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