渋谷のビル群を眺めながら、私は小さく息を吐いた。自宅から出て大きな街まで来たのは久しぶりだ。一人なのが少しだけ心細いけど、高校の時に友達と何度も遊びに来てるから土地勘はある。
あてもなく渋谷駅を降りて、とりあえず散歩がてら歩いてみようと文化村通りをゆっくり進む。量販店の前の水槽を何となく眺めているとキャッチにつかまりそうになって慌てて足早に逃げた。

私が一人で渋谷をブラブラしているのに深い理由なんてない。強いて言えば一人であの家にいるのが辛かったからだろうか。
悟さんは私にGPSをつけて監視しているらしく、衣服やアクセサリー、鞄を探ると言っていた通り位置情報を発信するタグらしきものがいくつか出てきて、全部ひっくり返して探すのも億劫というか……なんかそんな力も出なくて、諦めた。
諦めた私はそれでも薄手のアウターを羽織り、近所のファストファッション店に入ると、全身適当にコーディネートを考えてもらい、それをマネキン買いしてその場で身に纏い、それまで着ていた服を全部捨てた。

心が軽かった。
悟さんの愛の形が監視だというなら、私はそれを否定することになるけれど、私にも意思はある。
五条悟は傍若無人な男だけれど、それでも"人"を信じている人だ、ということくらいは何となくわかっていた。高専で働いていれば悟さんの噂くらい聞くし、伊地知さんや新田さんの話を聞けばそれだけでも彼の人となりはわかる。
我儘だけど、人を信じて、人のために生きている人。自分だけが強くてもダメだから、人を育てる道を選んだ人。……それでいて、どこか孤独な人。悟さんの孤独を私が理解することはきっと出来ない。出来ないけれど、支えることだけは出来る。だから私はその役割を果たしたい。そう思っているだけなのに、どうして悟さんは私のことだけは信じてくれないんだろう。

「…へぇ」

当てもなく歩いているとあっという間に有名な大型の文化複合施設まで来てしまって、通りに貼ってあるポスターをなんとなく眺める。オーチャードホールでは有名な海外の指揮者が来てオーケストラと共に演奏、その他有名ピアニストによるリサイタルが行われるらしい。
クラシックはそこまで聴かないからよくわからないけれど。
シネマで上映されている映画は、カンヌでパルムドールを受賞して大きく話題になった社会派の作品。"思いやりの聖域"と訳されたその作品は、テレビのニュースで私も目にしたことがある。こちらも詳しくはないけれど、確か主人公が美術館のキュレーターという珍しい立ち位置の人物だったはずだ。

「こんなところで一人で映画鑑賞?」
「……は」
「僕もご一緒していいかな?」

背中に掛けられた声に思わず肩が震えた。
何で、ここに。

「…悟さ…」
「一度家に戻ったら名前がいないから探し回った」
「……」
「心配したよ。何の連絡もないしさ。今日は僕があげたもの、何も身に付けてくれてないんだね。残念。…今着てるそれが似合ってないとは言わないけど、僕があげた服のほうが名前に全部しっくりくるのに」
「…あ……」

こんなに早く見つけられてしまうとは思っていなくて言葉が出ない。
悟さんは微笑むと私の背中にそっと腕を回した。てっきり怒られると思っていたけれど、彼はそんな素振りは全く見せない。
久しい私服姿の悟さんに戸惑っていると、まるで私の頭の中を覗き込んだとでも言わんばかりに「ああ、着替えたんだよ。仕事行く時の格好だと目立つから」とサングラスを押し上げる。

「おしごとは、」
「んなもんチョチョイのチョーイだよ。……で、伊地知脅して時間無理矢理作った。2時間だけ僕とデートしよ」
「……」
「まだ怒ってるよね?ごめんね。もう本当にしないよ。GPSのアプリ消したし。見る?」
「…もしかして私のこと、自力で探してくれたんですか」
「僕は目も良いし、名前の残穢はなんとなく辿れたから。まあさすがに自力で探すとちょっと時間かかっちゃったけど」

悟さんはそう言うと私に手を差し出した。黙ってその手を取ると、彼は優しく握り返してくれる。
反省してくれているんだと思う。許すべきだと思う。彼だってきっと悪気があったわけじゃない。わかってる。
でも、

「名前はこの映画が見たいの?パルムドール受賞作だって。見てみよっか」
「……」
「名前?」
「…映画はいいです。2時間じゃ多分終われないし…ちょっとお茶しませんか?」

私がそう言って悟さんを見上げると、彼は一瞬だけ不思議そうな顔をしたけれど、「もちろんいいよ」とまた微笑んでくれるのだった。










新作のなんとかフラペチーノにチョコレートソース追加、更にシロップ追加で大変甘く仕上がったそれ。美味しそうに太めのストローで飲みながら、悟さんはニコニコしている。
見た目と身長の高さのせいで目立ちまくっているけれど本人は慣れているからか気にしていないようだった。寧ろ当たり前のようにソファ席に並んで座り、私の腰に手を回して抱き寄せてくるので多分ここにいるお客さん全員、悟さんを外国人だと思っているだろうな。

彼の飲むその何とかフラペチーノを見ているだけで胸焼けがするから、私はソイラテのアイスを静かに頂いている。
すっかりいつもの調子の悟さんは私のソイラテを一口ちょうだいとばかりにつつくので、私は黙ってそれを差し出した。

「…僕のもいる?」
「大丈夫です」
「っていうかさ、2時間あったら1回くらいえっち出来たよねー」
「……すぐ、そういうこと言うのやめてください」
「恥ずかしい?ごめんごめん」
「あの、私、まだちょっと怒ってるんですよ」

わざと口を一文字に結んで、私が隣に座る悟さんを見上げると、悟さんは困ったように眉を下げた。

「GPSのこと?」
「そう」
「どうしたら許してくれるの」
「それだけじゃないんです」

すり、と悟さんが私の腰を撫でる。流されてはいけない。どんなにかっこよくても、どんなに好きでも、嫌なことは嫌ってちゃんとわかってもらわなくちゃ。

「…ずっとモヤモヤしていて」
「?」
「私は悟さんのことちゃんと好きなのに、悟さんは私のこと束縛するようなことばかりするし……それに……えっと……大事なこと何も話してくれないし……他にも……悟さん、私に言わないで隠してることがたくさんあるでしょう」

うまく言葉にならずにもごもごと私が言い淀んでいると、悟さんは黙って一口フラペチーノを飲んだ。プラスチックの容器の中身が一気に半分くらいに減るのが見える。
悟さんは私の言葉で大体の意味を掴んだのかふんふんと頷いてトンと小さめの丸いテーブルにカップを置いた。

「続き、家で話そうか」

そう言うと私が同意する前に悟さんは私の手に指を絡めて席を立った。










「おわ、」
「瞬間移動ー、なんちゃって」

コーヒーショップを出てすぐに悟さんが術式を使ったらしく、気付いた時は既に自宅マンションの前だった。
よろけそうになるのを悟さんが支えてくれている。手は繋いだままで、オートロックを開けると悟さんはエレベーターのボタンを押した。
珍しく悟さんは何も喋らない。いつもは饒舌なのに、沈黙が気まずくて私は俯いた。
フロアに着いても内廊下を抜けても、玄関を開けて自宅に入っても、悟さんは何も話さない。とりあえず黙って悟さんの後ろをついていくと、急に腕を引っ張られた。そのまま頭を撫でられて悟さんの胸に顔を埋める形になる。

「…ごめん」
「悟さん」
「もう怒んないで。名前のこと信じてないわけじゃないよ」
「わかってます。でも、でも、監視とか束縛とかし過ぎです。息が詰まるし……その…えっと、私の基本的人権をですね……」
「うん、わかるよ?でも名前が僕にはあんまりキラキラ見せてくれないから……」
「……きらきら?」

悟さんは1を言って10を理解したらしく、私の言いたいことをなんとなくではあるけれど汲み取ってくれたらしかった。どうにか伝わったのかな、なんて思ってほっとしたのも束の間、悟さんの口から聞き慣れない"きらきら"という単語がこぼれ落ちて、私は思わず鸚鵡返しをする。

「名前ってキラキラしてるんだよ?知らないの?」
「…え?え……え?どこが……?」
「目がキラキラしてるんだって。あれ?気付いてない?」
「……」

いやどちらかと言うと目がキラキラしてるのは悟さんの六眼の方だと思うんですけど…。
一瞬悟さんがふざけて言っているのかと思ったけど、本人は至って真剣なニュアンスなものだから私はそれ以上何も言えなくて口を噤んだ。目がきらきらしてるの?アイシャドウのラメのこと言ってるのかな。それか何か悟さんの誤解か、謎のフィルターかかってない…?

「楽しそうに話す時いつもキラキラするんだ。僕と二人の時はあんまりキラキラしないんだけど、この前も恵や硝子の話をしていた時はキラキラしてたし」
「……そうなんですか」
「それでさ、目がキラキラしてる名前って本当に可愛いんだよ。食べたくなるくらい」

そ、それは困る。

「だから僕からのお願いなんだけど、僕以外にキラキラ見せないでほしいし、僕のこと考える時だけキラキラしてて」

そんなことを言われても、多分それって悟さんの脳内妄想に近い謎のフィルターだと思うし私がコントロールできるものじゃないと思う。
それでも一生分のキラキラを口にしたのではないかと思われるくらい、悟さんはキラキラキラキラと言いながら私の目を愛おしげに見つめてくる。
一体何のことだからわからないけれど、悟さんにはそういうふうに見えてるということなのかな。本当によくわかんないけど……。

「自分ではよくわからないんですけど……」
「そうなの?」
「……」
「何でもいいけど、どうしたら僕にもっと見せてくれるのか知りたいんだ。……もっともっと好きになってくれたらもっとキラキラするのかな」
「ひえっ」
「僕の顔見るだけで嬉しくなっちゃうくらい、好きになってほしい」

悟さんはそう言うと私の腰に手を回して軽々と抱え上げた。驚く間もなく横抱きにされて悟さんの長い足が寝室へと向かうのを感じて私は思わず固まってしまう。
2時間だけのデートだったはずだ、あと1時間で悟さんは仕事に行かないといけない。でも絶対、絶対1時間で終わらない気がする。

「悟さん、待って」
「何?嫌?」
「…嫌じゃ、ないけど……時間、あんまり、ないし……」

言いながらぼすんと広いベッドに降ろされて起きあがろうとした瞬間、悟さんが覆い被さってくる。
え、うそ、本当に?今からするの?

「1時間もあるよ。…あ、もしかして名前は1時間じゃ満足出来ない?」
「そ、そういう意味じゃなくて!この後お仕事も、あるし……」
「…じゃあ帰ってきてからなら朝まで付き合ってくれるの?でもいつも途中で寝ちゃうよね?」
「……ちがっ……ん……んんっ」

悟さんが目を細めてサングラスを外した。
だから、そういう意味でもなく、と私が反論しようとしたけれど、覆い被さっていた悟さんに唇を押し付けられてくぐもった声になっただけだった。
大体1時間で満足出来ないのはきっと悟さんの方なのに。

「もうしない。約束する。名前の嫌がることはしない。…だから、抱かせて。したい。我慢出来ない」
「……っ」
「僕でいっぱい気持ち良くなって、僕なしじゃ生きられなくなったら、名前のキラキラは全部僕のものでしょ」

だからそのキラキラって何ですか。というか何気にすごく恐ろしいことを言われた気がする。
言いたいことを言うと悟さんはまた私の唇を食べ尽くすみたいに啄んで、買ったばかりのシャツに手をかけた。ぷちんぷちんとボタンを外されるのがわかる。
横目でちらりと壁掛け時計を確認すると、あと50分ほどしか時間がない。
ボタンが全て外されて、インナーをずらされて下着のホックに手をかけられる。

「ちょっと待って、」
「何?」
「キラキラ、のこと…よくわかんないけど、悟さんが欲しいならあげます。だから悟さんも隠さないでぜんぶ、私にちょうだい」
「……」
「悟さんの本当を、ぜんぶ見せて」

悟さんが驚いたように目を見開く。
伝わるだろうか、私の気持ち。






top